今回は京都府城陽市の枇杷庄天満宮社(びわのしょう てんまんぐうしゃ)と水主神社(みずし-)について。
枇杷庄天満宮社
所在地:〒610-0117京都府城陽市枇杷庄大堀1(地図)
枇杷庄天満宮社(びわのしょう てんまんぐうしゃ)は木津川沿いの住宅地に鎮座しています。
創建は不明。近世までの沿革も不明。本殿は江戸初期の造営。1960年(昭和三十五年)、堤防の工事にともない、旧地から30メートルほど北の現在地へ移築したとのこと。
境内
枇杷庄天満宮社の境内は西向き。入口は集落の生活道路に面しています。
鳥居は石造の明神鳥居。扁額は「天満宮社」。
拝殿は、入母屋、桟瓦葺。
柱は角柱、柱上は舟肘木。
拝殿の奥には、中門と塀に囲われた本殿が鎮座しています。
本殿は、桁行3間・梁間2間、三間社流造、向拝3間、銅板葺。
1627年(寛永四年)造営。近在の宮大工の作とのこと。市指定有形文化財。
祭神は菅原道真(天神)。
向拝は3間。
中央の1間通りには、角材の階段が設けられています。
向拝柱は角柱。面取りの幅は、江戸初期にしては小さめに見えます。
虹梁は黒い線で唐草が彫られ、中備えは蟇股。蟇股の彫刻は、天満宮の象徴である梅と牛。
柱上の組物は出三斗と連三斗。
左右両端の向拝柱には象頭の木鼻がつき、巻斗を介して組物を持ち送りしています。
母屋の前面は緑色の吹寄せ格子。
海老虹梁は母屋の頭貫の位置から出て、向拝の組物の上に降りています。
母屋柱は円柱。軸部は貫と長押で固定されています。
柱上は平三斗と連三斗。中備えはありません。
妻飾りは豕扠首。
破風板の拝みと桁隠しには蕪懸魚。
頭貫木鼻は複雑な渦が描かれ、独特な雰囲気の意匠になっています。
背面。目立った意匠はありません。
縁側は3面にまわされ、背面側は脇障子でふさがれています。
本殿向かって左手には境内社。社名は不明。
いずれも一間社流造、板葺。見世棚造。
以上、枇杷庄天満宮社でした。
水主神社
所在地:〒610-0118京都府城陽市水主宮馬場30(地図)
水主神社(みずし-)は城陽ジャンクションに隣接した田園地帯に鎮座しています。
創建は、社伝によると崇神天皇の時代。史料では、平安時代には雨乞いの祈祷がされ、『延喜式』の式内大社に列しています。また、境内社の樺井月神社も式内大社に列しています。
境内
水主神社の境内は南向き。参道は近隣の田畑の農道も兼ねているようです。
左奥に見えるのは城陽ジャンクション。
社号標は、左が「府社 水主神社」、右が「樺井月神社」。
一の鳥居と二の鳥居は、両者とも石造の明神鳥居。扁額なし。
拝殿は、入母屋、桟瓦葺。
内部は通行できませんが、割拝殿の構造になっています。
右手前は手水舎。切妻、桟瓦葺。
拝殿内部。
虹梁には唐草が彫られ、しめ縄がかかっています。
奥には本殿が見えますが、格子戸がはめられていて、これより先へは進入できません。
拝殿の奥には、中門と透かし塀に囲われた本殿が鎮座しています。
本殿は、桁行正面1間・背面2間・側面2間、一間社流造、檜皮葺。
造営年不明。
祭神はニギハヤヒ、天香山命、山背大国魂命など計10柱。
祭神は合祀で増えたわけではなく、『延喜式神名帳』に「水主神社 十座」とあり、古来より10柱もの神が祀られていたようです。
向拝は1間。
象鼻などの意匠が確認できますが、金網に阻まれて本殿に近寄れず、詳細は観察できません。
側面は2間。柱間は横板壁。
縁側は3面にまわされています。欄干は跳高欄。背面側には脇障子。
母屋柱は円柱で、組物は木鼻のついた出三斗と平三斗。
妻飾りは笈形付き大瓶束。
破風板の拝みと桁隠しには、蕪懸魚が下がっています。
背面は2間。
本殿向かって右手前には、境内社の衣縫神社が西面しています。
一間社流造、檜皮葺。
祭神は、境内の手書きの案内板によると「衣類の女神」が2柱祀られているとのこと。祭神の具体的な名前は不明。
左手前は樺井月神社(かばいづき-)。東向き。
もとは別の場所に独立した神社として鎮座し、式内大社だったようです。当初の鎮座地については諸説あるようです。洪水を受けて1672年に現在地へ遷座し、水主神社の境内社となりました。
一間社流造、檜皮葺。
祭神はツクヨミ。
以上、水主神社でした。
(訪問日2022/02/24)