今回は山梨県大月市真木(まぎ)の諏訪神社(すわ-)について。
諏訪神社(真木)は大月市西部の集落の国道沿いに鎮座しています。
本殿はこの地域でよくある派手好みな入母屋で、全体がびっしりと彫刻で埋め尽くされています。また、案内板の解説が非常に充実しており、見ごたえのある内容となっています。
現地情報
所在地 | 〒401-0016山梨県大月市大月町真木1845(地図) |
アクセス | 初狩駅から徒歩30分 大月ICから車で5分 |
駐車場 | 5台(無料) |
営業時間 | 随時 |
入場料 | 無料 |
社務所 | なし |
公式サイト | なし |
所要時間 | 10分程度 |
境内
参道と拝殿
諏訪神社の境内入口は国道20号線に面しており、少し奥まったところに鳥居があります。
境内は南向き、鳥居は石製の明神鳥居。
こちらの鳥居は扁額がないですが、裏口の鳥居の扁額には「諏訪神社」とありました。
参道を進むと手水舎と拝殿があります。奥の社殿は本殿の覆い。
手水舎は参道の左手にあり、桟瓦葺の切妻。
拝殿は桟瓦葺の入母屋(平入)、向拝1間。
本殿
拝殿の裏には本殿が鎮座しています。
本殿は銅板葺の一間社入母屋(いっけんしゃ いりもや)、平入。向唐破風付きの向拝1間。大月市や都留市などの山梨県東部でよく見かける様式です。
1827年(文政十年)造営*1。
祭神は諏訪神社なのでタケミナカタが祀られています。
以下の解説は、私の素人解説よりも案内板*2のほうが厳密かつ詳細なので、そちらからの引用に譲ります。
向拝の柱は几帳面付きの角柱で桁行には、太い紅梁を架して先端に象鼻をつけ、柱上に皿斗つきの大斗をおき、通肘木のついた連三斗で軒唐破風の紅梁を支えています。
紅梁と輪垂木間の全体に竜が彫られ、兎毛通しには、下り竜を懸け、身舎をつなぐ海老虹梁には竜が彫られ、その先に獅子鼻がつき手挟にも鳳凰と菊の紋様が彫りこまれています。
昇り高欄つき木階五級を設け、前面に浜床を張っています。
身舎は花崗岩切石壇積上に立ち、円柱で、四面に切目長押、腰長押、内法長押をめぐらし、各柱間には頭貫を通し、その先端は獅子頭の木鼻としています。
斗棋(原文ママ、斗栱の誤字?)は禅宗様三手先で鳳凰頭が付き、軒は繁垂(原文ママ)で二重軒付、妻飾り、紅梁、妻板に彫刻が施され、破風板にかぶら懸魚をかけ、棟を箱棟とし両端に鬼板を付けています。
身舎のまわりは、三手先の腰組に支えられた擬宝珠高欄つき切目縁をめぐらし、その後方より脇障子を構え、それには右側(東)に仙人が手に持つ椀から竜が雲に乗って昇天する図、左側(西)には仙人の手に持つひょうたんから馬が飛出る図が、彫刻してはめられ、つなぎに竜と馬がからませてあります。
これらの画題は桃山時代によく描かれた「宗元道■図」(引用者注:■部判読不能)で禅宗の高僧の伝説や、道教の神話などを取り入れた「散聖人」、「禅会図」等と呼ばれる道教的内容を持つものです。
なお、高欄と腰下は、馬、鳥、魚、兎、虎等の彫りで埋められています。
最後に本殿の左正面。
全体を彫刻で埋め尽くした本殿は郡内地方では珍しくないですが、この本殿は正面の扉にまで人物像の彫刻が彫られている点が特徴的。
この扉はどうやって開くのか疑問に感じましたが、扉の彫刻をよく見ると中央にうっすらと割れ目が見えたので、どうやら通常の本殿と同様に観音開きになる様子です。
本殿の建築様式について長々と述べた案内板は、下記のように締めくくられています。
県内の社寺建築は、江戸時代から明治にかけて甲州流として名をはせた下山大工の作によるものが多いが、この宮をはじめ、郡内の寺社は相模、江戸系の職人によって作られたものが多いようです。
この本殿は、これらの職人の秀作で、特に彫刻の部分、部分の仕事の密度は高く、桃山時代の意匠構成は見事で、江戸末期の社寺建築として貴重な遺構です。
因みに本建築彫刻は八王子住人の藤兵衛親子の作と考証されています。
いちおう補足しておくと、この本殿は江戸末期の造営。脇障子などの欄間に彫刻をはめこむ技法が出現したのが安土桃山時代なので、それを指して“桃山時代の意匠”と言っているのでしょう。
以上、諏訪神社(真木)でした。
(訪問日2020/01/24)