今回は埼玉県狭山市入間川(いるまがわ)の八幡神社(はちまん-)について。
八幡神社は狭山市駅西側の市街地に鎮座しています。
創建は不明。社記によると1333年、新田義貞が鎌倉攻めの折に当社を参拝したようです。社宝「砂破利(さはり)の壷」(県指定文化財)は室町初期のものと推定され、公式サイトでは室町初期の創建と掲載されています。創建後の詳細な沿革は不明ですが、江戸時代には幕府から社領を安堵されています。
現在の境内は江戸中期以降のものです。本殿は江戸後期の建築で、壁面や軒下は多数の彫刻で埋め尽くされており、市の文化財に指定されています。
現地情報
所在地 | 〒350-1305埼玉県狭山市入間川3-6-14(地図) |
アクセス | 狭山市駅から徒歩10分 狭山日高ICから車で15分 |
駐車場 | 10台(無料) |
営業時間 | 09:00-17:00(境内は随時) |
入場料 | 無料 |
社務所 | なし |
公式サイト | 狭山市入間川総鎮守 八幡神社 |
所要時間 | 15分程度 |
境内
拝殿
八幡神社の境内は北西向き。めずらしい方角を向いています。
入口は県道50号線(狭山中央通り)に面した低い場所にあり、境内は崖のような地形の上にあります。
入口には石造神明鳥居。右の社号標は「村社八幡神社」。
境内東側にも出入口があり、駐車場はそちら側に設けられていますが、東側には鳥居がありませんでした。
石段の先には二の鳥居が立っています。
石造明神鳥居。
鳥居の左奥には手水舎がありますが、写真を摂り忘れたため割愛。
境内の中心部には拝殿があります。
入母屋、向拝1間 軒唐破風付、瓦棒銅板葺。
向拝の軒唐破風。
兎毛通には怪鳥(翼の生えた竜)の彫刻があります。
向かって左の向拝柱。
向拝柱は几帳面取り角柱。側面には牡丹をくわえた見返り唐獅子の彫刻があります。
虹梁は波状の絵様が彫られ、下面には「波に千鳥」を籠彫りした持ち送り材が添えられています。
柱上の組物は皿付きの出三斗を左右に2つ合わせた構成のもの。
虹梁中備えは竜の彫刻。
その上にも短い虹梁がわたされ、唐破風の小壁の羽目には菊水のような彫刻が入っています。
海老虹梁はクランク状に湾曲し、向拝の虹梁の位置から出て、母屋の長押の上の位置に取りついています。海老虹梁の向拝側には、波の意匠の持ち送りがあります。
向拝柱の組物の上では、板状の手挟が軒裏を受けています。
母屋は正面3間。扁額は「八幡宮」。
柱間の建具は桟唐戸。中央の柱間の桟唐戸は、上部の羽目に植物を題材とした彫刻が入っています。
左側面。
側面も3間で、柱間は板戸と横板壁。
縁側は切目縁が3面にまわされ、跳高欄が立てられています。
母屋柱は細い角柱が使われています。柱上の組物は実肘木のような形状のもの。
軸部の固定は長押が多用されています。木鼻や中備えといった意匠はありません。
左側面の破風。
大棟鬼板には「丸に一つ引き」の紋があります。
破風板の拝みには懸魚が下がり、左右の鰭は雲の意匠です。
妻飾りは暗くてよく見えませんが、妻虹梁らしき部材があります。
本殿
拝殿の後方は一段高い区画となっており、透塀に囲われた本殿が鎮座しています。
一間社入母屋、正面千鳥破風付、向拝1間 軒唐破風付、瓦棒銅板葺。
江戸後期の造営で、社記には「享和二年(1802年)の棟札があった」という記録が残っているようです*1。また、棟札には彫刻の製作者の名前も記録されており、上野国勢多郡(現在の群馬県前橋市周辺)の工匠らによって彫られたとのこと。
市指定有形文化財。
正面の軒唐破風と千鳥破風。
千鳥破風の内側にも彫刻がありそうですが、引いた場所から撮影できなかったため、詳細は観察できず。
正面の軒下。
向拝は1間。軒下や壁面だけでなく、床下まで彫刻で覆われています。
向拝柱には竜が巻きつき、虹梁まで竜の彫刻がはみ出ています。
