今回は長野県長和町古町(ふるまち)の諏訪神社(すわ-)について。
諏訪神社(古町)は国道152号線沿いの長和町役場の北にある集落に鎮座しています。
社殿は当町出身の宮大工による立川流の本殿を見ることができます。また、境内には正八幡宮という摂社(?)があり、こちらもまた建築的に面白い箇所がいくつかあったので、あわせて紹介していきます。
現地情報
所在地 | 〒386-0603長野県小県郡長和町古町有坂2471(地図) |
アクセス | 上田菅平ICまたは東部湯の丸ICから車で30分 |
駐車場 | なし |
営業時間 | 随時 |
入場料 | 無料 |
社務所 | なし |
公式サイト | なし |
所要時間 | 10分程度 |
境内
参道と拝殿
諏訪神社の境内は東向きで、社号標と鳥居の扁額は「諏訪神社」。
鳥居は笠木が大きく反った明神鳥居で、扁額の周りには精緻な彫刻がついています。ここの彫刻は、明治期に立川流の武内八十吉という工匠によって造られたとのこと*1。
拝殿は鉄板葺の入母屋(妻入)。
内部に収められている絵馬は、狩野派の絵師によるものだそうですが、内部の拝観はできません。
本殿
拝殿の裏には本殿があります。
本殿は鉄板葺の一間社流造(いっけんしゃ ながれづくり)。
案内板の解説は下記のとおり。
一間社流造の本殿は、諏訪の宮大工・二代目立川和四郎富昌の弟子、大門出身の翠川文四郎によって寛政九年(1797)に建立されました。建物は安土・桃山様式の特長をもち、立川流の彫物は躍動感と優雅さが調和しています。
長和町教育委員会
“安土・桃山様式の特長をもち”のくだりが気になりますが、どのあたりが安土桃山風なのかは、これから各部の意匠を観察して確かめてみましょう。
まずは向拝(正面の階段をおおう庇)から。
写真中央左の角柱には紋様(もんよう)が彫られており、柱の前面と側面には唐獅子と象の木鼻が取り付けられています。2つの角柱をつなぐ梁の上には龍の彫刻があります。
写真右の母屋の正面の扉は桟唐戸(さんからど)で、その左右にも彫刻が配置されています。桟唐戸についている星のような紋は梶の葉で、諏訪系の神社であることを示す紋です。案内板に記述はないですが、祭神はタケミナカタでまちがいないでしょう。
角柱と母屋をつなぐ湾曲した梁(写真右端)には波の意匠が彫られ、その上のほうで屋根の桁と垂木を受けている手挟(たばさみ)にも立体的な波の彫刻が施されています。
このあたりは全体的に立川流らしい、言い換えれば江戸後期の作風で、安土桃山らしさは感じられません。
右側面。
向拝柱が角柱であるのに対し、母屋は円柱。これは寺社建築のセオリー。
母屋の円柱の上にある組物は、一手先の連三斗(つれみつど)というタイプのもの。
組物で持出しされた梁の上下にも波の彫刻があり、梁の上では笈形(おいがた)が添えられた大瓶束(たいへいづか)が棟を受けています。
縁側は正面と左右の計3面にまわされており、縁側の終端をふさぐ脇障子には竹が彫られていました。
壁板には前述の角柱と同じパターンの紋様が彫られており、ここはかなり特徴的。
縁側の脇障子に彫刻を配置するのは安土桃山時代あたりからなので、強いて言えばこの辺が案内板で言っている“安土・桃山様式の特長”でしょうか...?
背面。こちらは特に目立つ彫刻もなく、床下の柱も本数が少ないため、非常にすっきりとした印象。
母屋の柱は「床上は円柱だが床下は八角柱」という定番の手抜きがなされていました。これは室町以降の寺社建築で見られる工作です。
正八幡宮
つづいて諏訪神社の境内社と思われる正八幡宮。
しっかりとした鳥居があり、前後に稚児柱がついた木製の両部鳥居になっています。なお、稚児柱は石柱になっており、木材と石材が混用されています。
扁額は退色していましたが、文字のシルエットがはっきりと残っていたので「正八幡宮」と判読できました。
正八幡宮の本殿は鉄板葺の一間社流造。
様式としては、前述の諏訪神社本殿と同じ。
年代は不明ですが、各所の意匠からして江戸後期のものと思われます。
しかし側面を見ると、諏訪神社本殿とは作風がぜんぜんちがいます。
まず、ふつうなら柱上に置くはずの組物が柱間に使われていたり(詰組という)、縁側の床下は波のような意匠が彫られた板状の部材で支えられています。私の観察だと、これは山梨県の神社でよく見られる造りです。
以上、諏訪神社(古町)でした。
(訪問日2019/12/28)
*1:長和町教育委員会の案内板より