今回は長野県岡谷市の観音院(かんのんいん)について。
観音院は諏訪湖西岸の高台に鎮座する真言宗の寺院です。山号は龍光山。
創建は不明で、当初は諏訪大社の神宮寺に相当する寺院だったとのこと。江戸期には諏訪高島藩の藩主・諏訪氏によって再興されて現在に至るようです。境内には江戸中期の観音堂や昭和期に造られた諏訪御料人の供養塔、それに加えてアジサイの名所である小坂公園(おさか-)と隣接しています。
現地情報
所在地 | 〒394-0044長野県岡谷市湊4-15-22(地図) |
アクセス | 岡谷駅から徒歩50分 岡谷ICまたは諏訪ICから車で15分 |
駐車場 | 10台(無料) |
営業時間 | 随時 |
入場料 | 無料 |
寺務所 | なし |
公式サイト | なし |
所要時間 | 20分程度 |
境内
参道と小坂公園
県道16号線に面した駐車場に車を置いて観音院のある丘のほうへ向かうと、このように道が二手にわかれています。
右は「小坂観音院 由布姫の供養塔」、左奥は「小坂観音院入口 古道急坂近道」。
どちらも行きつくところは同じですが、前者は眺望のよい小坂公園を通るのでこちらが正規の表ルートといった雰囲気。後者は地元の人が古くから使っていた参道を再整備したもののようです。
今回は、行きは後者の近道を、帰りは前者の小坂公園を通りました。
こちらが表ルート(?)の小坂公園。駐車場から観音堂までの所要時間は片道5分程度。
参道のある北西の斜面が一面アジサイ園になっており、諏訪湖の眺望もまずまず。
後述の観音堂は平日の昼にもかかわらずそこそこの人出でしたが、ほぼ全員このアジサイが目当てで来た人だと思われます。
こちらは裏ルート(?)の近道。観音堂まで片道3分程度。
丘の南の急斜面を、短いスパンでつづら折れして登る道になっています。
写真は観音堂の前にある薬医門。近道を使うとこの門の前に到着するあたり、本来はこちらのルートが表参道だったのではないでしょうか。
門は鉄板葺の切妻。正面1間・側面1間。柱は角柱。一間一戸。薬医門という様式のもの。
柱間に梁がわたされ、結綿のない笈形付き大瓶束が棟を受けています。軒裏は垂木がなく、板軒。
観音堂(本堂)
参道を登りつめると、丘の上の平地に観音堂が南向きで鎮座しています。
観音堂は銅板葺の入母屋(平入)。正面3間・側面4間、向拝1間。母屋柱は円柱で、前方2間が吹き放ちの外陣、後方2間が内陣となっています。
案内板(岡谷市教育委員会)によると棟札より1715年(正徳五年)の造営で、大隅流の宮大工で地元の工匠である牛山善助と花岡磯右衛門の作。諏訪高島藩の4代目藩主・諏訪忠虎の寄進とのこと。
本尊は十一面観音。こちらは銘より1506年の作。諏訪湖に沈んでいたのを、漁師の網にかかってひきあげられたという伝説があります。
正面の庇を支える向拝柱は、几帳面取りの角柱。
2本の向拝柱は虹梁(こうりょう)でつながれています。中備えには牡丹が彫られた蟇股がありますが、電球の笠が邪魔になってしまっています。
奥の母屋にかかげられた扁額は山号「龍光山」。
向拝柱の正面には唐獅子の木鼻、側面には象の木鼻がとりつけられています。両者とも彩色されていたようで、一部の塗装が劣化に耐えて残っています。
木鼻の造形は時代相応といったところで、若干の粗さがなくはないですがかなり洗練されていると思います。後年の大隅流宮大工の傑作である諏訪大社下社春宮(下諏訪町、1779年)への流れを感じさせてくれます。
向拝を堂内から見た図。
向拝柱の柱上の組物は連三斗(つれみつど)。組物の上では波のような意匠が彫られた手挟(たばさみ)が垂木を受けています。
向拝柱と母屋をつなぐ梁はありません。
母屋柱は円柱が使われ、貫と長押で軸部が連結・固定されています。
柱上の組物は出組で、一手先に持出された桁の下には軒支輪が見えます。
軒裏は二軒(ふたのき)で平行の繁垂木。
左側面(西面)から見た全体図。
大棟の鬼板の紋は諏訪梶。諏訪大社の紋です。
破風板からは懸魚(げぎょ)が下がり、入母屋破風の妻壁には蟇股と妻虹梁、そして大瓶束が見えます。
縁側は壁面と直交に板を張った切目縁(きれめえん)。4面にまわされており、床下は縁束で支えられ、欄干はなし。
背面。
こちらはなぜか柱が2本追加され、柱間が5つになっています。
内部は一部が化粧屋根裏、中央部は格天井。
桟唐戸(さんからど)には彩色された諏訪梶の紋が描かれています。
その他の境内・伽藍
観音堂の手前には鐘楼。銅板葺の切妻。扁額は「鐘楼堂」。
1702年の造営で、梵鐘は戦時中に供出されたため戦後に鋳造されたもの(案内板より)。
観音堂の裏手には諏訪御料人(由布姫)の供養塔。
諏訪御料人(1530?-1555)は武田信玄の側室で、武田勝頼の母。なお、由布姫という通称は後世の創作によるものです。晩年を当地で過ごしたという説も、史実かどうか定かではありません。
この供養塔は昭和期に新しく作られたものであり、諏訪御料人の墓所は建福寺(伊那市)にあります。
境内の最奥には展望台があります。
展望台とは言ったものの、鉄パイプの骨組みにベニヤ板をのせただけの安価な造りで、頼りなさが否めません... 眺望はそこそこで、諏訪湖の北半分を見下ろすことができ、対岸には岡谷と下諏訪の市街地が望めます。
以上、観音院(小坂公園)でした。
(訪問日2020/07/13)