今回は長野県阿智村の浪合神社(なみあい-)について。
浪合神社は旧浪合村の集落に鎮座しています。
創建は江戸初期とされ、祭神には尹良親王(ゆきよししんのう/これなが-/ただなが、1364?-1424?)が祀られています。境内は長大なスギ並木の参道が伸びており、尹良親王の墓があるほか、本殿は信州ではめずらしい入母屋となっています。
現地情報
所在地 | 〒395-0501長野県下伊那郡阿智村浪合宮の原581(地図) |
アクセス | 飯田山本ICから車で20分 |
駐車場 | 5台(無料) |
営業時間 | 随時 |
入場料 | 無料 |
社務所 | なし |
公式サイト | なし |
所要時間 | 10分程度 |
境内
参道
浪合神社の境内は南向き。写真は二の鳥居で、この先に駐車場があります。
二の鳥居は石造の明神鳥居で、扁額は「浪合神社」。
境内はうっそうと社叢が茂っていて薄暗いです。
三の鳥居も石造の明神鳥居、「浪合神社」。
拝殿の手前まで進むと、参道の左手に尹良親王の供養塔があります。
尹良親王は南朝の皇族で後醍醐天皇の孫とされ、各地を転戦したのち当地で北朝の襲撃を受けて亡くなったとのこと。ただし、尹良親王は実在が疑問視されています。
境内の一角には尹良親王の墓もあるようですが、宮内庁によって立入禁止になっているうえ、私自身、尹良親王という人物をぜんぜん知らなかったのでスルーしました。早朝の訪問だったせいで境内が不気味なくらいに暗く、さっさと写真を撮って退散したかったのが本音です...
拝殿
境内の最奥部まで登ると、参道に対して右を向いた拝殿と本殿が鎮座しています。
拝殿は鉄板葺の切妻(妻入)。正面に庇がついて春日造(かすがづくり)っぽい構造をしていますが、屋根には千木と鰹木がのっていて神明造(しんめいづくり)風の意匠。
破風板からは鞭懸(むちかけ)という4本の棒が突き出ていますが、写真右のほうの鞭懸は2本が欠損してしまっています。
屋根の上には千木が出ており、先端は水平にカットされ、四角い風穴があいていて先端は二股にわかれています。先端が水平の千木は女千木と言われることもありますが、祭神の性別とは関係ありません。
本殿
拝殿の裏には塀に囲われた本殿が鎮座しています。
本殿は銅板葺の三間社入母屋(さんけんしゃいりもや)。正面3間・側面2間、向拝1間。
造営年は不明。祭神は尹良親王が主で、ほかに諏訪神と八幡神が合祀されています。
このような山間の神社本殿のわりには三間社というやや規模の大きいものであり、入母屋の本殿というのも信州ではあまり見かけません。
正面に突き出た庇は2本の角柱で支えられています。よって向拝1間。
庇の角柱(向拝柱)には唐獅子と象と思しき彫刻が取り付けられています。暗くて明瞭な写真が撮れなかったのですが、かなりデフォルメされた造形をしています。こういう造形の木鼻は、彫刻が発展する過渡期のものなのか、あるいは単に作者の技量や作風のせいなのか判断しづらくて困ります... たぶん後者だと思いますが。
向拝と母屋は海老虹梁でつながれています。母屋側は頭貫よりも上の高さから降り、向拝側は柱上の組物(出三斗)の上につながっていて、かなり高いところを通っています。
母屋は円柱で構成され、頭貫には拳鼻の木鼻、柱上には出三斗(でみつど)が確認できます。母屋の正面には扉が3組あるようです。
正面には角材で構成された階段が6段。段と段のあいだには隙間があいています。
軒裏は一重のまばら垂木。垂木が四方に伸びているので入母屋でまちがいないです。
暗くて見えにくいですが、軒下の母屋は側面2間。後方には脇障子が立てられていますが、彫刻の有無や背面にも縁側がまわされているかどうかまでは確認できず。
以上、浪合神社でした。
(訪問日2020/09/12)