今回は千葉県印西市の泉福寺(せんぷくじ)について。
泉福寺は市南部の丘陵の住宅地に鎮座する真言宗豊山派の寺院です。山号は不明。
創建および沿革は不明。1556年(弘治二年)に伽藍を焼失し、その後に現在の薬師堂が移築されたとのこと。
現在の境内伽藍は室町末期の薬師堂が残るほか、近現代のものと思われる山門と本堂があります。薬師堂は当地に類例の多い三間堂(正面側面3間の仏堂)で、国の重要文化財に指定されています。
現地情報
所在地 | 〒270-1616千葉県印西市岩戸1671(地図) |
アクセス | 印西牧の原駅から徒歩1時間 佐倉ICまたは四街道ICから車で30分 |
駐車場 | なし |
営業時間 | 随時 |
入場料 | 無料 |
寺務所 | なし |
公式サイト | なし |
所要時間 | 10分程度 |
境内
山門と本堂
泉福寺の境内は南向き。入口は丘陵上の住宅地に面し、小学校の敷地と隣接しています。
山門は、一間一戸、四脚門、切妻、銅板葺。
主柱は円柱で、前後の控柱は角柱。
内部に天井はなく、化粧屋根裏。
山門の先には、本堂と思われる堂。
入母屋、向拝1間、銅板葺。
向拝柱は几帳面取り角柱。正面と側面に木鼻が付き、柱上は出三斗。
虹梁中備えは蟇股。竜の彫刻が入っています。
母屋柱は角柱。柱間は連子窓や格子戸が使われています。
縁側は切目縁。側面の途中で途切れています。
薬師堂
本堂の手前で左手に曲がって境内の奥へ進むと、薬師堂が東面しています。
桁行3間・梁間3間、寄棟、茅葺。
室町末期の造営と考えられます。1685年(貞享二年)移築。国指定重要文化財。
建築の規模や様式は、同市の栄福寺薬師堂*1とよく似ています。堂内が内陣外陣に仕切られている点や、和様と禅宗様が混在する折衷様建築という点でも似通っています。ただし、栄福寺薬師堂は後世の改変で向拝が付加されたのに対し、こちらの泉福寺薬師堂は柱間の建具のほとんどが後世の改変のようです。
案内板の解説は以下のとおり。
(※前略)
桁行三間、梁間三間、寄棟造、茅葺で東面する、桁行より梁間の方がわずかに長い。四面には切目縁を廻し、後補の軒支柱を立てる。柱間装置は板壁以外、後世改変されたもので痕跡によると、正面三間は唐戸構え、両側面、前端間は引違戸 、北面中央間は全面板壁であったと考えられる。
内部は前寄り一間通りを外陣とし、内外陣境は現在開放となっているが、もとは三間とも中敷居を入れた、建具装置があったらしい。
内陣には側柱筋より後退して来迎柱を立て、来迎壁、須弥壇を設ける。須弥壇上には後補の厨子を置くが、厨子を納めるときに通肘木の中央部が切り取られている。
天井は外陣、内陣とも天井桁を廻わし棹縁天井を張る。
この堂は千葉県下に多い和様と禅宗様からなる三間堂の遺例の一つで、建具廻わりを除いては古材の保存がよく、垂木にも古いものがある。
中世における関東地方の建築の流れを知る上に重要なものである。
千葉県教育委員会
印西市教育委員会
正面は3間。
建具は桟唐戸。当初から桟唐戸が使われていたようですが、この戸は当初のものではないようです。
柱は円柱。
扉の上には長押が打たれ、長押に穴をあけて扉の軸を受けています。ふつう、桟唐戸は藁座という軸受けを使うのですが、この扉(桟唐戸)は神社風の古風な手法で取り付けられています。
柱の上部には頭貫と台輪が通り、台輪の上の柱間には詰組が置かれています。このあたりは寺院風の禅宗様の造りです。
長押は正面のみに打たれ、側面には使われていません。
柱は上端が絞られています。頭貫と台輪には禅宗様木鼻。
組物はいずれも出三斗で、通肘木を介して軒桁を受けています。
縁側は切目縁が3面にまわり、前方の1間通りの位置で途切れています。
左側面(南面)。
柱間は、引き戸と横板壁。
背面。
中央は引き戸、左右は横板壁。
当初は3間とも板壁(縦板と横板のどちらなのかは不明)だったようです。
母屋柱は、床下も円柱に成形されています。
軒裏は一重のまばら垂木。
薬師堂の右手(北)には鎮守社が南面しています。
向拝の中備えには竜の彫刻がありました。
以上、泉福寺でした。
(訪問日2022/11/19)
*1:現状は向拝がついているが、改変前は、桁行3間・梁間3間、寄棟、茅葺