今回は長野県飯田市の開善寺(かいぜんじ)について。
開善寺は飯田市郊外の住宅地に鎮座している臨済宗の寺院です。山号は畳秀山。
南北朝時代に小笠原氏によって開基されたのが由来で、室町中期に幕府が定めた十刹(全46寺ある)にも選ばれている名刹です。伽藍は大部分が江戸期のものですが、山門は小笠原氏によって造営された室町後期のもので国重文となっています。
現地情報
所在地 | 〒399-2564長野県飯田市上川路1000(地図) |
アクセス | 時又駅または川路駅から徒歩20分 天竜峡ICから車で5分 |
駐車場 | 30台(無料) |
営業時間 | 随時 |
入場料 | 無料 |
寺務所 | あり(要予約) |
公式サイト | なし |
所要時間 | 20分程度 |
境内
参道と薬医門
開善寺の境内は南向き。
入口には両部鳥居のような冠木門(?)があり、苔むした参道の先に伽藍が広がっています。
参道の先には薬医門。
本瓦葺の切妻。正面1間・側面1間。柱は角柱。
扁額は判読できず。大棟には山号「畳秀山」。
門扉が閉じていますが、右のくぐり戸が開いているので奥へ進めます。
正面側に立てられた本柱はエッジがC面取りされた角柱。柱の正面には唐獅子の木鼻がついています。
背面から見た図。
後方には控柱(写真右)が立てられ、柱上では斗(ます)を介して梁を受けています。梁の上では板状の蟇股(かえるまた)が棟を受けています。
内部に天井はなく、化粧屋根裏。
全体的に無駄がなくシンプルにまとまった造りをしていると思います。
山門
薬医門の先には山門が鎮座しています。
山門は、三間三戸、八脚門、切妻、銅板葺。
案内板*1によると造営年は1549年(天文十八年)。国指定重要文化財。
柱は台盤の上に立てられ、貫で連結されています。
ほとんどの柱間は壁のない吹き放ちですが、側面の前方の1間だけは縦方向に壁板が張られています。
柱は上下端が丸くすぼまった粽(ちまき)になっています。木鼻は頭貫だけでなく台輪にもつけられています。また、写真右の組物は柱上ではなく柱間に置かれています(詰組という)。
粽柱、台輪木鼻、詰組はいずれも禅宗様建築の意匠です。
背面から見た図。こちら側はすべての柱間が壁のない吹き放ちになっています。
装飾がほとんどないシンプルな山門なので、背面側の意匠は正面側とほぼ同じです。
内部。前後の柱は梁でつながれ、中央には大瓶束(たいへいづか)が立てられています。
天井は組物によって支えられています。
左側面(西面)の妻壁。
妻壁は板でふさがれていて、なんとも味気ない雰囲気。案内板によると“当初の計画では二重門(二階建)であったと考えられていますが、何らかの理由で二階部分は造られず、一階部分に銅板葺の切妻屋根を載せています”とのこと。
言われてみると、楼門の2階の縁側まで造ったところで止めてしまい、半ばやっつけ仕事で屋根をつけたのだと察せられます。この山門は正面3間の門としては信州でも屈指の大きさで、もし2階まで造られていたら善光寺山門に次ぐくらいの雄大な楼門になっていたことでしょう。
本堂と鐘楼
山門を通って中庭の細道を進んで行くと、右手に鐘つき堂(鐘楼)があります。
鐘楼は銅板葺の入母屋。柱は円柱。
本堂は桟瓦葺の入母屋(平入)。
大棟の紋は菊。
本堂の玄関(?)は向唐破風(むこう からはふ)になっており、凝った意匠が見られます。
虹梁の上の中備えには蟇股が置かれており、その内部には小笠原氏の紋である三階菱。
蟇股の上の小壁には、笈形(おいがた)付き大瓶束(たいへいづか)が立てられています。特にこの大瓶束の造形がおもしろく、茄子をさかさまに立てたような意匠になっています。
最後に境内東側の裏道。
左は藤、右はアジサイ。開善寺は花の名所でもあるようです。
以上、開善寺でした。
(訪問日2020/06/27)
*1:飯田市教育委員会による設置