今回も神奈川県横浜市の三溪園について述べます。
前編では旧燈明寺本堂、旧東慶寺仏殿、旧燈明寺三重塔などの外苑について述べました。
当記事では臨春閣、天授院、旧天瑞寺寿塔覆堂などの内苑について述べます。
鶴翔閣

大池の東岸を北へ進むと、北西の区画に鶴翔閣(かくしょうかく)があります。
当園の設計者・創始者である原三溪が、私宅の応接室として使っていた建物。原三溪とかかわりのある政財界人のほか、横山大観や和辻哲郎といった名だたる文人もこの建物に出入りしていたようです。
母屋は入母屋造、茅葺。車寄せは寄棟造、茅葺。
1902年造営。市指定文化財。

母屋部分。
庇や出窓が設けられ、窓の下には下見板が張られています。
入母屋破風には縦板が張られています。


北側には大きな車寄せが設けられています。
内部は格天井。玄関部分の引き戸の上には「鶴翔閣」の扁額があります。
御門と白雲邸

鶴翔閣の南側、三渓記念館のとなりには御門(ごもん)。
一間一戸、薬医門、切妻造、本瓦葺。左右袖塀付。
1708年(宝永五年)頃の造営。市指定文化財。
西方寺(京都市)の門として造られたもの。大正時代に現在地へ移築され、原三溪の私宅(臨春閣)の門として使われていました。

内部向かって左側。
柱は角柱。柱から女梁(肘木)と男梁を突き出し、軒桁を受けています。
門扉には八双がつき、蝶番のような金具で扉を吊っています。
妻飾りは板蟇股。


背面。
こちらは柱間に虹梁がわたされ、木鼻がついています。

御門をくぐると右手(西側)に塀と門があります。
奥に見える棟は白雲邸(はくうんてい)で、原三溪と夫人の隠居所として使われた建物。
白雲邸は1920年造営。市指定文化財。

御門の先には名称不明の唐門があります。
一間一戸、妻入唐門、こけら葺。左右袖塀付。
臨春閣

園内南西の区画(内苑)の中心部には臨春閣(りんしゅんかく)。
3棟の建物で構成されており、中央の棟が第一屋、写真右端(北)が第二屋、左奥(南)が第三屋。
1649年(慶安二年)造営。紀州徳川家の別邸として使われていた建物で、初代・徳川頼宣が和歌山(岩出市)に建てたもの。1915年に現在地へ移築。
「臨春閣」3棟として国指定重要文化財。

第一屋は、一重、入母屋造、檜皮葺、四面庇付、こけら葺。
二重の建物に見えますが下の屋根は庇で、内部は単層(1階建て)です。
庇の空間は基壇から張り出した床の上に設けられており、柱間にはガラス戸が入っています。母屋には障子戸が入り、内部は見えません。
屋根は入母屋を2つ組み合わせた形状で、撞木造(善光寺本堂)のように棟がT字になっています。

第二屋は、一重、入母屋造、檜皮葺、四面庇付、こけら葺。
第一屋と同様の建築様式で、こちらも単層の造りです。

第三屋は、二重、寄棟造、檜皮葺、下重こけら葺。
こちらは2階建ての建物で、内部に階段が設けられています。

2階。
縁側には欄干が立てられ、欄干の柱を上に伸ばして庇の軒桁を支えています。
母屋の柱間は障子戸で、右奥に戸袋と思われる構造物が見えます。

第三屋の近くの小川には橋が架かり、橋の中央部に屋根が設けられています。パンフレットには「亭榭」と書かれていました。
「亭榭」の屋根は、唐破風造、左右両側面軒唐破風付、檜皮葺。


柱には禅宗様木鼻がつき、むくりのついた頭貫がわたされています。
妻飾りは板蟇股。五七の桐の紋があります。
月華殿と金毛窟

臨春閣第三屋から園内西端へ向かって階段を昇ると、天授院の手前に2棟の庵があります。こちらは向かって右(東)にある月華殿(げっかでん)。
一重、入母屋造、檜皮葺、庇こけら葺。
1603年(慶長八年)造営。三室戸寺(宇治市)の金蔵院の伽藍として造られたもの。1918年に現在地へ移築。
国指定重要文化財。

東面は斜面に突き出た構造になっています。
内部の欄間は狩野永徳が下図を描いたらしいですが、外からは見えませんでした。

月花殿の西側には金毛窟(きんもうくつ)。
1918年(大正七年)造営。
原三溪の設計で造られた茶室。内部は1.8畳ほどの広さで、床柱には大徳寺山門の欄干の古材が転用されているとのこと。
天授院

園内の西端の丘の上の区画には、天授院(てんじゅいん)が東面しています。
桁行4間・梁間3間、寄棟造(妻入)、茅葺。
1651年(慶安四年)造営。建長寺(鎌倉市)の近くにあった伽羅陀山心平寺という寺院で、地蔵堂として使われていたもの。1916年移築。移築後は原家の位牌を置く堂として使われていました。
国指定重要文化財。

