甲信寺社宝鑑

甲信地方の寺院・神社建築を語る雑記。

【松本市】沙田神社

今回は長野県松本市の沙田神社(いさごだ-)について。

 

沙田神社は奈良井川の西岸の住宅地に鎮座する信濃国三宮*1です。

創建は不明。社伝によると649年(大化五年)、鷺沢嶽(現在の松本市波田)に勅命で神社が創られたのがはじまりで、平安時代に坂上田村麻呂によって社殿が造営されたらしいです。

史料では平安時代の『延喜式』に当社が記載され、式内社に列しています。鎌倉末期には戦災で社殿を焼失したとのこと。室町後期には小笠原氏家臣の島立右近貞永によって社殿が改修されたようです。

現在の境内は江戸後期から近現代にかけてのもので、社叢と長い参道が残されています。境内には御柱が立てられ、当社の御柱祭は「島立沙田神社の御柱祭り」として、市の無形民俗文化財に指定されています。

 

現地情報

所在地 〒390-0852長野県松本市島立三ノ宮3316(地図)
アクセス 上高地線大庭駅から徒歩10分
松本ICから車で5分
駐車場 10台(無料)
営業時間 随時
入場料 無料
社務所 あり(要予約)
公式サイト なし
所要時間 20分程度

 

境内

参道と鳥居

沙田神社の境内は東向き。境内入口は奈良井川の堤防に面した場所にあります。

一の鳥居は両部鳥居。扁額は「信州三宮 沙田神社」。

 

参道を進むと二の鳥居があります。

明神鳥居。扁額は「式内 沙田神社」。額縁に彫刻が入っています。

 

参道左手(南側)には鳥居の礎石があります。

一の鳥居はもともと境内東側の道路上にあったのですが、道路の拡張工事にともない2020年に現在地へ移転したとのこと。

 

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(※2019/06/22撮影)

こちらが移設前の一の鳥居。写真は境内東の堤防付近から撮ったもので、奥に見えるのが沙田神社の社叢です。

現在の一の鳥居は塗装されていますが、もとは素木でした。

 

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(※2019/06/22撮影)

こちらは移設前の二の鳥居。木造両部鳥居です。現在の一の鳥居のある場所に立っていました。

この二の鳥居の移転先については案内板に書かれていませんでした。

 

神楽殿

境内の中心部には、神楽殿、拝殿、本殿が一直線上に並んでいます。こちらは神楽殿。

入母屋(妻入)、桟瓦葺。

 

左側面(南面)。

正面の軒下には、孫庇がついています。

内部は棹縁天井です。

 

背面。

縁側は切目縁。中央部だけ切り取られたようになっています。欄干は擬宝珠付き。

 

入母屋破風。木連格子が張られています。

拝みの懸魚は、若葉の意匠。小笠原氏の家紋である三階菱があしらわれています。

 

拝殿

神楽殿の後方には拝殿。

入母屋、向拝3間 軒唐破風付、桟瓦葺。

 

正面の軒下。

向拝は3間で、各所に彫刻が配されています。

 

向かって左端の向拝柱。

几帳面取り角柱が使われ、側面の木鼻は波の意匠。

しめ縄が巻かれていて見づらいですが、組物は出三斗です。

虹梁の上には台輪が通り、中備えはありません。台輪は母屋の頭貫の上に使うことが多い部材で、ここに使うのはめずらしいと思います。

 

中央の唐破風の部分。

唐破風の小壁は、中央に三階菱が配され、その周囲は雲の彫刻。

 

唐破風の兎毛通は、松に鷹の彫刻。

 

向拝の側面。

隅(外側)の向拝柱の上では、手挟が軒裏を受けています。

向拝の軒桁は妙に縦長の部材が使われています。

母屋の正面には、格子戸が入っています。

 

母屋柱は角柱。

頭貫には木鼻が付き、柱上は台輪が通っています。

組物は出三斗と平三斗。中備えは蟇股。

軒裏は二軒繁垂木。

 

左側面(南面)の全体図。

側面の柱間は縦板壁。縁側はありません。

 

入母屋破風。

拝みには、独特な形状の懸魚が下がっています。

 

本殿

拝殿の後方には幣殿(中央の低い屋根)が伸び、本殿(左)が鎮座しています。

本殿は、神明造、銅板葺。

祭神は、ホオリ、トヨタマヒメ、スヒヂニ。

 

母屋柱は円柱、柱間は横板壁。

室外に立てられた棟持柱が確認できます。

 

破風板の拝み付近には、鞭掛があります。

大棟には棟覆板がつき、千木と鰹木が乗っています。鰹木は5本。千木は内削ぎ(先端を水平に切りそろえる)で、長方形の風穴があき、先端が二股になっています。

 

境内社

本殿の南側には、摂社末社(境内社)が並立しています。いずれも流造で、屋根は銅板葺または鉄板葺。

左から2番目の社殿には「御子安神社」という標柱があり、社殿の規模からみても、当社では格の高い境内社のようです。

 

境内北側にも、摂社末社をまとめた社殿が南面しています。

 

本殿の裏手には「物臭太郎の碑」なるものがあります。

案内板(設置者不明)いわく、“お伽草子の中の物語にある太郎の住んだ「あたらしの郷」は史実の「荒田郷」と想定され”、当社は荒田郷の鎮守だったらしいです。現在、荒田という地名は残っていないようですが、当地の西側にある新村地区には「ものぐさ太郎伝承地」という石碑もあります。

 

境内の裏手には鳥居が西向きに立っています。

木造明神鳥居。扁額は「沙田神社」。

 

以上、沙田神社でした。

(訪問日2023/04/17)

*1:穂高神社(安曇野市)も信濃国三宮とされる