今回も京都府京都市の仁和寺について。
当記事では五重塔と九所明神について述べます。
五重塔
境内の東側には、五重塔が西面しています。
五間三重塔婆、本瓦葺。全高36.18メートル*1。
1644年(寛永二十一年)再建。「仁和寺 14棟」として国指定重要文化財*2。
初重の正面(西面)。扁額の梵字は、大日如来を意味する文字とのこと。
柱間は正面側面ともに3間。中央は板戸、左右は連子窓が設けられています。
初重には縁側がありません。
柱はいずれも円柱。
柱間には長押が多く打たれています。頭貫木鼻はなく、純粋な和様の五重塔です。
柱上の組物は、和様の尾垂木三手先。中備えは間斗束。
桁と母屋のあいだには、軒支輪と格子の小天井があります。
右側面および背面。
こちらも正面とほぼ同じ造りです。
二重。
上層は切目縁があり、欄干は跳高欄。
建具や組物、中備えなどの意匠は、初重(最下層)と同じです。
三重から五重。
案内板いわく下層と上層とで大きさにあまり変化がなく、逓減率の少ないプロポーションとのこと。
初重から五重。
いずれの重も、軒裏は平行の二軒繁垂木です。
頂部の法輪。
路盤の上に受花と九輪が乗り、その上には水煙がついています。
九所明神拝殿
五重塔の脇を通って境内東側の区画に入ると、九所明神(くしょみょうじん)が南面しています。
九所明神は当寺の鎮守社で、文字どおり9座の神が祀られています。当初は境内南にあり、1212年に現在地へ遷座したようです。
入口には石造明神鳥居。扁額はありません。
参道の先には拝殿。
桁行3間・梁間3間、切妻、左右両側面庇付、銅板葺。
造営年不明。文化財指定はとくにないようです。
建築様式は入母屋ではなく、切妻の左右に庇がついた様式です。軒先が折れ曲がった風変わりな様式ですが、日吉大社(大津市)の西本宮・東本宮本殿の背面とよく似ています。
向かって右手前の軒下。
中央の柱間(写真左)は板戸、左右の柱間は格子の引き戸。
柱は角柱で、柱上は舟肘木。
軒裏に隅木はなく、入母屋とは似て非なる構造。梁の中央部(写真中央上)から突き出た桁を境界にして、直交する軒裏をさばいています。
左側面および背面。ほぼ前後対称の造りです。
側面は3間で、中央の柱間が広く取られ、板戸が設けられています。
塀にかぶっていて見づらいですが、縁側は切目縁が4面にまわされています。
破風板の拝みには、猪目(ハート形)の穴が開いた梅鉢懸魚が下がっています。
妻飾りは豕扠首。
九所明神本殿 3棟
拝殿の後方には3棟の本殿が並立しています。本殿は、門と板塀に囲われています。
本殿はいずれも1641~1645年の再建で、「仁和寺 14棟」として国重文*3。
中央の本殿(中殿)には、石清水八幡宮が祀られています。
一間社流造、こけら葺。
母屋正面の間口は1間ですが、格子戸の奥には3組の扉が設けられています。
縁側は3面にまわされ、欄干は跳高欄。階段の欄干は擬宝珠付き。
向拝柱は几帳面取り角柱。
側面の木鼻は、白い象の彫刻。頭に巻斗が乗っています。
組物は連三斗。安土桃山風の極彩色です。
虹梁および中備え。
虹梁には極彩色で鳳凰が描かれています。袖切の部分には波の模様。
中備えは蟇股。彫刻の題材は連雀(あるいは鷹?)。
母屋柱は円柱。側面の柱間は白い横板壁。
長押には菱形の文様が描かれています。頭貫には唐草が描かれ、拳鼻がついています。
組物は出三斗。中備えは蟇股ですが、題材がよく解らず。
ほか、海老虹梁や豕扠首が見えますが、塀に阻まれて詳細な観察はできませんでした。
大棟の上には、外削ぎの千木が2つ。
左右に見切れている右殿と左殿には、千木も鰹木もありませんでした。
つづいて東側(向かって右)に鎮座する左殿。祭神は、上下賀茂神社(賀茂別雷神社と賀茂御祖神社)、日吉大社西本宮、八坂神社、伏見稲荷大社の4座が祀られています。
桁行4間・梁間1間、四間社流造、向拝3間、こけら葺。見世棚造。
母屋の柱間は正面4間あり、四間社というめずらしい様式です。格子戸の奥には、4組の扉があります。
向拝部分は中央の柱が1本省略され、向拝3間となっています。
こちらは西側(向かって左)に鎮座する右殿。祭神は、松尾大社、平野神社、日吉大社東本宮、木嶋坐天照御魂神社の4座が祀られています。
桁行4間・梁間1間、四間社流造、向拝3間、こけら葺。見世棚造。
左殿と同じ様式や意匠で造られています。左殿と右殿は、中殿とくらべて意匠が簡略化されています。
向拝柱は面取り角柱、母屋柱は円柱。柱上は舟肘木。
縁側や中備えが省略されています。
以上、仁和寺でした。
(訪問日2023/02/23)