今回は長野県木曽町の熊野神社(くまの-)について。
熊野神社は信州を代表する名峰・御岳山のふもと、開田高原に鎮座しています。
国道から外れた場所にあって全く目立たない神社ですが、木曽地方では数少ない三間社の本殿があり、彫刻も凝っていて見応えのある内容となっています。
それと、かなり突っ込みどころのある案内板があったので、それについても解説したいと思います。
現地情報
所在地 | 〒397-0301長野県木曽郡木曽町開田高原末川1274(地図) |
アクセス | 木曽福島駅から車で20分 高山駅から車で1時間30分 |
駐車場 | なし |
営業時間 | 随時 |
入場料 | 無料 |
社務所 | あり(要予約) |
公式サイト | なし |
所要時間 | 10分程度 |
境内
参道と拝殿
たいていの神社は、鳥居をくぐると左側に手水があるものですが、この熊野神社の手水は鳥居の手前、しかも右側にあります。
手水はしっかりと水が出ており、よく手入れされているようです。境内にはいくつも小川が流れていて、水が豊富な様子。
鳥居は前後に角柱の稚児柱(ちごばしら)がついた両部鳥居。
鳥居から拝殿(?)まではせいぜい10メートル程度。
これが本当に拝殿なのか確信が持てませんが、賽銭箱があって参拝の作法(二礼二拍一礼)が書かれた張り紙があるので、拝殿ということでいいはず...?
下駄箱や置き傘があるあたりから察するに、集落の人たちが集会場として使うこともあるっぽいです。
神社なのに鐘が吊るされている理由は謎。
本殿
拝殿の右側から裏手にまわると本殿があります。
本殿は鉄板葺(あるいは銅板葺?)の三間社流造(さんけんしゃ ながれづくり)、向拝は3間で軒唐破風(のき からはふ)付き。正面3間・側面1間。
案内板(木曽町設置)によると1852年の建立とのことで、神社としては新しい部類に入ります。
屋根の棟の上には、御幣(稲妻型の紙をつけた棒のこと)が3本立てられていました。
正面のアップ。
向拝の虹梁(こうりょう)の上には龍の彫刻と題材不明の蟇股(かえるまた)。虹梁の手前には唐獅子の彫刻が突き出ており、両端の木鼻は象になっています。
白飛びして見づらいですが、唐破風から垂れ下がる懸魚(げぎょ)は鳳凰。
このような彫刻で満たされた社殿は、たいていが江戸期のものです。
母屋の正面は4本の柱と3つの扉で構成されています。柱と柱の間が3つあるので三間社。
側面。奥行き(梁間)が1間であるのが確認できます。
流造なので、屋根は正面側のほうが長くなっています。
陰になって見づらいですが、梁の上には蟇股と笈形(おいがた)があります。
案内板
冒頭に書いた案内板がこちら。境内の入口に設置されているものです。
設置者は「木曽町」とありますが、シールが貼られているあたり、合併前の開田村が作成・設置したものと思われます。
日本の社殿の様式は、伊勢神宮に代表される「神明造り」と出雲大社にみられる「大社造り」に大きく分けられます。
これは要するに「妻入と平入」のことを言っているのでしょうね。神明造は平入の社殿の原型、大社造は妻入の社殿の原型とされます。
この熊野神社は流造なので平入、つまり神明造の系統といえます。
ここまでは良かったのですが、
この熊野神社本殿は、後者の「大社造り」に属し、(中略)有名な「流唐破風造」の技法を汲んで...(以下略)
なにげなく案内板を読んでいたのですが、ここでこの本殿が大社造であるかのように述べる文章が出てきて、びっくりしました。
なお、このくだりは本来「神明造り」と書くべきところを間違えて「大社造り」と書いてしまっています。
そして“有名な「流唐破風造」”とのことですが、言いたいことは解るのですが、こういう言いかたは初めて聞きました... 少なくとも、この言いかたは有名ではないと思います。
案内板への突っ込みが済んだので境内の解説は以上。
お世辞にも交通アクセスの良い立地とは言えず、非常に目立たない場所にありますが、木曽地方で最大規模の立派な本殿を見ることができるので、開田高原を観光するついでに寄ってみるのが良いと思います。
以上、熊野神社でした。
(訪問日2019/08/31)