今回は奈良県橿原市の称念寺(しょうねんじ)について。
称念寺(稱念寺)は市街南西にある今井の寺内町に鎮座する浄土真宗本願寺派の寺院です。山号は今井山。
創建は室町時代末期。浅井長政の家臣だった川瀬権八郎(今井兵部富綱)が、本願寺の顕如に許可を得て開山したのが始まりとされます。当初の今井町の周辺は堀と土塁が築かれていて軍事拠点としての性格が強かったようですが、織田信長の支配下に入ったのちは商業都市として栄えました。1877年に明治天皇が大和を行幸した際に当寺に立ち寄ったとのこと。
境内は手狭な寺内町の一角にあるため決して広くはないですが、本堂は江戸初期のもので、本願寺派(一向宗)の寺院の発展や変遷を知るうえで貴重な遺構であるため国重文に指定されています。
現地情報
所在地 | 〒634-0812奈良県橿原市今井町3-2-29(地図) |
アクセス | 八木西口駅から徒歩10分 橿原高田ICから車で10分 |
駐車場 | なし |
営業時間 | 随時 |
入場料 | 無料 |
寺務所 | なし |
公式サイト | 称念寺(稱念寺) 浄土真宗本願寺派 |
所要時間 | 10分程度 |
境内
山門
称念寺の境内入口は北向き。軽自動車1台程度の幅員の路地に面しています。
寺内町の「今井町」は国の重要伝統的建造物群保存地区(重伝建)に指定されており、この周辺には単体で国指定重要文化財に指定されている住宅が8件も点在しています。
門の左手にある標柱は「明治天皇今井行在所」。
山門は一間一戸、四脚門、切妻、本瓦葺。
この山門は明治天皇の行幸の際、談山神社(桜井市)から移築されたものとのこと。
正面側の柱は几帳面取りの角柱。
水引虹梁の中備えは出三斗。
水引虹梁と頭貫の木鼻は象鼻。くり抜かれていて、雲状の意匠になっています。
柱上の組物は出三斗。
妻飾りは笈形付き大瓶束になっています。
軒裏は二軒繁垂木。
内部の通路部分は板戸の門扉が立てつけられています。
門扉の上の中備えは蟇股。
内部は板の天井が張られています。
本堂
山門の右手には本堂。浄土系の宗派のためか、本堂は東向きとなっています。
台風や経年劣化を受けて2010年春から解体修理の工事をしているようで、完成は2022年春の予定。
工事中であることは事前に調査済みで訪問の予定はなかったのですが、自転車で近くを通りかかったので覗いてみると、境内に入ってもいいという旨の掲示があったため立ち寄りました。工事が完了したあかつきには再訪したいところ。
本堂は入母屋、向拝1間、本瓦葺。国指定重要文化財。
造営年不明。墨書より1671年(寛文十一年)に修理があったことが確認でき、遅くとも江戸初期の造営と考えられます。境内に掲示されていた新聞の切り抜き(読売新聞、2017/07/04)によると“解体中、堂内の木材から「寛文18年(1641年)、大工の金兵衛が建築に関わった」と記された墨書が見つかった”らしく、1641年ごろの造営とする新説が濃厚です。
向拝部分はほぼ工事完了の様子。
軒桁を兼ねた極太の水引虹梁が柱間にわたされている点が独特。さらに大斗が虹梁を直接受けるところも風変わり。
工事中だからこのような外観なのかと思いましたが、柱などを見てもほかの部材を取り付けるための穴などが見当たりません。これが完成形なのでしょうか。
母屋部分は保護のため仮設のベニヤ板が張られ、鋭意工事中といった状態。
母屋や内部の様子については下記のとおり。
(※前略)
側廻り、入側筋には、一間毎に面取り角柱を建てる等古式を踏襲している。
内部は、外陣と内陣に分け、正面に一間の「広縁」を取っている。外陣両端一間通りも古くは広縁と同様の納まりである。
外陣は、桁行七間、梁間六間、内陣は梁間二間で、中央に御本尊を祀り、左右に「余間」、「香房の間」、「飛檐間」を配し、後堂に通じる。
外陣の丸柱、虹梁、内陣、外陣の格天井、縁廻り、妻飾り等は、十九世紀前半頃の修理のものである。
(※後略)
橿原市教育委員会
通りから本堂右側面(北面)を見た図。こちらの面は軒下もしっくいで塗り固められています。
完成時は正面側や向拝部分の軒裏もしっくい塗りになるのでしょうか。
妻壁。こちらはすでに完成形のようです。
妻飾りは二重虹梁。板蟇股や大瓶束が使われています。
二重虹梁の上の妻壁には菊の花の紋。
破風板の拝みには鰭付きの三花懸魚。
鐘楼
本堂向かって右手前には鐘楼。
切妻、本瓦葺。
柱は円柱で、上端が絞られています。
虹梁の木鼻は獏。柱上に台輪がまわされ、台輪木鼻が設けられています。
組物は出三斗。中備えはくり抜かれた蟇股。
妻飾りは大瓶束。
破風板の拝みには鰭付きの蕪懸魚。
客殿
本堂向かって左手前は客殿。写真は玄関部分。
標柱は「明治天皇駐蹕之處」。
軒下の柱間は連子の欄間。
組物は出三斗が使われ、中央の中備えは竜の彫刻。
その上の唐破風の小壁には笈形付き大瓶束。大瓶束の左右の笈形は、牡丹に戯れる唐獅子の彫刻になっています。
柱は角柱。
頭貫木鼻は菊の籠彫。柱上には台輪がまわされていますが、台輪木鼻はありません。
軒裏は二軒繁垂木。
正面に設けられた軒唐破風の破風板拝みには鳳凰の彫刻が下がっています。
客殿の向かい、境内北東の端には太鼓楼。
二重、入母屋、本瓦葺。
1845年(弘化二年)造営。
上層は火灯窓、下層は縦板壁となっており、柱上には舟肘木が使われています。
以上、称念寺でした。
(訪問日2021/10/15)