今回は長野県小海町の松原諏方神社(まつばら すわ-)について。
松原諏方神社は松原湖の湖畔に鎮座しています。
本殿は明治期のものですが比較的大きい流造で、本殿の裏手には重要文化財である梵鐘(野ざらしの鐘)が安置されています。
現地情報
所在地 | 〒384-1103長野県南佐久郡小海町豊里4316(地図) |
アクセス | 松原湖駅から徒歩40分 八千穂高原ICから車で20分 |
駐車場 | 3台(無料) |
営業時間 | 随時 |
入場料 | 無料 |
社務所 | あり(要予約) |
公式サイト | 松原諏方神社公式ホームページ |
所要時間 | 10分程度 |
境内
参道
松原諏方神社の境内は西向きで、松原湖の方向を向いています。
入口の鳥居は東向きで、拝殿の前で参道が180度折れ曲がります。
鳥居は木製の両部鳥居。扁額の字は「松原諏方神社」。
なお、この諏訪神社は言(ごんべん)がつかない「方」の字を使います。古い文書だと諏訪を「諏方」と記述していることが多々あるので、けっしておかしな表記ではありません。
拝殿
拝殿の前の鳥居は石製の明神鳥居。扁額はなし。
拝殿は銅板葺の入母屋(平入)。向拝なし。扁額は「松原諏方神社」。
正面の扉は引き戸、そのほかの壁面は蔀(しとみ)になっています。
拝殿の柱は角柱。柱には木鼻がついています。
柱上の組物は出組で、柱間には木鼻のついた蟇股。一手先に持出しされた桁の下には支輪が見えます。
軒裏は二軒(ふたのき)の繁垂木。
拝殿の側面を見てみると、この部分だけは台輪にも木鼻がついていました。
台輪木鼻は基本的に禅宗様の寺院建築の意匠で、神社では見かけないものです。
拝殿の隣には、諏訪系の神社に特有の御柱。
長さはそこそこですが、太さは本社の諏訪大社に匹敵するレベル。さすがに諏訪大社ほど荒く引き回すことはしないようで、柱の裏面はすり減っていません。
諏訪以外の地域にある神社では、御柱祭のあと数日から数か月で柱を片づけてしまうことが少なくないですが、この松原諏方神社では御柱を常設しているようです。
本殿
拝殿の裏には本殿。銅板葺の一間社流造(いっけんしゃ ながれづくり)。
造営は明治期で、明治二十一年に本殿が焼失したため奈良県の宮大工・小林源三郎勝長を招いて再建したのが現在の本殿とのこと*1。
祭神は諏訪神社なのでタケミナカタ。ほか、事代主とシタテルヒメも祀られています。本地仏は普賢菩薩だったようです。
屋根には千木と鰹木が載っており、鬼板には梶の葉が描かれていました。
正面は板戸で、縁側は3面にまわされたくれ縁、欄干は跳高欄(はねこうらん)。
軒下。寺社建築としては余りにもあっさりとしていて味気ない造り。
向拝柱は角柱、母屋柱は円柱というセオリーは守られているものの、軒裏はまばら垂木。
組物は使われておらず、柱上はシンプルな舟肘木のみ。虹梁や頭貫に木鼻はなく、蟇股も使われていません。妻壁は大瓶束ではなく豕扠首(いのこさす)。
全体的に、禅宗様や大仏様の装飾を徹底的に排除したような意匠。
背面。正面や側面があっさりだったので、当然こちらも味気ないです。
母屋の柱は「床上は円柱だが床下は八角柱」となっていることが多々あるので、私は必ず背面の床下を観察するようにしているのですが、その意図を見抜いたかのような巧妙さで母屋柱の床下が露出しないよう板で塞がれています。
松原諏方神社については以上。
松原湖の対岸にはこの神社と対をなす「下社」なる神社があるようですが、こちらの本殿がお世辞にも見ごたえのある内容とは言えなかった上、下社は本殿をまともに鑑賞できないようなので割愛。
ほか、松原湖に関する伝説もいろいろあるようですが、当ブログの趣旨とはあまり関係ないので割愛。
野ざらしの鐘
松原諏方神社の本殿の裏手には東屋のような小屋があり、そこに梵鐘が安置されています。
この鐘は国指定重要文化財らしいですが休憩用の東屋の中央に置かれていて、なんとなく雑な置かれかたをしているように見えなくもないです。
案内板*2によると1279年(弘安二年)に大和国(奈良県)で造られたもので、銘のある梵鐘として県内最古とのこと。
もとは佐久郡落合*3にあった新善光寺という寺院のものだったようですが、戦国期の武田氏の佐久攻めによって略奪され松原諏方神社に寄進されたとのこと。
“この鐘を屋根の下におくと、火事の難に遭うというところから、野ざらしにされ、以来『野ざらしの鐘』と称されている”ようです。ただ、現状はどう見ても屋根の下に置かれています。
以上、松原諏方神社でした。
(訪問日2020/02/23)