今回は愛知県岡崎市の山中八幡宮(やまなか はちまんぐう)について。
山中八幡宮は岡崎市郊外の小さな山に鎮座しています。
創建は古く699年とされ、当地に住むものが霊夢を受けて宇佐神宮から八幡神を勧請したのが始まりのようです。戦国期には徳川家康が境内に隠れたという伝承があり、江戸期には徳川家からの寄進を受けています。社殿はあまり古いものではないですが境内の雰囲気はとても良く、境内は県の環境保全地域となっています。
現地情報
所在地 | 〒444-3511愛知県岡崎市舞木町宮下8(地図) |
アクセス | 名電山中駅から徒歩15分 岡崎ICまたは岡崎東ICから車で15分 |
駐車場 | 5台(無料) |
営業時間 | 随時 |
入場料 | 無料 |
社務所 | あり(要予約) |
公式サイト | なし |
所要時間 | 15分程度 |
境内
参道
山中八幡宮の境内は南東向き。
入口の鳥居は赤い木製の両部鳥居。主柱は内に転びがついており、扁額はなく額束が使われています。
社叢の茂った参道を登って行くと、二の鳥居があります。
二の鳥居は石造の明神鳥居。こちらも扁額なし。
鳥居の先には門。門扉のない間口が3つあり、三輪鳥居のような構成。あまり見かけないタイプの門です。
主柱は円柱、控え柱は角柱で、構造的に薬医門に近い造りをしています。
参道の右手には手水舎。桟瓦葺の切妻。
拝殿と本殿
拝殿は桟瓦葺の入母屋(平入)。正面に千鳥破風(ちどりはふ)、軒唐破風(のき からはふ)の向拝1間。
向拝の虹梁の上の中備えには蟇股(かえるまた)。蟇股の内部には、2羽の白い鳩が飛び立つ図が彫られています。この神社には、徳川家康が2羽の白い鳩のおかげで追手からのがれおおせたという伝説があるので、それにちなんだものでしょう。
その上では大瓶束(たいへいづか)が唐破風の棟を受けています。大瓶束の両脇には波の彫刻。
向拝柱の木鼻は白い唐獅子。柱の上では、雲間を飛ぶ龍が彫られた手挟(たばさみ)があり、軒裏の垂木を受けています。
いずれの彫刻も塗りなおして日が浅いからなのか、色鮮やかで見栄えがします。
母屋のほうにも蟇股がありますが、彫刻は入っていません。
頭貫の木鼻は拳鼻、柱上の組物は平三斗(ひらみつど)と出三斗、軒裏は二軒(ふたのき)の繁垂木。
妻壁。入母屋破風には妻虹梁や大瓶束、拝みの懸魚(げぎょ)などが見えます。
瓦や鬼板には三葉葵の紋が描かれています。
拝殿の後方には透かし塀に囲われた本殿が鎮座しています。妻壁や軒下を保護するためなのか、破風板の下に板をつけていて、妙な外観になってしまっています。
本殿は銅板葺の三間社流造(さんけんしゃ ながれづくり)。正面3間・側面2間。
造営年は不明。おそらく江戸後期かそれ以降のものでしょう。祭神は誉田別命などの八幡神。
破風板の桁隠しには波や牡丹が彫られています。
造形は良いほうだと思うのですが、前述の拝殿の彫刻とくらべるとどうしても地味な感が否めません。
側面および背面の軒下。
柱上の組物は出三斗や連三斗(つれみつど)などが使われていますが、梁や桁の持出しはありません。側面の柱間には彫刻のない蟇股、妻虹梁の上には大瓶束が確認できます。
右側面から見た図。向拝には格子の入った火灯窓が設けられています。
ほか、これといって装飾的な意匠はありません。本殿を囲う透かし塀が紅白で彩色されているせいもあってか、境内で本殿だけが沈んで見えるような気がします...
本殿後方の左右には境内社。両者とも銅板葺の一間社流造。しっかりと紅白に彩色されています。
作風は本殿よりも拝殿のほうが似ているので、拝殿と同時期に造られたものでしょうか。
以上、山中八幡宮でした。
(訪問日2020/09/12)