正面は3間。中央は桟唐戸、左右は舞良戸。
軒裏は平行の二軒繁垂木。

桟唐戸と舞良戸の上には飛貫が通っています。
中央の柱間は、飛貫に藁座を取り付けて桟唐戸を吊っています。

柱は上端が絞られた円柱。頭貫と台輪に禅宗様木鼻がついています。
柱上の組物は出組。台輪の上の中備えにも出組が配されています(詰組)。
堂の周囲は立入禁止となっていて側面や背面を観察できませんが、側面は4間あり、奥行きの長い堂となっています。
旧天瑞寺寿塔覆堂

臨春閣の池の南側には、旧天瑞寺寿塔覆堂(きゅうてんずいじ じゅどう おおいどう)が北面しています。
桁行3間・梁間3間、入母屋造(妻入)、正面軒唐破風付、本瓦葺。
国指定重要文化財。
1591年(天正十九年)造営。大徳寺(京都市)の塔頭だった天瑞寺から、1902年に移築されたもの。
天瑞寺は豊臣秀吉が母(大政所)の長寿を祈願して開いた寺で、明治初期の廃仏毀釈で廃寺になりました。この覆堂は、大政所の生前墓(寿塔)を納めるための堂だったものです。

正面は3間。
中央の柱間は広く取られ、桟唐戸が設けられています。左右の柱間は連子窓。


桟唐戸の羽目板には唐草や天女の彫刻が入っています。
母屋柱は円柱で、禅宗様の礎盤の上に据えられています。基壇の石畳は四半敷き。


柱は上端が絞られ、頭貫と台輪には禅宗様木鼻。柱や頭貫には彩色の痕跡がうっすらと見えます。
柱上の組物は出組。
中央の柱間は中備えに彫刻があり、その上に虹梁と蟇股が配されています。唐破風の小壁の蟇股の彫刻は鳳凰。

左側面と背面。
側面や背面には、窓や建具はありません。頭貫の下の欄間彫刻は、背面にはありますが側面は省略されています。

背面の入母屋破風。
破風板の懸魚には鰭付きの三花懸魚。鰭は若葉の意匠。
奥まって見づらいですが、妻飾りは虹梁と大瓶束が確認できます。
聴秋閣と春草廬

臨春閣や旧天瑞寺寿塔覆堂の南側には、茶室や書院が点在しています。こちらは聴秋閣(ちょうしゅうかく)。
二重、上重寄棟造、下重入母屋造、総檜皮葺。
1623年(元和九年)造営。国指定重要文化財。
徳川家光の命により二条城(京都市)内に造られたもの。そののち稲葉正則の江戸屋敷に移築され、1881年に二条家の屋敷(現在の新宿区若松町)に移築され、1922年に現在地に移築されました。


北側の小川には飛び石の通路があり、玄関につながっています。

上層の望楼。
縁側には擬宝珠付きの欄干が立てられています。
ほか、目立った意匠はなく、軒裏はまばら垂木で、簡素かつ軽快な印象。

東面と南面。
窓が設けられ、跳ね上げ式の雨戸がついています。
南東の棟は軒先に庇がつき、入母屋造とも切妻造ともつかない造りです。

聴秋閣の東側には春草廬(しゅんそうろ)。
三畳台目茶室、切妻造、こけら葺。
安土桃山時代の造営。国指定重要文化財。
織田有楽斎(信長の弟)による設計という伝承があります。月華殿とともに三室戸寺金蔵院から1918年に移築。もとは月華殿と一体の建物で、移築にあたって月華殿から切り離され、広間と水屋を付加して現在の形式になりました。

南面向かって右側。
こちらの大きい棟は広間で、ガラス窓の引き戸と障子戸が設けられています。

南面向かって左。
写真中央の小さい棟が春草廬の本体(茶室)のようです。
窓が多く設けられていることから「九窓亭」の別名があります。
海岸門と上海横浜友好園

臨春閣などのある内苑から南門へ向かうと、途中の通路に海岸門が東面しています。
四脚門、切妻造、本瓦葺。
江戸後期の造営。御門と同様に大正時代に西方寺から移築されたもの。

柱はいずれも面取り角柱。
主柱の上には冠木が通り、梁の上に束を立てて棟木を受けています。

破風板の拝みには懸魚。大棟には鬼瓦。
目立った意匠があまりなく、簡素な造りです。

南門から園外に出ると、三溪園南側の湿地に上海横浜友好園という公園があります。三溪園とはあまり関係のない施設かと思いますが紹介。
構造や意匠の設計は上海市の監修を受けていて、江南様式の建築と庭園が再現されているとのこと。

湿地の浮島には独特な外観をした東屋が設けられています。
扁額には「湖心亭」とあります。

軒裏は円形断面の垂木が使われ、軒先に鼻隠板が張られています。
屋根瓦は日本の建築では見かけない技法で葺かれています。


休憩室らしき建物(王蘭庁)と、その南側の門。
王蘭庁は東屋と同様に軒の隅が大きく反り返り、独特な瓦葺きが採用されています。
以上、三溪園でした。
(訪問日2025/02/28)