甲信寺社宝鑑

甲信地方の寺院・神社建築を語る雑記。

【会津若松市】会津さざえ堂(旧正宗寺三匝堂)

今回は福島県会津若松市の会津さざえ堂(あいづ さざえどう)について。

 

会津さざえ堂は飯盛山の中腹に鎮座する仏堂です。正式名称は旧正宗寺三匝堂(きゅう しょうそうじ さんそうどう)、または円通三匝堂(えんつうさんそうどう)

会津さざえ堂は正宗寺の伽藍として、住職の郁堂によって1796年(寛政八年)に建立されました。正宗寺は厳島神社の別当寺として開かれた寺院ですが、明治時代の廃仏毀釈で廃寺となり、ほぼすべての伽藍が破却されました。

現在残っている伽藍は会津さざえ堂のみとなっています。会津さざえ堂はさざえ堂という二重らせん構造の独特な様式の堂で、その中でもさらにめずらしい六角形の平面で造られていて、その希少性から国の重要文化財に指定されています。

 

現地情報

所在地 〒965-0003福島県会津若松市一箕町大字八幡弁天下1404(地図)
アクセス 会津若松駅から徒歩40分
会津若松ICから車で10分
駐車場 なし(※飯盛山に無料駐車場あり)
営業時間 08:15-17:00
入場料 堂内拝観は400円
寺務所 あり
公式サイト 会津さざえ堂オフィシャルサイト
所要時間 15分程度

 

境内

会津さざえ堂は厳島神社の南側の一段高い区画に、北向きに鎮座しています。

六角さざえ堂、向拝一間 向唐破風、銅板葺。

1797年(寛政九年)造営。「旧正宗寺三匝堂」の名称で国指定重要文化財となっています。

 

右側面(西面)全体図。

内部は回廊がらせん状に渦巻いた構造となっており、通路をのぼって最上層まで行くことができます。外観からはわかりにくいですが回廊は二重らせん構造で、のぼりの回廊とくだりの回廊とが別々になっています。

このようならせん構造の仏堂は三匝堂(さんそうどう)といい、さざえ堂という通称でも呼ばれます。なお、サザエをはじめとする巻貝は二重らせん構造ではありませんが、身近にあるらせん状のものとしてサザエの名前が採られたのでしょう。

 

(参考:羅漢寺三匝堂、通称は「さざい堂(さゞゐ堂)」*1 ※画像はWikipediaより引用)

さざえ堂の歴史は江戸中期までさかのぼることができ、18世紀中盤に江戸の羅漢寺*2に造られた三匝堂が最古と考えられます。上の絵図では堂の一部しか描かれていませんが、羅漢寺三匝堂は四角形平面の堂だったようです。なお、この堂は1855年の地震で倒壊し、現存しません。

羅漢寺三匝堂を皮切りにして、東日本では各所にさざえ堂が造られたらしいですが、現存するものは数棟しかありません。現存のさざえ堂のうち、国の重要文化財に指定されているのは会津さざえ堂と曹源寺本堂(群馬県太田市)の2棟だけであり、とても貴重な遺構といえます。

また、文化財に指定されているさざえ堂のほとんどは、先述の羅漢寺三匝堂や重要文化財の曹源寺本堂のように四角形の平面をしており、会津さざえ堂のような六角形平面のものは少ないです。この点でも、会津さざえ堂は貴重な遺構といえるでしょう。

 

正面には向唐破風の向拝が1間。柱や梁には竜の彫刻が巻きついています。

虹梁中備えは雲の彫刻。その上の唐破風部分にも虹梁がわたされ、竜や雲の彫刻が配されています。

 

破風板には兎毛通や桁隠しなどの懸魚は使われていませんが、禅宗様木鼻の繰型のような曲線状の意匠が彫られています。

 

向拝柱は几帳面取り角柱。柱上の組物は皿付きの出三斗を発展させた構造のもの。

柱にからみつく竜の彫刻はほかの部材と色味がちがっています。この部材は後補でしょうか。

 

向拝柱と母屋柱とのあいだには、繋ぎ虹梁がわたされています。繋ぎ虹梁は菊の花の絵様が立体的に彫られています。

向拝には格天井が張られています。

 

向拝の階段。こちらから堂内へ出入りできます。なお、母屋正面は入口専用で、出口は背面側にあります。

階段は板材のものが4段設けられ、昇高欄は擬宝珠付き。

 

母屋正面。虹梁の上の扁額は「福聚海」。

母屋柱は円柱が使われ、正面の入口には桟唐戸が設けられています。

扉の上の虹梁は、雲状の絵様が彫られています。

 

右側面下部。

縁側は切目縁で、六角形の母屋の全周にまわされています。縁側の隅の縁束は上へ伸びていて、庇の支柱を兼ねています。

 

回廊には明かり取りの窓が設けられていて、らせん状に渦巻く様子が外部からも観察できます。

この堂は時計回りにまわって上昇する構造のため、左ねじのらせんになります。さざえ堂という建築様式は、時計回りに上昇する構造で造られるのが一般的のようです。

母屋柱には、腕木や板状の持ち送り材がついていて、庇の軒裏を支えています。

 

最上層。

頭貫には象鼻がつき、柱上では出三斗を変形させた組物が軒桁を受けています。

軒裏は放射状の二軒まばら垂木。

 

堂の南側にある休憩所から見下ろした図。

堂の屋根は六角形の平面ですが、回廊の窓の上の庇は完全な六角形ではないように見えます。

 

頂部の宝珠。

六角形の路盤の上に小さな屋根がつき、半球型の台の上に擬宝珠が乗っています。

 

なお、内部の撮影については私的利用に限るとのことで、写真の掲載は割愛いたします。

 

会津さざえ堂の西側には、宇賀神堂が南面しています。

入母屋、向拝1間、銅板葺。

 

向拝柱は几帳面取り角柱で、唐獅子と象の木鼻があります。

堂内には、会津戦争の折に飯盛山で自害した白虎隊士19名の像が安置されていました。

 

ほか、会津さざえ堂の南側の山の上の区画には、白虎隊士の自害の地と彼らの墓所や、ポンペイ遺跡の柱の記念碑(イタリアの宰相ムッソリーニによる寄贈らしい)などがありますが割愛。

 

以上、会津さざえ堂でした。

(訪問日2024/08/11)

*1:『名所江戸百景』より「五百羅漢さゞゐ堂」、1856-1858年、歌川広重

*2:東京都江東区にあった。現在は目黒区に移転して五百羅漢寺と称している。