今回は山梨県笛吹市の中尾神社(なかお-)について。
中尾神社は市南部、旧一宮町の住宅地に鎮座しています。
創建は平安期とされ、『延喜式』にも記載された由緒ある式内社です。武田氏からの崇敬も篤かったとのこと。境内は式内社にしては小規模で、社殿は江戸初期の本殿と明治期の拝殿があるくらいのシンプルな内容です。
現地情報
所在地 | 〒405-0053山梨県笛吹市一宮町中尾1331(地図) |
アクセス | 山梨市駅から徒歩1時間 勝沼ICまたは一宮御坂ICから車で10分 |
駐車場 | なし |
営業時間 | 随時 |
入場料 | 無料 |
社務所 | なし |
公式サイト | なし |
所要時間 | 10分程度 |
境内
拝殿
中尾神社の境内は南向き。
道路に面した入口には石造の明神鳥居。扁額は「中尾神社」。
拝殿は桟瓦葺の入母屋(平入)。軒唐破風(のき からはふ)の向拝1間。
明治期の改築とのこと。
大棟の紋は菊と武田菱。
向拝の軒下。
明治期のものなので、凝った彫刻がいくつか配置されています。
本殿
拝殿の裏には本殿が鎮座しています。
本殿は鉄板葺の一間社入母屋(いっけんしゃ いりもや)。正面1間・側面1間、向拝1間。正面に千鳥破風(ちどりはふ)。
一宮町(現 笛吹市)の案内板によると江戸初期の造営とのこと。
祭神は大国主とスクナビコナ。
案内板いわく“規模大ならずと雖も宮殿の形体に於いては欠くる所なく自から神威の尊さを仰がしむるに足る”らしいです。この記述はやや大げさな感がなきにしもあらずですが、式内社として可もなく不可もない本殿だと思います。
写真左の向拝柱は角柱、右奥の母屋柱は円柱。
軒先を支える向拝柱は、C面がやや大きめに取られています(大面取り柱)。寺社建築は古いものほどC面の幅が大きくなる傾向があります。
2つの向拝柱は虹梁(こうりょう)でつながれ、両端には雲状の木鼻、上の中備えには平三斗(ひらみつど)の組物。
向拝柱の柱上には連三斗(つれみつど)の組物があり、木鼻の上に載せられた斗(ます)も連三斗を受けています。
向拝柱と母屋柱は湾曲した海老虹梁(えびこうりょう)でつながれています。海老虹梁は軒裏すれすれを通っていて、母屋側をよく見ると頭貫の木鼻と一体化しています。たいていの本殿では海老虹梁と木鼻を別の部材にするか、ここだけ木鼻をつけないのが普通です。
正面には木階(きざはし:角材の階段)が5段。その下には浜床が張られています。
縁側は壁面と直交に張った切目縁が3面にまわされ、背面側は脇障子でふさがれています。欄干は擬宝珠付き。縁の下は縁束で支えられています。
母屋の柱上の組物は出組。一手先に持出しされた梁や桁の下には軒支輪が見えます。
また、普通なら組物は柱上に置くものですが、この本殿では柱間にも組物が置かれています。これは詰組(つめぐみ)という禅宗様建築の意匠なのですが、なぜか山梨県内の神社本殿ではしばしば詰組が使われます。
屋根はもともと檜皮葺だったようですが、鉄板で覆われています。
正面に千鳥破風があるので、棟はT字になっています。棟の鬼板は菊の紋。
破風板からは懸魚が下がっており、破風の内部は格子になっています。
境内社など
拝殿の前には境内社があります。
塀にかけられた扁額は「天満宮」。社殿は流造で、大棟には梅の紋が描かれています。
ほか、日露戦争に関する石碑や枯れた手水などがありましたが割愛。
以上、中尾神社でした。
(訪問日2020/05/24)