今回は長野県飯田市の文永寺(ぶんえいじ)について。
文永寺は天竜川東岸の集落に鎮座する真言宗智山派の寺院です。山号は南原山。
創建は1264年(文永元年)。亀山天皇の勅願を受けた知久信貞が、醍醐寺の隆毫をまねいて開いたと伝わります。創建以来、勅願寺として隆盛しましたが、1554年(天文二十三年)に武田氏の侵攻を受けて境内伽藍を焼失しました。桃山時代に徳川家臣の朝日受永から寺領を安堵され、江戸時代を通して存続しました。
現在の境内伽藍は江戸時代以降に整備されたもの。境内南にある勅使門は信州では数少ない遺構で、室町時代のものらしいですが真偽は不明。ほか、梵鐘は鎌倉時代の鋳造とされ長野県宝、五輪塔と石室は鎌倉時代の造営で保存状態も良いことから国の重要文化財に指定されています。
現地情報
所在地 | 〒399-2607長野県飯田市下久堅1142(地図) |
アクセス | 駄科駅から徒歩20分 天竜峡ICから車で15分 |
駐車場 | 10台(無料) |
営業時間 | 随時 |
入場料 | 無料 |
寺務所 | あり(要予約) |
公式サイト | なし |
所要時間 | 15分程度 |
境内
山門(二天門)
文永寺の境内は西向き。境内入口は住宅地の生活道路に面しています。
山門は、桁行正面1間・背面3間、梁間2間、三間一戸、八脚門、入母屋、正面軒唐破風付、桟瓦葺。
左右の内部には増長天と多聞天の像が安置され、二天門とも呼ばれます。
正面の軒唐破風。
破風板の兎毛通は蕪懸魚。左右の鰭は若葉の意匠。
桁隠しも蕪懸魚が下がっています。
正面向かって右手前の柱。
柱は円柱。正面には木鼻、側面には唐獅子の彫刻がついています。
柱上の組物は出組。
正面には虹梁がわたされ、その上に台輪が通っています。中央の中備えは竜の彫刻。
唐破風の小壁には笈形付き大瓶束。
側面は2間。
前方の1間通りは吹き放ち。後方の1間通りは横板壁が張られています。
台輪の上の中備えは、彫刻の入っていない蟇股。
軒裏は二軒繁垂木。
入母屋破風には木連格子が張られています。
拝みには蕪懸魚。
内部。
左右の柱間には菱形の窓が設けられています。
内部の通路上には長押が打たれ、その上に彫刻の入った蟇股があります。
通路の左右の柱には、頭貫木鼻と台輪木鼻がついています。
奥には扁額が掲げられていますが、私の知識では判読できず。
背面全体図。
こちらは軒唐破風がありません。
本堂(阿弥陀堂)
境内の中心部は一段高い区画になっており、中央に本堂が鎮座しています。
本堂は、桁行3間・梁間4間、入母屋、向拝1間、桟瓦葺。
案内板によると、堂内の阿弥陀如来像は室町時代の作とのこと。
向拝は1間。
扁額は判読できず。
向かって右の向拝柱。
向拝柱は几帳面取り角柱で、状態が絞られています。側面には象鼻。
柱上の組物は連三斗。象鼻の上の巻斗で組物の肘木を受けています。
柱上の手挟は菊の籠彫り。
向拝柱と母屋をつなぐ懸架材はありません。
縋破風には蕪懸魚が下がっています。
前方の1間通りは吹き放ちの外陣となっています。
右手前の隅の柱。
母屋柱は上端が絞られた円柱。頭貫には木鼻がついています。
柱上には台輪が通り、組物は出三斗と平三斗。中備えは板蟇股。
後方の3間の柱間は横板壁。
縁側は切目縁。4面にまわされ、欄干はありません。
妻飾りは笈形付き大瓶束。
破風板に懸魚はありません。
背面は3間。
中央は引き戸、左右は横板壁が張られています。
外陣の内部には格天井が張られ、天井板には梵字が書かれています。
本堂向かって左側には名称不明の堂が南面しています。
宝形、向拝1間、鉄板葺。
向拝柱は面取り角柱。側面には象鼻。
手挟は波の彫刻。
勅使門と鐘楼
本堂向かって右、境内南の区画には勅使門が北面しています。
一間一戸、妻入唐門、こけら葺。
造営年不明。案内板(設置者不明)には“棟札によると桃山時代この屋根を修理したとのことが書いてあるが、足利時代に作られた唐様門である”とあります。
門扉は桟唐戸。
花狭間には五七の桐の紋があしらわれていますが、向かって左側の花狭間は経年により欠損してしまっています。
柱は円柱で、上端が絞られています。正面は唐獅子の木鼻、側面は頭貫木鼻と台輪木鼻があります。
柱上の組物は出三斗。
台輪の上の蟇股は、竜の彫刻。
組物と蟇股の上には妻虹梁がわたされ、大瓶束で棟木を受けています。
兎毛通は蕪懸魚。蕪懸魚の鰭と桁隠しの懸魚は、菊の花の意匠。
本堂のはす向かいには鐘楼。
切妻、桟瓦葺。
内部の梵鐘は年代不明ですが“鎌倉時代を降らない”とのこと*1。長野県宝。
頂部の竜頭や下端の造形が松原諏方神社(小海町)の梵鐘(1279年)とよく似ているため、鎌倉時代の鋳造と考えられています。
石室と五輪塔
本堂から山門のほうへ戻り、参道北側の民家のほうへ進むと、石室と五輪塔が南面しています。
石室の天井の銘より1283年(弘安六年)造営。「文永寺」2基として国指定重要文化財。
銘によると、当寺を開いた知久氏の一族の神敦幸(知久敦幸)による奉納で、製作者は奈良の石工・菅原行長なる人物とのこと*2。石室天井の銘や五輪塔の背面については飯田市の公式サイトで詳細を見ることができます。
側面および背面。
石室は、平らな屋根の上に棟木のような石材が置かれています。
文化庁のデータベースによると様式は“石造、切妻造”とのこと。
内部の石造五輪塔。石室と同年のもの。
五層の構造となっており、標準的な五輪塔です。
以上、文永寺でした。
(訪問日2024/12/30)