今回は奈良県大和高田市の専立寺(せんりゅうじ)について。
専立寺は大和高田の中心市街地に鎮座する浄土真宗本願寺派の寺院です。山号は如意山。別名は高田御坊。
創建は1600年(慶長五年)。大和国内における本願寺派の拠点のひとつとして隆盛し、周辺は寺内町となっています。江戸中期には大規模な境内伽藍が造られたようですが、江戸後期の火災で本堂などの主要な部分を焼失しています。
現在の境内伽藍は、江戸中期の表門や太鼓楼などが現存し、寺内町のなごりをとどめていることから市の文化財となっています。
現地情報
所在地 | 〒635-0087奈良県大和高田市内本町10-19(地図) |
アクセス | 高田市駅から徒歩10分、高田駅または大和高田駅から徒歩15分 橿原北ICまたは橿原高田ICから車で15分 |
駐車場 | 10台(無料) |
営業時間 | 随時 |
入場料 | 無料 |
寺務所 | あり(要予約) |
公式サイト | なし |
所要時間 | 10分程度 |
境内
表門
専立寺の境内は東向き。浄土系の寺院は西方を拝むため東向きに造られることが多いです。
表門は一間一戸、四脚門、入母屋、本瓦葺。
1794年(寛政六年)建立。
軒下は多数の彫刻で彩られ、江戸中期後期らしい派手な作風。
左右の築地塀も同年の建立で、屋根は重厚な本瓦で葺かれています。
前方向かって左の控柱。
几帳面取りの角柱で、上端はわずかに絞られています。
虹梁木鼻は象鼻。その下にも拳鼻が設けられ、内側の拳鼻は皿斗を介して虹梁を持ち送りしています。
柱上の組物は出組。
虹梁は唐草が彫られ、中備えは組物と彫刻が置かれています。中備えの彫刻は唐獅子。
内部にわたされた梁の中備えは、空間いっぱいに松に鶴の彫刻が配されています。かなり力の入った大作だと思います。
内部、向かって右側。
主柱と控柱は貫と長押でつながれ、欄間には透かし彫りの菊の彫刻がはめ込まれています。
飛貫と妻虹梁のあいだには雲状の持ち送り、妻虹梁と天井のあいだには雲状の蟇股が配されています。
内部は格天井が張られています。
向かって左側の外部。
側面には、木口を銅板でカバーされた冠木が突き出ています。
背面。
内部通路は公道というあつかいらしく、車両の接触事故を防ぐためガードレールがあります。
表門向かって右手前には野口雨情の歌碑。野口雨情は明治大正期の詩人で、しゃぼん玉、七つの子、赤い靴などの歌の作詞者として知られます。
歌碑は「高田御坊の 櫓の太鼓 叩きゃぽんと鳴り ぽんと響く」。
雨情が当地に逗留したとき耳にした太鼓の音をもとに作詩したもので、この歌碑は表門の改修と専立寺開基400年を祝って建立されたものとのこと。
太鼓楼
表門向かって右、北側には太鼓楼があります。
二重、入母屋、本瓦葺。
1786年(天明六年)建立。
境内内部から見た下層。下層は左右非対称の造りをしています。
南面・西面の母屋は軒先から少し下がっていて、前方の1間は壁のない空間になっています。
上層は前後対称の造りになっています。
母屋の壁面はしっくい塗りで、火灯窓が設けられています。
頭貫には拳鼻。組物は繰型のついた実肘木。
軒裏は一重の扇垂木になっています。
破風板の拝みには、鰭のついた三花懸魚。
大棟鬼板には格狭間のような意匠がついており、寺紋は見当たりません。
本堂
境内北端には通用門(山門?)。奥に見えるのは本堂。表門と同様に東向きです。
門は一間一戸、薬医門、切妻、桟瓦葺。
主柱の上には冠木が通り、女梁の上に男梁が出て、軒桁を受けています。
本堂は入母屋(妻入)、正面軒唐破風付、銅板葺。
1840年再建。
本堂の前方が玄関を兼ねた造りをしています。
玄関部分の中備えは、波に亀の彫刻。
左右の組物のあいだには虹梁がわたされています。
妻飾りは出三斗で、その両脇には肘木と笈形を兼ねた雲状の部材があります。このような部材は初めて見ました。独創的でおもしろい妻飾りだと思います。
正面の軒唐破風の兎毛通は、松に鶴の彫刻。
唐破風の上の鬼板は竜の意匠。
本堂の北側には寺務所らしき建物がありましたが、ご住職の私宅も兼ねている感じだったため写真は割愛。
寺務所の近くには「中川吉造工学博士顕彰碑」なる石碑がありました。
中川吉造(なかがわ よしぞう、1871-1942)は当地出身の土木学者。関東平野を流れる利根川の治水工事に尽力し、「利根川の主」と称されます。彼が主導となって造られた横利根閘門(千葉県香取市・茨城県稲敷市)は国重文に指定されています。晩年は故郷である大和高田の上水道の敷設工事に貢献したとのこと。
以上、専立寺でした。
(訪問日2021/11/20)