今回は三重県名張市の名居神社(ない-)について。
名居神社は市東部の集落に鎮座しています。
創建は不明。『日本書紀』によると推古天皇七年(飛鳥時代)、各地に地震を鎮める神が祀られました。「なゐ」は地震を意味する古語であることから、当社は飛鳥時代に祀られた一社ではないかと考えられているようです。平安時代の『延喜式』には「名居神社」の記載があり、式内社に比定されています。江戸時代には国津大明神と呼ばれ、当地周辺の国津神社の惣社だったようです。
現在の境内社殿は江戸時代以降に整備されたもの。本殿は標準的な流造ですが、各部の意匠は独特の美麗な彩色で飾られています。
現地情報
所在地 | 〒518-0413三重県名張市下比奈知2092(地図) |
アクセス | 名張駅または桔梗が丘駅から徒歩40分 久居ICから車で1時間 |
駐車場 | なし |
営業時間 | 随時 |
入場料 | 無料 |
社務所 | あり(要予約) |
公式サイト | なし |
所要時間 | 15分程度 |
境内
参道と拝殿
名居神社の境内は南向き。正面の入口は集落の生活道路に面しており、境内の北と東は県道名張青山線が通っています。
一の鳥居は石造の明神鳥居。
参道の左手には手水舎。
切妻、桟瓦葺。
柱は几帳面取り角柱。木鼻は象鼻が使われています。
柱上は出三斗、中備えは間斗束。
妻飾りは角柱の束。
破風板の拝みには鰭付きの蕪懸魚。
二の鳥居および拝殿。
二の鳥居は石造の明神鳥居。扁額は「延喜式内 名居神社」で、式内社であることを強調しています。
拝殿は入母屋、向拝1間・入母屋(妻入)、銅板葺。詳細は写真を撮り忘れてしまったため割愛。
本殿
拝殿の後方には、塀に囲われた本殿が鎮座しています。
一間社流造、銅板葺。
造営年不明。私の予想だと、江戸中期以降のもの。
祭神は大国主。当社では地震避けの神として祀られた経緯があるようです。ほか、スクナビコナ、天児屋根、市杵島姫、事代主、ヒルコも祀られているとのこと(境内石碑より)。
虹梁は左右に眉欠きがあるだけで、唐草のない無地のもの。前面は青、下面は赤で錫杖彫りがあります。
虹梁中備えは蟇股。はらわたの彫刻は竜と思われます。
向拝柱は角柱。小さく角面取りされ、上端は幾何学的なパターンで塗り分けられています。
向拝柱の側面には唐獅子の木鼻。柱上の組物は連三斗。
母屋柱は円柱。上部は鱗のような独特のパターンになっています。柱上は連三斗。
海老虹梁は向拝の組物の上から出て、母屋の頭貫の位置に取りついています。
頭貫には象鼻が使われ、巻斗を介して連三斗を受けています。
長押にはタイルのような幾何学的なパターン、頭貫には菊の紋が描かれています。
中備えは蟇股。何かの故事を題材にしたと思われる人物像が彫られています。
正面の軒下には角材の階段が7段。
縁側は正面と両側面の3面にまわされ、欄干は跳高欄。背面側は脇障子を立ててふさいでいます。
壁面と脇障子にも人物像が描かれていますが、私には題材が解りません...
軒裏は二軒繁垂木。
破風板の拝みと桁隠しには猪目懸魚。
おそらく当初の屋根は檜皮葺かこけら葺で、その形状に合わせて銅板を葺いています。箕甲の分厚い曲面が美しいです。
屋根の上には千木と鰹木がそれぞれ2つ乗っています。
千木は先端が斜めにカットされた形状。千木はまっすぐな材を使い、棟の端に寄せて置くことが多いですが、この本殿の千木は曲線的な形状をしていて、棟の中央寄りの位置に置かれているのが風変わり。
鰹木は標準的な紡錘形のものが、千木に添えるようにして置かれています。
以上、名居神社でした。
(訪問日2022/02/23)