今回は京都府京都市の賀茂別雷神社(かもわけいかづち-)について。
賀茂別雷神社は市北部の賀茂川東岸に鎮座する山城国一宮です。通称は上賀茂神社(かみがも-)。
創建は不明。『山城国風土記』逸文によると677年(天武天皇六年)に社殿を造営したらしく、飛鳥時代にはすでに確立されていたようです。平安時代には、都の鎮護として天皇家から篤く崇敬され、『延喜式』では名神大社に列しています。鎌倉以降も社領を安堵されていますが、室町中期の応仁の乱で主要な社殿を喪失したり祭礼が途絶したりしています。江戸時代は徳川家の崇敬も受け、徳川家康が当社を参詣したほか、勅命を受けた徳川秀忠によって境内や社殿の大整備が行われました。明治時代の社格制度では、賀茂御祖神社(下鴨神社)とともに官幣大社の筆頭に列しています。
現在の境内は江戸初期と江戸後期に整備されたもの。広大な境内には多数の社殿が点在し、本殿と権殿の2棟が国宝、楼門などの34棟が国指定重要文化財です。ユネスコ世界遺産の「古都京都の文化財」にも登録されています。
当記事では、アクセス情報および拝殿などの社殿について述べます。
庁屋などの境内東側の社殿については「その3」をご参照ください。
現地情報
所在地 | 〒603-8047京都府京都市北区上賀茂本山339(地図) |
アクセス | 北山駅から徒歩25分 京都東ICから車で40分 |
駐車場 | 150台(30分100円) |
営業時間 | 境内は随時、本殿などの拝観は公式サイトにて要確認 |
入場料 | 無料 |
社務所 | あり |
公式サイト | 上賀茂神社 |
所要時間 | 1時間程度 |
境内
参道と外幣殿
賀茂別雷神社の境内は南向き。入口は住宅地に面しています。
一の鳥居は明神鳥居。扁額はなく、額束です。
参道右手には外幣殿(がいへいでん)。
桁行5間・梁間3間、入母屋、檜皮葺。
1628年(寛永五年)造営。「賀茂別雷神社 34棟」*1のうちの1棟として国指定重要文化財。
柱は円柱。軸部は長押で固定されています。柱上は舟肘木。
中備えの意匠はありません。
内部は棹縁天井。
軒裏は一重まばら垂木。
縁側は切目縁。欄干はありません。
背面側(東側)の1間通りは土間になっています。
縁側はまわされておらず、柱間には縁側と同じ高さの腰壁が張られています。
入母屋破風には木連格子が張られ、拝みには梅鉢懸魚が下がっています。
参道に戻って先へ進むと、二の鳥居があります。こちらも明神鳥居。
一の鳥居は真南を向いていましたが、こちらは南西向きで、参道が右に45度ほど折れています。
この先の、境内北側の区画にある社殿は、ほぼすべてが国宝重文に指定されています。
楽屋
二の鳥居をくぐり、すぐ右手あるのが楽屋(がくや)。
桁行3間・梁間2間、切妻、檜皮葺。
前述の外幣殿と同様に、1628年造営で、「賀茂別雷神社 34棟」として国重文。
神楽殿のような吹き放ちの社殿ですが、縁側がなく、床も低めに造られています。
床板の位置や土台の部分に長押が打たれ、長押の間の壁面は縦板壁。
柱は円柱で、長押が打たれています。柱上は舟肘木。
前述の外幣殿とよく似た造り。
妻飾りは豕扠首。
拝みには梅鉢懸魚。桁隠しの懸魚はありません。
土屋(到着殿)
二の鳥居の先には、土屋、舞殿、拝殿の3棟が並び立っています。
こちらは向かって右端にある土屋(つちのや)。別名は到着殿。お祓いをする場所のようです。
桁行5間・梁間2間、入母屋、檜皮葺。
1628年造営で、国重文「賀茂別雷神社 34棟」です。
柱は簡素な礎石の上に立てられ、内部は柱が省略されています。
床は砂利が敷かれています。
内部は棹縁天井。
軸部は長押と頭貫で固定されていますが、頭貫に木鼻や中備えはありません。
柱上は舟肘木。
舞殿(橋殿)
土屋と拝殿のあいだには、橋とも神楽殿(舞屋)ともつかない社殿があります。こちらは舞殿(ぶでん)で、幕末のもの。
梁間1間・桁行6間、入母屋(妻入)、檜皮葺。
1863年(文久三年)造営。国重文。
側面は6間。前方の1間は、床や縁側がありません。
縁側は左右両側面に設けられ、跳高欄が立てられています。
柱は円柱、柱上は舟肘木。
正面の柱間の中備えには、束と舟肘木が入っています。
内部は棹縁天井。
後方から見た全体図。背面(北東面)の屋根には雪が残っていました。
背面には縁側や階段などはなく、床が途切れたようになっています。
正面の入母屋破風。
木連格子と梅鉢懸魚が使われています。
拝殿(細殿)
舞殿の左側には拝殿。別名は細殿(ほそどの)。
桁行5間・梁間2間、入母屋、檜皮葺。
1628年造営、国重文。
(※画像はWikipediaより引用、2009年頃の撮影)
こちらは通常時の写真。
建具がなく、4面すべての柱間が吹き放ち。
縁側は切目縁が4面にまわされ、欄干は跳高欄。正面には角材の階段が設けられています。
縁側には、防寒対策なのか、ガラス窓のついた壁が立てられています。
見づらいですが、母屋柱は円柱。柱上は舟肘木。
軒裏は二軒まばら垂木。
垂木や隅木、舟肘木の木口には金具がついており、ここまで紹介した社殿の中でも少し格上の造りに見えます。
側面は2間。
屋根の破風には、木連格子と梅鉢懸魚。
拝殿の手前には、立砂(盛砂)。
案内板いわく、神が降り立つ山を砂で再現したもので、鬼門に塩や砂をまく風習の起源らしいです。
手水舎と橋本神社
拝殿(写真右奥)の裏には手水舎。
切妻、檜皮葺。
こちらは、とくに文化財の指定や登録はないようです。
柱は面取り角柱。柱上は舟肘木。
妻飾りは蟇股。拝みには梅鉢懸魚。
手水舎のはす向かいには、末社の橋本神社が南面しています。
一間社流造、檜皮葺。見世棚造。
造営年不明。こちらも文化財指定はないようです。
向拝柱は面取り角柱。柱上は舟肘木。
母屋柱は円柱。柱上に舟肘木を置き、桁を受けています。
妻飾りは豕扠首。
破風板の拝みには猪目懸魚。
拝殿などの社殿については以上。
*1:文化庁のデータベース上のよみがなは“かもわけいかずちじんじゃ”となっている