今回は寺社の基礎知識として、和様、大仏様、禅宗様および折衷様について。
寺社建築の3様式 意匠と構造による分類
建築には入母屋や流造といったように、屋根の構造による分類法があります。
それとは別に、日本の寺社建築には各所の意匠と構造による分類法があります。この分類法では、以下の3つの様式に大別できます。
- 和様(わよう)
- 大仏様(だいぶつよう)
- 禅宗様(ぜんしゅうよう)
和様は寺院・神社どちらでも使われる様式です。とくに神社建築はほぼすべてで和様が採用されています。
大仏様と禅宗様はもっぱら寺院建築で採用される様式です。
ただし、これら3様式は厳密に使い分けされているわけではなく、各様式が混ざり合った折衷様(せっちゅうよう)の建築も数多く存在します。
当記事では、和様・大仏様・禅宗様の3様式および折衷様について、詳細な解説と特徴的な意匠・構造を示していきます。あわせて、主要な例をいくつか紹介いたします。
和様(わよう)
和様の成立
(平等院鳳凰堂中堂、京都府、平安時代 ※画像はWikipediaより引用)
和様は平安時代に成立しました。
最初期の寺社建築は大陸の建築を模倣して造られたものでしたが、平安時代に遣唐使が廃止され国風文化が発展したことで、日本独自の寺社建築が確立されていきます。これが和様です。
和様は3様式のなかでもっとも古く、寺院と神社の両方で採用されます。とくに神社は古式を重視する傾向が強いため、ほぼ例外なく和様建築です。
なお、和様という呼び名は平安時代には存在せず、当時とくにこれといった名称はなかったようです。和様と呼ばれるようになったのは鎌倉時代で、鎌倉新様式(大仏様と禅宗様)の伝来を受けて、既存の様式を区別して呼ぶ必要に迫られたため和様という言葉が生まれました。
和様の特徴
和様の特徴を以下に列挙します。
大まかな傾向としては、装飾的な意匠が少ない、シンプルで素朴な印象を受けるものが多いです。
- 扉は板戸か蔀(しとみ)
- 壁は横板
- 高床で縁側をまわす
- 長押を多用する
- 木鼻を使わない(ただし時代が下ると木鼻を取り入れる例も出現する)
- 妻飾りは豕扠首(いのこさす)
(上半分を跳ね上げるタイプの蔀)
(柱の上部と下部に打たれた長押)
(青枠の箇所が豕扠首)
和様建築の例
和様建築の代表的な例を以下に列挙します。
和様は3様式の中でいちばん古く、多くの例が残っています。なお、神社本殿はほぼすべてが和様建築のため、ここでは特記しません。
当麻寺本堂(平安時代)
大法寺三重塔(鎌倉時代)
金剛輪寺本堂(室町時代)
園城寺金堂(安土桃山時代)
大仏様(だいぶつよう)
大仏様の伝来
(東大寺南大門、奈良県、鎌倉時代)
大仏様は鎌倉時代に伝来しました。
鎌倉初期、焼失した東大寺を再建するにあたり、重源(ちょうげん)が南宋から伝えた独特な建築様式が採用されました。これが大仏様です。
大仏様は後述する禅宗様との共通点も多々あり、あわせて鎌倉新様式と言います。基本的には寺院建築の様式です。
その豪快すぎる作風は日本の気風や感覚に合わなかったのか、ほとんど普及しなかったようです。とはいえ、部材単位では広く普及したものもあり、とくに大仏様木鼻の発展系は近世の和様建築にも取り入れられています。
大仏様は天竺様(てんじくよう)とも呼ばれますが、インド由来と誤解されるため、現在は一般的ではありません。また、大仏様(だいぶつさま)という言葉との混同を避けるため、重源様(ちょうげんよう)という呼びかたが提唱されていますが、あまり浸透していません。
大仏様の特徴
大仏様の特徴を以下に列挙します。
現存例が少ないですが、豪快な意匠と雄大な内部空間が特徴的です。
- 貫を多用
- 大仏様木鼻
- 挿肘木
- 通し肘木
- 天井を張らず内部の梁を見せる
- 化粧屋根裏
- 軒裏の垂木は一重
- 垂木は隅に行くにつれて放射状になる(隅扇垂木)
(大仏様木鼻)
(挿肘木と通し肘木)
大仏様建築の例
大仏様建築の代表的な例を以下に列挙します。
