今回は京都府城陽市の久世神社(くせ-)について。
久世神社は奈良街道の沿線の住宅地に鎮座しています。
創建は不明。関連性は不明ですが、境内付近には久世廃寺跡があります。当社周辺は鷺坂と呼ばれており、ヤマトタケルの伝説があることから『万葉集』にも詠まれたようです。室町後期に現在の本殿が造営され、明治時代までは若王社(にゃくおうしゃ)、華霊天神社(かりょう てんじんしゃ)などと呼ばれていました。
境内は、飛鳥時代~奈良時代の遺跡が点在する一帯にあり、参道はJR奈良線の踏切によって分断されています。室町中期に造られた本殿は、華やかな朱塗りの彩色で、国重文に指定されています。
現地情報
所在地 | 〒610-0102京都府城陽市久世芝ケ原142(地図) |
アクセス | 城陽駅から徒歩10分 城陽ICから車で10分 |
駐車場 | なし |
営業時間 | 随時 |
入場料 | 無料 |
社務所 | なし |
公式サイト | なし |
所要時間 | 10分程度 |
境内
参道
久世神社の境内は南向き。線路沿いの住宅地の一角にあります。
こちらは一の鳥居で、石造の明神鳥居が西向きに立っています。扁額は「久世社」。
鳥居の先には踏切があり、境内と参道はJR奈良線によって分断されています。踏切前に階段があるため、通行可能なのは歩行者のみ。
なお、近鉄・久津川駅のほう(北西)から自転車で久世神社本殿に行こうとしたところ、地図アプリ(Google Map)のルート案内ではこの踏切を大きく迂回していました。ちょっと気が利かないですが、ここはどう見ても公道ではないので、地図アプリの判断は妥当だと思います。
踏切をわたって進むと参道が左に曲がり、境内は南向きになります。
二の鳥居は石造の明神鳥居。扁額は「久世社」。
鳥居の左手には手水舎があります。切妻、銅板葺。
中門
久世神社には拝殿がなく、そのかわりに本殿前の中門が拝所となっています。
中門は、切妻(妻入)、桟瓦葺。
造営年代不明。私の予想だと江戸時代初期以降のもの。
正面。
しめ縄のかかった梁には、菊の紋と唐草が描かれています。梁の上には台輪が通っています。
組物は出三斗。中備えは蟇股。
妻虹梁は極彩色で怪鳥が描かれ、妻飾りは笈形付き大瓶束が使われています。
柱は角柱。細く面取りされています。
梁と台輪には禅宗様木鼻がついています。
破風板の拝みには、鰭付きの蕪懸魚。
右側面。こちらは中備えの蟇股がありません。
軒裏は二軒まばら垂木。
本殿
境内の最奥には、中門と透かし塀に囲われた本殿が鎮座しています。
一間社流造、桧皮葺。
室町中期の造営と考えられています。国指定重要文化財。
祭神はヤマトタケル。
向拝は1間。
柱間にわたされた虹梁には、極彩色で竜が描かれています。
中備えは蟇股。実肘木を使わず、巻斗で桁を受けています。彫刻の題材は、松に鶴。
向拝柱は角柱。やや小さめに角面取りされています。
柱の側面には象頭の木鼻。
柱上の組物は連三斗。象頭と巻斗で持ち送りされています。
案内板(城陽市教育委員会)によると室町時代中期のものらしいですが、面取りや彫刻や彩色から判断すると、私には室町末期から安土桃山時代のものに見えます。
向拝の下には角材の階段が7段。
階段の下には浜床が張られています。
母屋と向拝は、まっすぐな梁でつながれています。母屋側は頭貫の位置、向拝側は組物の上に接続しています。
母屋柱は円柱。柱は上端が極彩色に塗り分けられています。
軸部は長押と頭貫で固定。頭貫には木鼻がついています。
組物は極彩色の出三斗。中備えはありません。
妻飾りはシンプルな豕扠首。
破風板の拝みと桁隠しには猪目懸魚。
背面。
塀の陰になってしまいましたが、縁側は正面および両側面の3面にまわされ、背面は脇障子でふさがれています。
本殿向かって右(東)には2棟の境内社が鎮座していました。
以上、久世神社でした。
(訪問日2022/02/24)