今回は奈良県大和高田市の不動院(ふどういん)について。
不動院は大和高田の中心市街地に鎮座する真言宗御室派の寺院です。山号は不明、寺号は不動院。
創建は寺伝によると飛鳥時代で、聖徳太子によって開基された金輪山證菩提寺(きんりんざん しょうぼだいじ)という寺院が前身。当初は七堂伽藍を備えた大寺院で、奈良時代には光明皇后により再建されたようですが、その後は荒廃しています。室町中期には高田城主・當麻為長により現在の大日堂が再建されています。江戸期は当地の住人によって細々と存続していたようです。1873年(明治六年)に證菩提寺は廃寺になりましたが、廃寺になった同県吉野郡野迫川村の「不動院」の寺号を受け継いで大正前期に再興されました。
現在の境内は小規模なもので、往時の七堂伽藍の面影はありません。大日堂は室町期のものが現存しており、貴重な中世の密教本堂の遺構として価値があることから、国重文に指定されています。
現地情報
所在地 | 〒635-0082奈良県大和高田市本郷町8-15(地図) |
アクセス |
高田駅から徒歩5分、大和高田駅または高田市駅から徒歩15分 |
駐車場 | なし |
営業時間 | 随時 |
入場料 | 無料 |
寺務所 | なし |
公式サイト | なし |
所要時間 | 10分程度 |
境内
山門
不動院の境内は南向き。JR高田駅西側の商店街から狭い裏路地へ進んだ先の、あまり目立たない場所にあります。
境内入口には簡素な山門。寺号標などはありません。
一間一戸、薬医門、切妻、桟瓦葺。
肘木(女梁)と男梁で軒桁を持ち出す、標準的な薬医門。
ただし梁の前方(写真左)に後補と思われるつっかい棒が入っています。
山門の右手には名称不明の堂。
入母屋(妻入)、向拝1間、桟瓦葺。
虹梁中備えは竜の彫刻。向拝柱の側面には獏の木鼻。両者とも網がかかっていて少々見づらいのが残念。
母屋の扁額は「大聖歓喜天」。
大日堂
境内の中心部には大日堂が鎮座しています。
桁行5間・梁間4間、寄棟、本瓦葺。
案内板(大和高田市教育委員会)によると1483年(文明十五年)の再建。国指定重要文化財。
本尊は大日如来。
建築様式は瑞花院本堂(橿原市、1441年)や富貴寺本堂(川西町、1388年)とほぼ同じで、外観もそれらをひとまわり小さくした感じ。中世(鎌倉から室町前期)に見られる密教本堂という形式の仏堂の例のひとつです。
奈良盆地南部は真言宗(密教)の本拠地である高野山が近いためか、密教仏堂の遺構が多く残されています。
向拝および母屋正面。
向拝は1間。
向拝柱は角面取り。室町時代の中頃のもののため、面取りの幅はやや大きめに取られています。
木鼻は側面に拳鼻。繰型の渦巻の絵様がうっすらと残っています。
柱上の組物は出三斗。組物の上で軒裏を受ける手挟は板状の古風なもの。線彫りで繰型が入っています。
向拝の水引虹梁は、眉欠きだけ造形された無地のもの。中央には鰐口が下がっています。
中備えは蟇股。内側に彫刻があったものと思われますが、欠損してしまっています。
母屋は正面(桁行)5間で、正面中央の3間は桟唐戸。左右両脇の各1間は連子窓になっていて、この各1間の通りは脇間になっていると思われます。
母屋柱は円柱。柱上は舟肘木。
中備えは、正面および背面中央の桟唐戸の上にだけ間斗束が立てられ、実肘木を介して軒桁を受けています。
軸部は貫で固定されています。ただし木鼻は使われていません。
軒裏は平行の二軒繁垂木。
古風な和様の意匠をベースにしていますが部分的に禅宗様の意匠(桟唐戸、向拝の木鼻など)が使われていて、和様寄りの折衷様といったところでしょうか。
右側面(東面)。
側面(梁間)は4間で、前方の1間は桟唐戸が立てつけられています。
縁側は切目縁が4面にまわされ、背面側は脇障子が立てられています。
背面。
こちらは中央の1間だけが桟唐戸で、ほかはしっくい塗りの壁になっています。
中央の桟唐戸の上に中備えがある点は正面と同様。
境内の外から西面を見た図。
悠々とした曲線を描く寄棟の屋根が、心なし窮屈そうに境内に収まっています。
以上、不動院でした。
(訪問日2021/11/20)