今回は奈良県橿原市の橿原神宮(かしはら じんぐう)について。
橿原神宮は橿原市街の南側にある畝傍山や神武天皇稜に隣接して鎮座しています。
創建は1890年(明治二十三年)。天皇家の初代・神武天皇とその妃を祀った畝傍橿原宮が前身で、有志の請願を受けた明治天皇によって創建されました。
境内社殿は明治期に整備されたもので、伊東忠太による設計です。本殿は京都御所の建物を移築したもので、国重文に指定されていますがその全貌を見ることはできません。
現地情報
所在地 | 〒634-8550奈良県橿原市久米町934(地図) |
アクセス | 橿原神宮前駅から徒歩10分 橿原高田ICから車で10分 |
駐車場 | 800台(500円) |
営業時間 | 06:30-17:00 |
入場料 | 無料 |
社務所 | あり |
公式サイト | 橿原神宮 |
所要時間 | 30分程度 |
境内
参道
橿原神宮の境内は東向き。
一の鳥居は木造の明神鳥居。
境内の設計は東京帝国大学(東京大学)名誉教授だった伊東忠太によるもの。
伊東忠太は築地本願寺(東京都中央区)や東京都慰霊堂(墨田区)などモダンで前衛的な作風の寺社建築で知られますが、神社に対しては古式を重視していたようで、この橿原神宮もあまり奇をてらったところのない造りをしています。
石橋を渡った先には二の鳥居。
こちらも木造の明神鳥居。
参道を進むと、南神門の手前に手水舎があります。
切妻、銅板葺。
四隅の主柱は円柱で、その隣に細い控柱を立てて貫でつないでいます。
主柱と控柱の上には舟肘木。ひとつの組物(舟肘木)を2本の柱で共有するのはちょっと風変わりだと思います。
妻飾りは豕扠首。化粧屋根裏になっており、軒裏は一重まばら垂木。
破風板の拝みには猪目懸魚。
南神門
参道の先には南神門が南向きに鎮座しており、これをくぐって境内の中心部へと向かいます。
三間三戸、八脚門、切妻、銅板葺。
正面3間のすべてが通路になっており、その左右の門も通路になっているため、つごう5間の門にも見えます。
柱は礎石に建てられた円柱。軸部は貫でつながれています。
門の前方(南側)の内部。
この門は2つの屋根を前後に並べ、その上に大きな切妻屋根をかぶせて一体化したような内部構造をしています。
後方(北側)の内部。
柱上の組物は出三斗。虹梁の上には蟇股が置かれ、棟木を受けています。
門の先には広々とした空間が設けられ、外拝殿が鎮座しています。
奥に見えるのは大和三山のひとつ、畝傍山(うねびやま)。
南神門をくぐると、左手には神楽殿があります。
入母屋、檜皮葺。1996年再建。
柱は角柱で、正面側は上下に開くタイプの蔀、側面は両開きの板戸。
柱上の組物や、中備えといった意匠はありません。
妻飾りは豕扠首。破風板の拝みには蕪懸魚。
北神門
順番に行くと次は外拝殿になりますが、その前に北神門を紹介。
こちらは境内の北側の参道から来た場合に通る門。ほとんどの参拝者は南側から来ており、北側は駐車場もないため事実上の裏口のようです。
三間三戸、平入唐門、銅板葺。北向きです。
北神門の手前には手水舎。
切妻、銅板葺。
柱は角面取りされた角柱。
頭貫には大仏様の木鼻がついています。
柱上の組物は大斗と舟肘木。
妻飾りは板蟇股。破風板の拝みと桁隠しには猪目懸魚。
北神門の先には土間殿。
入母屋(妻入)、銅板葺。
文字どおり土間になっており、神社の社殿にしてはめずらしく床が張られていません。
造りは神楽殿っぽいですが、内部には参拝者用と思しき座席が置かれています。どのような用途で使われるのかは不明。
外拝殿
境内の中心部には外拝殿(げはいでん)が堂々と鎮座しています。東向き。
一般の参拝者が進入できるのはここまでで、この外拝殿の中で礼拝することになります。
外拝殿は入母屋、銅板葺。1939年建立。
柱は円柱。わずかに腰が膨らんだ形状をしています。
軸部は貫で連結されています。
軒裏は二軒繁垂木。
ほか、組物や中備えなどの意匠はありませんでした。非常にシンプルで古式を意識したらしい造りです。
外拝殿の中からは、内拝殿が見えます。奥にV字の千木が飛び出て見えますが、これは幣殿のようです。
内拝殿は入母屋、銅板葺。外拝殿と似た造りをしています。こちらも1939年造営。
幣殿及び本殿は見ることができません。なお、本殿は国重文に指定されています。
境内案内板に本殿の写真が載っていたので、これを掲載しておきます。
様式は入母屋(妻入)、檜皮葺。正面に檜皮葺の切妻屋根がついており、大社造の入母屋バージョンといった感じの造りです。
もとは1856年(安政二年)に京都御所の内侍所として造られたもので、1890年に明治天皇の命で移築されたもの。
祭神は神武天皇とヒメタタライスズヒメ。
以上、橿原神宮でした。
(訪問日2021/10/15)