今回は山梨県山梨市歌田(うただ)の金櫻神社(かなざくら-)について。
金櫻神社は市南部の住宅地に鎮座しています。
創建は景行天皇の治世(古墳時代)で、天橋立から橋立明神を勧請したのが始まりのようですが信憑性のほどは不明。山梨市内や甲府市に何件かある同名の神社とともに『延喜式』の論社に比定されている古社です。1583年に現在地へ遷座したとのこと。
社殿については江戸後期のもので、とくに本殿は甲州らしい作風の入母屋となっています。
現地情報
所在地 | 〒405-0024山梨県山梨市歌田723(地図) |
アクセス | 山梨市駅から徒歩40分 一宮御坂ICまたは勝沼ICから車で10分 |
駐車場 | なし |
営業時間 | 随時 |
入場料 | 無料 |
社務所 | なし |
公式サイト | なし |
所要時間 | 10分程度 |
境内
参道と拝殿
金櫻神社の境内および社殿は南向き。周辺は住宅地とモモ畑。
鳥居は石造の明神鳥居。扁額は「金櫻神社」。
拝殿は入母屋(平入)、正面軒唐破風付、桟瓦葺。
中央に軒唐破風がついていますが、通常の社殿とちがって向拝がないのが独特。
境内案内板(設置者不明)には元禄年間(1688-1704)の改築と書かれています。
柱はいずれも角柱。正面側の1間は吹き放ち。
柱上に肘木を置いて梁を受けており、中備えは束と肘木。
唐破風の下の虹梁は、繰型のついた持ち送りで持出しされています。虹梁の上は蟇股。唐破風の拝みには兎毛通。
内部の扁額は「金櫻神社」。
軒裏は二軒のまばら垂木。
本殿
拝殿の後方には塀に囲われた本殿が鎮座しています。
桁行1間・梁間1間、入母屋(平入)、正面千鳥破風付、向拝1間・軒唐破風付、鉄板葺。
案内板によると1790年(寛政二年)より5年にわたる改築が行われたとのこと。
祭神はイザナキ、イザナミ、アマテラスのほか、大国主とスクナビコナを加えた5柱。
正面にある通路のせいで向拝がよく見えないのが惜しいですが、屋根は問題なく観察できます。
正面には向拝軒唐破風だけでなく千鳥破風もついており、複雑な形状の屋根になっています。
棟はいずれも箱棟になっており、武田菱や菊の紋が描かれています。素木の鬼板には菊と五七の桐。
向拝柱と母屋は湾曲した海老虹梁でつながれています。
向拝柱の柱上の手挟は、松に鷹が彫られています。
写真では見づらいですが、母屋は正面の柱間から奥まった場所に扉が設けられています。
正面には角材の階段が5段。
昇高欄は擬宝珠付き。
母屋柱は円柱。上部には長押が打たれています。頭貫には青海波の文様がつき、木鼻は唐獅子。
組物は木鼻がついた三手先で詰組。木鼻は竜の頭のようなシルエットですが、よく見ると植物のツルが彫られています。
持ち出された桁の下には板支輪。組物のあいだには巻斗が並べられています。
軒裏は二軒繁垂木。
壁面は彫刻などの意匠はありません。
縁側は切目縁が4面にまわされています。背面側は脇障子で塞がれ、脇障子には竹が彫られています。
縁側の欄干は擬宝珠付きだったようですが、笠木が破損・欠損しています。
縁の下は三手先の腰組と波の持ち送りで支えられています。桁下の板支輪には波の彫刻。
破風板の拝みの懸魚は鶴。
鬼板は素木で五七の桐が描かれていますが、劣化が進んでぼろぼろの状態。
北面(背面)および西面。
案内板によると“本殿の改築は、京の番匠一先斉某の考案による戸板、欄干などの彫刻”とありますが、その戸板は見えず欄干は破損しており、ちょっと痛ましい状態。
とはいえ屋根の造形や軒下の彫刻は、この規模の本殿にしては立派で式内論社に恥じない内容です。
以上、金櫻神社(歌田)でした。
(訪問日2020/12/12)