甲信寺社宝鑑

甲信地方の寺院・神社建築を語る雑記。

【北杜市】海岸寺

今回は山梨県北杜市の海岸寺(かいがんじ)について。

 

海岸寺は旧須玉町の山間に鎮座する臨済宗妙心寺派の寺院です。山号は津金山。

創建は寺伝によれば717年(養老元年)で、行基によって草創されたとのこと。平安末期には源義光(新羅三郎)ら武田氏の庇護を受け、室町初期に律宗から建長寺派に改宗しています。戦国期は織田氏による甲州征伐で境内伽藍を焼失しています。江戸初期には山火事で全焼していますが、1666年に即慶宗智和尚によって中興・再建され、同時に妙心寺派に改宗しています。

現在の境内は江戸中期後期に整備されたもの。高遠石工の石仏で知られる寺院のようですが境内奥には立川和四郎の造営した観音堂があり、立川流の彫刻を見ることができます。

 

現地情報

所在地 〒407-0321山梨県北杜市須玉町上津金1222(地図)
アクセス 長坂ICから車で20分
駐車場 10台(無料)
営業時間 随時
入場料 無料
寺務所 あり(要予約)
公式サイト なし
所要時間 20分程度

 

境内

山門と鐘楼門

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海岸寺の境内は南向き。

駐車場から境内へ向かうと、冠木門と高麗門を組み合わせたような奇妙な形式の門が東面しています。

 

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主柱は角面取り。

後方に控柱が立ち、主柱と控柱にわたされた桁の上に屋根がかかっています。これは高麗門の特徴。

 

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主柱のあいだにわたされた冠木には屋根が付き、主柱が屋根を突き破って上に出ていて、その上に小さな屋根が設けられています。

冠木門に屋根がつくのは風変わりだと思います。

 

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参道を進むと山門(仁王門)があります。

山門は一間一戸、寄棟、桟瓦葺。

 

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柱は円柱で、柱上は舟肘木。

母屋から腕木を伸ばして小天井と軒桁を設け、軒裏を受けています。

扁額は判読できず。

 

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山門の先には鐘楼門。山門・鐘楼門・本堂が一直線に南面して並び、禅宗寺院式の伽藍配置になっています。

鐘楼門は一間一戸、楼門、入母屋、桟瓦葺。

 

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下層。

柱は角柱で、前後の柱は貫で連結されています。

柱間に壁や建具はありません。

 

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柱の上部からは雲状の意匠の部材が伸び、上層の縁側を持ち送りしています。

 

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上層。

こちらは円柱が使われ、正面側面ともに1間。

軒裏は二軒繁垂木。

 

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頭貫には拳鼻。柱上は出三斗。

中備えなど、とくに目立つ意匠はありません。

 

本堂と土蔵

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本堂は入母屋、銅板葺。

柱間には舞良戸が使われ、その内側は障子戸になっています。

大棟の紋は笹竜胆。源氏の家紋のひとつで、武田氏の祖先にあたる源義光(新羅三郎)や源義清(武田冠者)あたりものと思われます。

 

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妻壁は二重虹梁。蟇股や笈形付き大瓶束が使われています。

破風板の拝みには鰭付きの三花懸魚。

 

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本堂向かって右には玄関。向唐破風、銅板葺。

象鼻、出三斗、大瓶束などの意匠が見られます。

 

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本堂向かって左から奥へ進んだ先には土蔵。宝形、銅板葺。

内部には位牌が置かれていましたが、名称がわからないため土蔵としておきます。

 

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正面には両開きの扉が設けられています。扉の左右の下端はなまこ壁。

扉の上には鏝絵で波に亀の意匠が造形されています。

扁額は判読できず。扁額の上は黒地に白で桜の花の意匠があしらわれ、軒下には笹竜胆の紋があります。

 

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側面。こちらは扉のかわりに窓が設けられ、鏝絵の装飾がついています。

開いた窓の戸板の内側は唐獅子。窓の上の小さい庇には鳳凰。窓の下には虹梁のような意匠があり、下端は火灯窓のような曲線で繰り取られています。

 

観音堂

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境内の最奥部には観音堂が鎮座しています。

桁行3間・梁間5間、入母屋(妻入)、向拝1間、銅板葺。

1865年頃の造営。諏訪の宮大工・立川和四郎富昌(2代目和四郎)によって造られたもの。旧須玉町指定建造物。

 

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向拝の全体図。

向拝や母屋正面は、立川流のお家芸といえる多数の彫刻で飾られています。

虹梁中備えには、豪快な造形の竜の彫刻が配されています。

 

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向拝柱は几帳面取り。柱上は出三斗。

木鼻は正面が唐獅子、側面が象。

 

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海老虹梁にも竜を彫刻することが多々ありますが、ここではふつうの海老虹梁が使われています。

向拝柱の上の軒裏には、菊の籠彫りの手挟。

 

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母屋の正面中央。

扉の上の欄間には何かしらの説話を題材にしたと思われる彫刻があります。

 

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欄間の上の中備えは蟇股で、2代目和四郎(富昌)の得意としていた「粟穂に鶉」の彫刻が入っています。

鶉(ウズラ)の毛並みや粟の粒の質感が写実的に造形され、案内板(須玉町教育委員会)では“富昌の芸術的才能をあますところなく発揮した名作”と絶賛されています。立川流の彫刻の傑作のひとつと言えるでしょう。

 

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母屋正面、向かって右。

こちらの欄間彫刻は寒山拾得。右側で巻物を持っているのが寒山、左側で箒を持っているのが拾得。両人とも唐代の僧侶で、数々の奇行が伝説に語られる人物です。

欄間の上の中備えの彫刻は「竹に雀」。

 

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向かって左。

欄間彫刻は伏せる獅子とそれに寄り添う老人が彫られています。

中備えは「松に鶴」。

 

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側面。

母屋柱はいずれも円柱。正面は桟唐戸が立てつけられていますが、側面前方は連子のついた引き戸になっています。

 

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側面の軒下。

こちらも中備えに彫刻があります。写真は牡丹と鶏。

 

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写真の彫刻は、左が米俵と馬、右がおそらく鳳凰。

母屋柱は上端が絞られ、柱の上部には頭貫が通り台輪がまわされています。

組物は二手先。桁下の板支輪には波と雲の意匠が彫られています。

 

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背面。こちらの柱間は板壁になっていました。

背面側の中備えにも彫刻が配されていましたが、すべて掲載しているときりがないので割愛。

 

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正面の入母屋破風。

破風の内部には力神の彫刻があり、虹梁をかついでふんばったポーズ。

破風板の拝みには鰭付きの懸魚が下がっています。

 

以上、海岸寺でした。

(訪問日2021/11/03)