繰り返しになりますが、大仏様建築の現存例は少ないです。大仏様の意匠を観察できる遺構は、後述の折衷様建築がほとんどです。
東大寺南大門(鎌倉時代)
浄土寺浄土堂(鎌倉時代)
(※画像はWikipediaより引用)
東大寺大仏殿(江戸時代の再建)
禅宗様(ぜんしゅうよう)
禅宗様の伝来
(円覚寺舎利殿、神奈川県、鎌倉時代から室町時代前期)
禅宗様は鎌倉時代に伝来しました。
伝来の時期は大仏様より少し遅く、栄西などの禅僧らが大陸から伝えたといわれています。成立した年代は、はっきりと分かってはいません。
禅宗様は前述した大仏様との共通点も多々あり、あわせて鎌倉新様式と言います。こちらも基本的に寺院建築の様式です。
禅宗様建築は鎌倉以降、全国各地に造られました。現存例も多くあります。時代が下ると、大仏様との境界があいまいになったり、一部の意匠が神社にも使われたりします。
別名として、唐様(からよう)という呼びかたもあります。伝来当時、唐王朝はすでに滅亡していましたが、ここでいう“唐”は単に大陸由来という意味でしょう。現在は禅宗様と呼ぶのが一般的です。ただし、禅宗様建築は禅宗でない寺院で採用される例もめずらしくありません。
禅宗様の特徴
禅宗様の特徴を以下に列挙します。
大まかな傾向として、和様とくらべると非常に装飾的で、大仏様とくらべると非常に繊細な印象です。また、特徴的な意匠がとても多いです。
- 貫を多用し、長押を使わない
- 土間床で、縁側は設けない
- 軒反りが強く、軒裏は放射状の扇垂木(ただしもこしは反りがほぼなく、平行垂木)
- 内部は鏡天井と化粧屋根裏
- 禅宗様木鼻、台輪にも木鼻をつける
- 禅宗様の組物と尾垂木、詰組
- 弓欄間
- 火灯窓、桟唐戸
- 縦板壁
- 柱の上端と下端は粽、基部には碁石状の礎盤
(禅宗様木鼻と台輪木鼻が組み合わさった例。柱の上端は粽。)
(扇垂木と詰組)
(右手前の窓が火灯窓、中央の扉が桟唐戸)
(中央は鏡天井、左右は化粧屋根裏)
禅宗様建築の例
禅宗様建築の代表的な例を以下に列挙します。
現存例は各地に多くありますが、伝来当初のものは現存しません。鎌倉後期のものがごくわずかに残るだけで、ほとんどは室町時代から江戸時代です。
現存例の中には「一重、もこし付、入母屋」という屋根構造のものが数多くあります。これは禅宗様建築の典型で、シルエットが特徴的なため簡単に判別できます。
功山寺仏殿(鎌倉時代、一重、もこし付、入母屋)
(※画像はWikipediaより引用)
安楽寺八角三重塔(鎌倉時代)
清白寺仏殿(室町時代、一重、もこし付、入母屋)
天恩寺仏殿(室町時代)
専修寺如来堂(江戸時代)
瑞龍寺仏殿(江戸時代、一重、もこし付、入母屋)
折衷様(せっちゅうよう)
前述したように、和様、大仏様、禅宗様は厳密に使い分けされていたわけではありません。各様式が混ざり合ったり、各様式の長所の兼備(良いとこ取り)を狙ったりした建築も造られました。このような建築を折衷様建築といいます。
折衷様は鎌倉時代には成立しています。鎌倉初期の東大寺鐘楼は、すでに大仏様と禅宗様が混ざっています。そして鎌倉後期には和様と禅宗様、和様と大仏様といった組合せの折衷様建築が出現します。
折衷様建築の特徴は、2様式ないし3様式の特徴が散見されることです。言い換えると、折衷様ならではといえるような特徴はありません。
折衷様建築の例
折衷様建築の代表的な例を以下に列挙します。
現存例は全国に多くあります。傾向としては「和様をベースとし、大仏様または禅宗様が混ざった」ものが多いです。そして神社建築での採用例もあります。
東大寺念仏堂(鎌倉時代、大仏様と禅宗様)
鶴林寺本堂(鎌倉時代、和様と禅宗様)
(※画像はWikipediaより引用)
大善寺薬師堂(鎌倉時代、和様と大仏様)
歓心寺金堂(室町時代、和様と禅宗様)
吉備津神社本殿(室町時代、和様と大仏様)
(※画像はWikipediaより引用)
和様、大仏様、禅宗様および折衷様については以上。
次回の記事では、大仏様と禅宗様の歴史や、両様式のちがいについてさらに解説していきます。