甲信寺社宝鑑

甲信地方の寺院・神社建築を語る雑記。

【小布施町】玄照寺

今回は長野県小布施町の玄照寺(げんしょうじ)について。

 

玄照寺は市街地南西部の集落に鎮座している曹洞宗の寺院です。山号は陽光山。

前身は臨済宗・随光寺という寺院で、創建は不明ですが室町末期の戦乱で大きく衰退しています。現在の宗派・寺号となったのは天正年間(1573~1591)で、武田家臣・春日虎綱(高坂昌信)の与力が松代(長野市)から住職を招いて再興したようです。水害を受けて何度か境内を移転しており、江戸中期の1758年には火災で伽藍を喪失しています。現存の三門は1799年頃の再建で、明治期には本堂などが再建されています。

現在の境内は、江戸後期から明治期にかけての伽藍が立ち並び、小布施の中心街から距離があるため閑静で落ち着いた雰囲気のなかで立派な伽藍を楽しめます。

 

現地情報

所在地 〒381-0203長野県上高井郡小布施町大島90(地図)
アクセス 小布施駅から徒歩20分
須坂長野東ICまたは信州中野ICから車で15分
駐車場 なし
営業時間 随時
入場料 無料
寺務所 なし
公式サイト なし
所要時間 15分程度

 

境内

三門

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玄照寺の境内は西向き。旧街道に面した場所に入口があります。正面が山門、右手にあるのが観音堂と鐘楼。

 

三門は三間一戸、楼門、二重、入母屋、桟瓦葺。

1799年(寛政11年)再建。再建には40年の歳月を要したとのこと。小布施町町宝。

少しめずらしい二重の楼門(下層にも屋根がついたタイプ)。禅宗様の意匠が取り入れられた折衷様で、江戸後期らしい白木の彫刻で各所が彩られています。

 

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下層。扁額は「第一義」。

柱はいずれも円柱。左右の柱間には仁王像が安置されています。

 

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中央の通路部分の柱間。

虹梁は唐草が浮き彫りになり、下部は唐獅子の彫刻で持ち送りされています。

扁額の額縁には、波と竜が豪壮な造形で彫られています。

 

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向かって右側の柱間。

虹梁中備えの蟇股には唐獅子が立体的な造形で彫刻されています。江戸後期らしい意匠。

柱は上端がわずかに絞られ、頭貫がとおり台輪がまわされています。頭貫と台輪には禅宗様木鼻。

柱上の組物は出組。中備えの蟇股は、亀と思しき彫刻。桁下の板支輪には波の彫刻。

下層の屋根の軒裏は、平行の二軒繁垂木。

 

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下層の背面。

中央の柱を2本とばし、大きな虹梁を渡しています。

台輪の上の中備えの蟇股は、鳳凰が彫られています。

 

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下層側面、後方の柱間。

笈形付き大瓶束が、風変わりな場所に配置されています。ふつうは妻壁に使われる意匠です。

大瓶束の上の組物も、大小の象鼻が左右あわせて4つもついており、ここも風変わり。笈形との連続性を意識した構成に見えます。

 

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上層。扁額は「青■林」(■は判読できず)。

こちらもわずかに上端の絞られた円柱。正面の柱間はいずれも二つ折れの桟唐戸。

頭貫と台輪には禅宗様木鼻。柱上の組物は二手先。中備えの蟇股には彫刻があります。

軒裏は放射状(扇垂木)の二軒繁垂木。扇垂木は禅宗様の意匠。

 

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上層の背面。

柱間は壁板が横方向に張られています。側面は火灯窓が設けられていました。

縁側の欄干は擬宝珠付き。

 

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全体を斜め前から見た図。このアングルがいちばん格好良いと思います。

やや腰高なシルエットで、古建築に特有の深みや重みには欠けますが、モダンな趣で現代寄りの格好良さを感じます。寺社建築のわりに、古式にとらわれていない印象。江戸後期の建築として秀作と言えるのではないでしょうか。

 

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左右には回廊。こちらは向かって右側。

屋根は桟瓦葺。壁面には火灯窓をアレンジした意匠。腰はなまこ壁に見えますが、黒い壁に白い桟をつけただけのもの。

 

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向かって左の回廊の内部には、鬼瓦やしゃちほこが展示されています。

ふだんは遠目に見ることしかできない意匠。眼光鋭く、にらみの利いた造形。

 

観音堂

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三門向かって右手には観音堂。

方三間、宝形、銅板葺。造営年は江戸後期以降のようです。

方三間かつ宝形で縁側がない堂なので経蔵のように見えますが、扁額には「萬願即得観世音」とあるので、観音堂のようです。

桟唐戸や火灯窓、そして縁側がない点など、こちらも禅宗様の意匠が採用されています。

 

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柱は円柱。寺社建築の柱にしては細く、なんとなく頼りないです。

木鼻は正面が唐獅子、隅の柱には斜め方向に麒麟の彫刻が突き出ています。木鼻は単なる装飾ではなく、貫などの木口を隠す役割もあるのですが、これらの木鼻は完全な装飾と化しています。

組物は出組。中備えの蟇股の彫刻は遠くて題材がよく解らず。

 

鐘楼

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三門の右には鐘楼。

入母屋、桟瓦葺。

 

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柱は角柱。頭貫と台輪には禅宗様木鼻。

桁の上から腕木が伸びて小天井が張られ、持ち出された軒桁が軒裏を受けています。

 

本堂

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三門の先には大規模な本堂が鎮座しています。

入母屋、向拝3間、桟瓦葺。

大正期の再建。棟梁は当地の宮大工の三田清助。民俗学者・柳田国男の弟が設計図の下絵を書いたらしいです。

 

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向拝柱は角柱、母屋柱は円柱。

柱は本数が多く、狭い間隔で配置されています。また、細めの材が使われています。

屋根は向拝のある中央部が少し盛り上がった形状。

 

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向拝の軒下。

向拝柱と母屋柱は、まっすぐな虹梁でつながれています。虹梁の中央には大瓶束が立てられ、桁を受けています。

向拝柱の組物は出三斗。手挟には雲が彫られています。

母屋の扁額は「玄照寺」。

 

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母屋柱は上端が絞られています。

柱上には台輪がまわされていますが、頭貫には木鼻がありません。禅宗様と和様の中間的な意匠。

組物は出組。桁下には軒支輪。

軒裏は並行の二軒繁垂木。

 

以上、玄照寺でした。

(訪問日2021/04/30)