今回は長野県辰野町の法性神社(ほっしょう-)について。
法性神社は辰野の市街地の山際に鎮座しています。
境内に御柱が立っていることからわかるように諏訪大社の系統。社殿は明治期に造営されたもので、立川流の流れを強く受けた豪華な意匠が各所に見られます。
現地情報
所在地 | 〒399-0422長野県上伊那郡辰野町大字平出2203(地図) |
アクセス | 辰野駅から徒歩15分 伊北ICから車で15分 |
駐車場 | 5台(無料) |
営業時間 | 随時 |
入場料 | 無料 |
社務所 | あり(要予約) |
公式サイト | なし |
所要時間 | 10分程度 |
境内
参道と拝殿
法性神社の境内は西向きで、入口の石鳥居の扁額は「法性神社」。左奥には鉄板葺の手水舎。
県道19号線から法性神社境内に入るまでの路傍には、戦艦大和の記念碑など多数の石碑が並んでいます。戦艦大和については、艦長(有賀幸作氏)がこの地の出身だったためとのこと。
鳥居をくぐって階段を登ると、すぐに拝殿が現れます。
拝殿は銅板葺の入母屋(平入)で、正面に千鳥破風(ちどりはふ)、向拝は軒唐破風(のき からはふ)付き。
向拝の軒下。
写真の上端で見切れている鬼板には梶の葉。諏訪大社の紋です。
唐破風から垂れ下がる兎毛通(うのけどおし)は波の意匠の彫刻。
虹梁(こうりょう)にも波の意匠が彫られており、その両端の木鼻はこちらを振り向く龍の彫刻。虹梁の上には、もはや構造材として用をなさないほど繊細に彫刻された蟇股(かえるまた)が置かれています。
本殿
拝殿の裏には本殿があります。
本殿は銅板葺の三間社流造(さんけんしゃ ながれづくり)。正面3間?・側面2間、向拝1間で軒唐破風付き。
境内に案内板はないですが、『上伊那郡村誌』によると1878年に中村清之丞によって造営されたとのこと。
中村清之丞は当地(辰野町平出)出身の高遠藩に仕えた工匠で、立川流の宮大工・花岡源内に弟子入りしたようです。彼が関わった寺社には同町内の蚕玉神社、臼杵神社(箕輪町)などがあります。
向拝の軒下。
写真中央の角柱(向拝柱)と母屋をつなぐのは、派手な龍が彫刻された梁。ここを龍にするのは非常に立川流らしい作風です。
ほか、角柱の木鼻には唐獅子や象の彫刻が配置されていますが、こちらの造形は立川和四郎ほどのシャープさは無く、やや迫力に欠ける感がなきにしもあらず。
角柱の上で屋根裏の垂木を受けている手挟(たばさみ)も、この時代の立川流ならもっと立体的な籠彫りを使っていると思います。
全体的に大量の彫刻が配置されていて、力作であるのは間違いないです。とはいえ、やはり本家の立川和四郎などの彫刻と比べてしまうと、どうしても造形に見劣りを感じてしまいます。
階段と向拝柱の下には床(浜床)が張られています。階段と浜床の間にも彫刻が配置されており、非常に濃密な向拝となっています。
右側面の妻壁。
二手先の組物で虹梁が持出しされており、虹梁の上では大瓶束(たいへいづか)が大棟を受けています。
左前方から見た図。
母屋の正面には建具がなく、少し奥まったところに桟唐戸(さんからど)の扉が3つ並んでいます。
母屋の間口はどうみても1間ですが、扉が3つあって円柱で区切られており『上伊那郡村誌』にも“間口三間”とあったので、建築様式は三間社と判断しました。
中央の戸には梶の葉の紋があり、タケミナカタが祭祀されていることがわかりました。
しかし、境内入口の石碑によると誉田別、御産尊命(タカミムスビ?)、アマテラスも合祀されている様子。扉が1つの社殿に多数の祭神が祀られるのはおかしくないですが、3つの扉に4柱が祀られるのはちょっと奇妙です。近代の神社整理による統廃合の影響でしょうか。
床下。
先ほど正面3間・側面2間と書きましたが、床下を観察すると「正面1間・側面1間・背面3間」でした。
縁側の床板は、壁面と直交する切目縁(きれめえん)。左上に見切れている脇障子にも彫刻がありましたが、題材がよく解らなかったので割愛。
縁側の床下は、平三斗(ひらみつど)の組物と、蟇股で受けられています。
最後に本殿の背面。
母屋の背面は2本の円柱で構成されており、そのあいだに2本の角柱が立てられています。つごう4本の柱があるので、背面3間。
さすがに背面となると装飾は控えめで、梁と蟇股に波状の彫刻が見られるくらいでした。
以上、法性神社でした。
(訪問日2019/12/21)