向拝柱は角柱で、卍崩しの文様が彫られています。柱上の組物は連三斗を2つ重ねて拡張した構造のもの。
虹梁中備えには獅子のような獣を連れた老人の彫刻。
その上の唐破風の小壁の彫刻は、水がめの割れ目から子供が飛び出る構図。「司馬温公の甕割り」です。
向拝を左側面から見た図。
海老虹梁には梅と思しき花が浮き彫りされています。
向拝柱の上の手挟は、花鳥の彫刻が籠彫りされています。
縋破風の桁隠しには菊水の彫刻。
母屋の正面は1間で、板戸が設けられています。扉の左右の羽目には、唐獅子と牡丹の彫刻。
縁側は切目縁が4面にまわされ、欄干は跳高欄。昇高欄の親柱は擬宝珠付き。
正面の階段と浜床を、左側から見た図。
階段は角材で構成され、床下の柱や長押には文様が彫られています。柱や長押のあいだの欄間も彫刻で埋め尽くされており、階段の下の直角三角形の欄間は若葉の彫刻、その下の敷居の部分の欄間は波間を泳ぐ水鳥(オシドリ?)の彫刻。
母屋の縁の下。
縁の下は三手先の腰組で支えられています。腰組の下の持ち送り材は、竜、麒麟、波の彫刻となっています。
縁の下の柱間には何らかの故事の彫刻がありますが、私の知識では題材を特定できませんでした。
土台の長押の上の欄間彫刻は、波に鯉。
母屋の左側面。
母屋柱は円柱で、青海波の文様が彫られています。
こちらの彫刻は、巻物を広げた男性が中央に立った構図です。寒山拾得かと思いましたが、ほうきを持った僧(拾得)の姿が見当たらないため、別の題材かと思います。
縁側の脇障子にも彫刻があります。こちらは大きな壺の上で人が踊っている構図です。
側面の軒下。
右側面の軒下。
頭貫木鼻は唐獅子の彫刻。
柱上の組物は三手先。象の頭の木鼻が大量についています。
中備えには植物を題材とした彫刻が配され、支輪板にも波や菊水の彫刻があります。
右側面の彫刻。
中央には2人の男性が碁盤をはさんで向かい合っています。『捜神記』の北斗と南斗でしょうか。
脇障子の彫刻は、扇子をかざして踊る人物が彫られています。
脇障子の柱にも文様が彫られています。また、脇障子の上部の横木の上には、三猿の「見ざる」の彫刻があります。
背面の彫刻。
竹と思われる樹木が茂る中で、7人の男性がそれぞれ楽器を演奏しています。「竹林の七賢」でしょうか。
左側面の入母屋破風。
大棟には千木と鰹木が乗っています。
破風板には拝殿と同様に「丸に一つ引き」の紋があり、拝みに懸魚が下がっています。
破風板の奥の妻飾りには虹梁があり、その上下にも彫刻が入っています。
拝殿の手前にはこのような中門があります。
平入唐門、銅板葺。
主柱から前後に腕木を持ち出した構造で、兎毛通に鶴の彫刻があります。中門の左右は、本殿を囲う透塀に接続されています。
境内社
境内東側の区画には摂社末社が点在しています。
こちらは本殿の南側にある入間川神社。当地から出征した戦没者を祀り、戦後に造営されたもの。
本殿は、一間社流造、銅板葺。
こちらは境内東端の区画に西面する琴平神社。
金刀比羅神社の左隣には小社を並べた社殿があります。
入口には石造明神鳥居が立っています。扁額は「大鷲神社」。
大鷲神社のとなりには思兼神社。
社殿は、寄棟、桟瓦葺。
柱は円柱で、正面柱間には桟唐戸が使われています。
頭貫の位置には斜め方向に唐獅子の彫刻が出ていて、柱上の組物は出組。中備えの蟇股には花の彫刻、支輪板には波の彫刻が入っています。
境内社の立ち並ぶ区画の北側には、名称不明の社殿と神楽殿があります。
名称不明の社殿は向唐破風の屋根となっており、虹梁には波、欄間には鶴、兎毛通には竜の彫刻が使われています。ほか、頭貫木鼻や笈形付き大瓶束があります。
神楽殿は、入母屋、瓦棒銅板葺。
細い角柱のあいだに太い虹梁がわたされ、扁額は左横書きで「八幡神社 神楽殿」とあります。
以上、八幡神社でした。
(訪問日2024/05/31)
*1:狭山市教育委員会、狭山市文化財保護審議会の案内板より