今回は長野県飯田市の開善寺(かいぜんじ)について。
開善寺は上川路地区の住宅地に鎮座する臨済宗妙心寺派の寺院です。山号は畳秀山。
創建は寺伝によると鎌倉時代で、地頭の江馬氏の開いた寺院が前身とのこと。実質的な創建は1335年(建武三年)で、信濃国守護の小笠原貞宗が清拙正澄を招いて中興したのが当寺のはじまりです。創建以来、小笠原氏の菩提寺として隆盛し、室町幕府の定めた十刹(全46寺)にも選定されています。室町後期は火災によって衰微し、1582年の甲州征伐でも織田氏の侵攻により境内を焼失しました。武田氏の時代や江戸時代も小笠原氏の崇敬がつづき、各地に転封された小笠原氏の一族によって同名の寺院が多数造られています。
現在の主要な伽藍は室町後期から江戸中期のものです。山門(楼門)は上層のない独特の構造で、室町後期の造営と考えられるため国の重要文化財に指定されています。また、多数の寺宝を所蔵しているほか、フジやボタンなどの花の寺としても知られます。
現地情報
所在地 | 〒399-2564長野県飯田市上川路1000(地図) |
アクセス | 時又駅または川路駅から徒歩20分 天竜峡ICから車で5分 |
駐車場 | 30台(無料) |
営業時間 | 境内は随時 |
入場料 | 無料 |
寺務所 | あり(要予約) |
公式サイト | なし |
所要時間 | 20分程度 |
境内
参道と総門
開善寺の境内は南向き。入口は住宅地の生活道路に面しています。
右手前の寺号標は「開善禅寺」。
入口の冠木門は前後に控え柱が付き、両部鳥居のような構造。銅板葺の屋根がかかっています。
参道の先には総門。扁額は私の知識では判読できず。
薬医門、切妻、本瓦葺。
1775年(安永四年)造営。
向かって左の主柱。
主柱は面取り角柱で、前面に唐獅子の木鼻が付いています。
主柱の上には冠木がわたされ、冠木から前方に腕木(妻虹梁)を持ち出して軒桁を受けています。
内部向かって左側。写真左が正面方向です。
主柱(写真中央左下)の後方には象鼻が出ていて、妻虹梁を持ち送りしています。
後方の控柱も面取り角柱が使われています。柱上には巻斗が置かれ、妻虹梁を受けています。
妻虹梁の上には板蟇股。
内部は化粧屋根裏で、軒裏は一重まばら垂木。
総門をくぐると、参道左手に名称不明の堂が東面しています。
入母屋(妻入)、向拝1間、桟瓦葺。
虹梁は渦状の絵様が彫られ、中備えは竜の彫刻。
向拝柱は几帳面取り角柱で、正面は唐獅子、側面は象の木鼻がついています。
母屋柱は面取り角柱。軸部は貫と長押で固定され、柱上に台輪が通っています。柱上の組物は出三斗。
窓の上の長押には、三階菱の釘隠しが使われています。三階菱の紋は、当寺を開いた小笠原氏の家紋です。
頭貫と台輪には禅宗様木鼻。台輪の上に中備えはありません。
山門
総門の先には山門が鎮座しています。
三間三戸、楼門(上層を欠く)*1、切妻、銅板葺。
室町後期の造営で、1549年(天文十八年)頃のものと考えられます*2。国指定重要文化財。
正面中央の柱間。
柱はいずれも円柱。上端が絞られた粽柱です。
柱間は貫でつながれています。
正面向かって右側。
頭貫と台輪には禅宗様木鼻があります。
柱上の組物は二手先で、中備えにも二手先の組物が配置されています。
組物の上には、小天井(上層の縁側の床板になる予定だったもの)が張られています。
右側面(東面)。
側面は2間。前方は縦板壁が張られています。ほかの柱間は吹き放ちです。
内部の中央の柱間。
内部は出組が使われ、天井を受けています。
内部の前後方向の梁。写真左が正面方向です。
柱の前後方向は、眉欠きと袖切のついた虹梁がわたされ、その中央に大瓶束を立てて天井を受けています。
背面。
中備えなどの意匠は正面と同様です。側面の柱間を除けば、ほぼ前後対称の構造です。
左側面(西面)の切妻破風。妻壁は板でふさがれています。
案内板(飯田市教育委員会)によると“当初の計画では二重門(二階建)であったと考えられていますが、何らかの理由で二階部分は造られず、一階部分に銅板葺の切妻屋根を載せています”とのこと。
おそらく、当初の計画では入母屋屋根の楼門になるはずだったのでしょう。しかし、上層の縁側を造ったところで造営が中断してしまい、簡素な切妻屋根をかけることで下層だけでも保存しようとしたのだと思います。この山門は正面3間の門としては県内でも最大級の規模の平面で、もし上層まで完成していれば善光寺山門 *3に次ぐ大きさの楼門になっていたと思われます。
本堂と鐘楼
山門を通って中庭を進んでゆくと、参道右手に鐘楼があります。
入母屋、銅板葺。袴腰付。
1631年(寛永八年)造営。
柱は円柱が使われ、柱上は大斗と実肘木を組んだものが使われています。
頭貫には拳鼻。
参道の先には本堂があります。
入母屋、桟瓦葺。
1719年(享保四年)造営。
玄関部分は向唐破風の庇がついています。
虹梁中備えは蟇股。こちらにも三階菱の紋が入っています。
唐破風の小壁には笈形付き大瓶束。大瓶束は、茄子をさかさまに立てたような意匠です。
境内東側には広い藤棚があり、その向かいにはアジサイが植えられていました。
以上、開善寺でした。
(訪問日2020/06/27,2024/03/30)