甲信寺社宝鑑

甲信地方の寺院・神社建築を語る雑記。

【印西市】栄福寺

今回は千葉県印西市の栄福寺(えいふくじ)について。

 

栄福寺は市の南東部の集落に鎮座する天台宗の寺院です。山号は角龍山。

創建は不明。寺伝によると天平年間、行基によって開かれたとのこと。その後の沿革も不明。境内に並立する熊野神社とともに、神仏習合の霊場として信仰されていたようです。

現在の境内は、室町中期の薬師堂のほか、年代不明ですが鐘楼や熊野神社などが点在しています。

 

現地情報

所在地 〒270-2325千葉県印西市角田2(地図)
アクセス 印旛日本医大駅から徒歩20分
富里ICまたは成田スマートICから車で30分
駐車場 なし
営業時間 随時
入場料 無料
寺務所 なし
公式サイト なし
所要時間 10分程度

 

境内

薬師堂

栄福寺の境内は南東向き。

京成線の沿線はニュータウンの造成・開発が進んでいますが、栄福寺の周辺はまだほとんど開発が進んでおらず、のどかな趣。

境内に門や塀などはなく、敷地の中心に薬師堂が、その周辺に鐘楼や熊野神社が並んでいます。

 

薬師堂は、桁行3間・梁間3間、寄棟、向拝1間、茅葺。

1472年(文明四年)造営*1国指定重要文化財*2

 

棟札より造営年がはっきりと判っており、年代が明らかな建築のなかでは、千葉県内で最古のものです。

建築様式は同市の宝珠院観音堂と類似しています。内部は外陣と内陣にわけられ、外陣は鏡天井に極彩色で天女が描かれ、内陣は来迎柱を立てて須弥段を設けているとのこと。内陣外陣がわかれているため、この堂は密教本堂の一例と考えていいでしょう。

また、各所の意匠は和様のものと禅宗様のものが混在しており、折衷様の建築となっています。

 

向拝は1間。案内板によると、この向拝の部分は江戸中期の改修で付け足されたとのこと。

組物や蟇股の彩色は江戸初期あたりの作風で、母屋部分の古風な造りとくらべて、やや浮いた印象。

 

向拝柱は面取りされた角柱。面取りの幅は時代が下るにつれて小さくなる傾向があり、この柱は面取りが小さいため、さほど古いものではないとわかります。

柱の正面と側面には象鼻。

柱上の組物は出三斗。白をベースとした彩色で、これは安土桃山や江戸初期あたりの作風です。

 

虹梁の中央部には、菊と思しき花が描かれています。

虹梁中備えは蟇股。はらわたの彫刻は竹に虎。

 

向拝柱(写真右)の組物の上では、手挟ではなく四角い材で軒裏を受けています。向拝をあとから付け足したせいか、この辺りは造りが少々いびつに感じます。

海老虹梁は向拝の虹梁より若干高い位置から出て、母屋頭貫の位置に取り付いています。

 

縋破風。

桁隠しはついていません。

 

母屋正面は3間。

柱間は桟唐戸。これは禅宗様の意匠の建具です。

 

長押には藁座が付き、桟唐戸の軸を受けています。長押は和様の意匠、藁座は禅宗様の意匠です。

台輪の上の中備えは、蓑束。

 

母屋柱は円柱。上端が絞られた粽柱です。

柱の上部には頭貫と台輪が通り、禅宗様木鼻がついています。

組物は出三斗。実肘木ではなく通し肘木が使われ、組物と蓑束で一本の通し肘木を共有しています。

軒裏は一重まばら垂木。

 

左側面(西面)。

柱間は、舞良戸、板戸、縦板壁が使われています。舞良戸は和様、縦板壁は禅宗様の意匠です。

縁側は切目縁が4面にまわされ、欄干はありません。

 

背面。

中央は板戸、左右は縦板壁。

赤く塗られた軒裏に、分厚い茅が乗り、軒の出がかなり深くなっています。

 

熊野神社から薬師堂の後方を見た図。

屋根は寄棟ですが、大棟の横幅が短く、宝形に近い形状です。

屋根の茅は葺きなおして日が浅いようです。背面は向拝がないため屋根のシルエットがまっすぐで、正面よりも背面のほうが整然とした印象を受けます。

 

熊野神社

薬師堂の右手には鎮守社の熊野神社。

入口には木造両部鳥居。扁額は「熊野神社」。

 

拝殿は、入母屋、向拝1間、銅板葺。

 

向拝柱は几帳面取り。

正面には唐獅子の木鼻。目は墨で書きこまれ、にらみが利いています。

 

虹梁中備えは蟇股。竜の彫刻が入っていますが、細かすぎてよく解らない造形になってしまっています。

 

拝殿の内部には本殿。

様式はおそらく流造、銅板葺。

 

その他の伽藍

熊野神社の参道脇には鐘楼。

入母屋、茅葺形鉄板葺。

 

下層。

正面側面ともに2間。柱は角柱。

 

上層。

軒裏は吹き寄せ垂木。縁側の欄干は擬宝珠付き。

 

内部に鐘はありませんが、鐘が吊るされていたような形跡が残っています。私の想像になりますが、明治の廃仏毀釈で撤去されたか、あるいは戦時中に供出されたかのどちらかだと思います。

 

柱は上端が絞られた円柱。

頭貫と台輪には禅宗様木鼻。

 

薬師堂向かって左手前には、像がおさめられた小屋があります。

左は「印西大師 第六十五番」、右は「ビンズル大師 左甚五郎一夜の作」とあります。

「左甚五郎」と呼ばれる工匠の作のようですが、びんずる像なので撫でられて表面がすり減り、顔の造形がつぶれてのっぺらぼうになってしまっています。

 

以上、栄福寺でした。

(訪問日2022/11/19)

*1:棟札に「寛正七年(1466)六月柱立、応仁三年(1469)霜月上棟、文明四年(1472)二月二十三日成就」の墨書銘がある(印西市教育委員会の案内板より)

*2:附:厨子、棟札