今回は東京都世田谷区の豪徳寺(ごうとくじ)について。
豪徳寺は豪徳寺地区の住宅地に鎮座する曹洞宗の寺院です。山号は大谿山。
創建は1480年(文明十二年)。当地は世田谷城があった場所で、城主の吉良政忠によって草庵が開かれたのがはじまりです。当初は臨済宗の寺院でしたが、1584年に曹洞宗に改められています。1633年(寛永十年)には彦根藩主の井伊直孝によって中興され、井伊直孝の戒名から「豪徳寺」の寺号に改められました。以降、井伊家の菩提寺として隆盛しています。平成期には開祖堂、地蔵堂、三重塔が建立されました。
現在の境内伽藍は江戸中期から近現代にかけてのもので、仏殿が区の文化財に指定されています。墓地には井伊直弼をはじめとする井伊家の墓があり、清凉寺(滋賀県彦根市)や永源寺(滋賀県東近江市)の墓所とあわせて国指定史跡「彦根藩主井伊家墓所」となっています。また、当時は招き猫の発祥地のひとつとされます。
現地情報
| 所在地 | 〒154-0021東京都世田谷区豪徳寺2-24-7(地図) |
| アクセス | 宮の坂駅から徒歩5分、または豪徳寺駅から徒歩10分 |
| 駐車場 | なし |
| 営業時間 | 06:00-17:00(※一般開放していない日もあるため公式サイトを要確認) |
| 入場料 | 無料 |
| 寺務所 | あり |
| 公式サイト | 大谿山 豪徳寺 |
| 所要時間 | 20分程度 |
境内
山門

豪徳寺の境内は南向き。入口は住宅地の生活道路に面しています。
山門の手前(南側)の参道には、50メートルほどの距離の松並木が立っています。

境内入口には山門。
四脚門、切妻造、銅板葺。

虹梁に掲げられた扁額は「碧雲関」。
扁額の裏には組物(組物)が配されています。

向かって右手前の控柱。
柱はいずれも円柱。
控柱の上端は絞られ、銅板の飾り金具がついています。頭貫には木鼻。柱上の組物は出組。

向かって右の妻面(東面)。
大虹梁の上には出三斗と蟇股が置かれ、二重虹梁の上では束が棟木を受けています。
破風板の拝みには鰭付きの三花懸魚。桁隠しにも懸魚があります。

内部の通路部分。格天井が張られています。
主柱(扉筋の柱)も上端が絞られ、飾り金具がついています。主柱の上には冠木が通り、中備えは透かし蟇股。

背面。
門扉は桟唐戸。
頭貫と台輪の上の中備えは詰組で、正面と同じです。
地蔵堂と鐘楼

山門をくぐると、境内東側の区画に地蔵堂と鐘楼があります。こちらは地蔵堂。
八角円堂、銅板葺。
2020年建立。

周辺は立入禁止となっていました。
柱は円柱が使われ、軸部は長押で固められています。軒裏は平行の二軒繁垂木。これらは和様の意匠です。
建具は桟唐戸、その上には弓欄間、組物は柱間にも詰組が見えます。これらは禅宗様の意匠です。

地蔵堂の北には鐘楼。
寄棟造、銅瓦葺。
造営年不明。

柱は面取り角柱。頭貫と台輪に禅宗様木鼻があります。柱上は出三斗。
台輪の上の中備えは蟇股。

内部に吊るされた梵鐘は1679年(延宝七年)の鋳造で、区指定文化財。
仏殿

境内の中心部には、本堂に相当する仏殿が南面しています。
桁行7間・梁間4間、一重、もこし付、入母屋造、瓦棒銅板葺。
1677年(延宝五年)建立。区指定文化財。
掃雲院が父(当寺を中興した井伊直孝)の供養のため造営したもの。掃雲院は黄檗宗に帰依していたため、この仏殿の細部意匠には黄檗宗寺院(萬福寺など)の影響が見られ、純粋な禅宗様建築とは異なる意匠で造られています。
堂内の仏像5躯も同年のもので、区指定文化財。

下層は外周の1間通りが吹き放ちの庇となっています。正面中央の庇の柱間には、絵様のない虹梁がわたされています。
柱はいずれも角柱で、四角い礎盤の上に据えられています。奥の母屋の柱の礎盤は、萬福寺の伽藍のものとよく似た形状です。
母屋正面の柱間はガラス窓の引き戸。

下層側面(西面)。
側面は縦板の腰壁が張られ、その上の壁面や欄間は白壁。
庇の柱と母屋柱は梁でつながれ、梁の先端は桁から突き出て、木鼻の意匠になっています。


上層。扁額は「弎世佛」(三世仏)。
柱は上端が絞られ、頭貫と台輪に禅宗様木鼻があります。
柱上の組物は、大斗と雲肘木のような部材を組んだもの。雲肘木で斗と肘木を持ち出して、軒桁を受けています。
軒裏は一重まばら垂木。

右側面(東面)。
上層側面は4間。組物などの意匠は正面と同様。
前方(写真左)から2間目の柱間に「選仏場」の扁額がかかっています。

入母屋破風。
破風板の拝みには蕪懸魚。左右の鰭は雲状の意匠。
妻飾りは金網がかかっていて見づらいですが、二重虹梁と思われます。大虹梁の中央に大瓶束が立てられ、その左右に蟇股が見えます。

背面。
下層の柱間は引き戸。上層の意匠は正面や側面と同様。
三重塔

本堂向かって左手前には三重塔が建っています。
境内案内板によると内部には仏舎利と釈迦如来像のほか、「招福猫児観音像」なるものも祀られているとのこと。
三間三重塔婆、銅板葺。
2006年建立。

初重東面。
柱は円柱。中央の柱間は板戸、左右は盲連子。
縁側はありません。

軸部の固定には長押が多用されています。
柱上の組物は和様の尾垂木三手先で、中備えは蟇股。蟇股の彫刻は干支で、こちらの彫刻は右から寅、卯、辰。


北面。
こちらの彫刻は右から亥、子、丑ですが、子(鼠)の彫刻の中央には招き猫が配されています。


二重。
初重と同様に3間四方で、中央は桟唐戸、左右は盲連子の窓。軸部は長押で固められ、頭貫木鼻はありません。
中備えは間斗束が使われ、中央の柱間は間斗束のかわりに招き猫が置かれています。
二重および三重には縁側があり、跳高欄が立てられています。

頂部の宝輪。
露盤の上に伏鉢、反花、九輪、水煙、宝珠といった構成。
その他の伽藍

三重塔の北側には招福殿という堂が南面しています。こちらは招福殿の門。
一間一戸、薬医門、切妻造、桟瓦葺。左右袖塀付。

招福殿は、入母屋造、向拝1間、桟瓦葺。
堂内には「招福観音菩薩立像」が安置されています。堂の左側には招き猫の土人形が並べられていました。

招福殿の東側には赤門が東面しています。1885年に井伊家の江戸屋敷から移築されたもの。
一間一戸、薬医門、切妻造、桟瓦葺。左右袖塀付。

仏殿の北側には法堂(本堂)。
RC造、入母屋造、向拝1間、銅板葺。
1967年竣工。
ほか、法堂の左奥には開祖堂、境内南西の墓地には井伊直弼の墓などもありますが、見落としていたため割愛。
以上、豪徳寺でした。
(訪問日2025/02/28)