今回は滋賀県東近江市の高木神社(たかぎ-)について。
高木神社は市南部の近江鉄道沿線の集落に鎮座しています。
創建は不明。麻生荘の総社であり、社伝によると『三代実録』の855年(貞観七年)の記事にある近江国の「浅生神」は当社とのこと。境内社の日吉神社は、1338年(建武五年)に足利尊氏が日吉大社(大津市)から分祀したものと伝えられています。その後の詳細な沿革は不明。
現在の本殿2棟は滋賀県でよく見られる前室付きの流造。室町時代の造営と考えられ、国指定重要文化財です。また、本殿の手前に立つ石灯篭は鎌倉時代のもので、こちらも重要文化財となっています。
現地情報
所在地 | 〒529-1521滋賀県東近江市蒲生岡本町709(地図) |
アクセス | 朝日野駅から徒歩15分 蒲生スマートICから車で10分 |
駐車場 | なし |
営業時間 | 随時 |
入場料 | 無料 |
社務所 | あり(要予約) |
公式サイト | なし |
所要時間 | 20分程度 |
境内
拝殿
高木神社の境内入口は南東向き。境内の南側は公園になっています。
入口の鳥居は石造の明神鳥居。扁額は「正一位高木大明神」。
参道左手には手水舎。
切妻、桟瓦葺。
鳥居の先へ進むと参道が右に90度折れ、拝殿と2棟の本殿の側面が見えます。社殿はいずれも南西向き。
拝殿は、入母屋(妻入)、銅板葺。
柱間に建具がなく吹き放ちで、神楽殿のような造り。滋賀県内でよく見られる造りの拝殿です。
柱は角柱、柱上は舟肘木が使われています。
破風板の拝みには丸い懸魚。
入母屋破風には木連格子が張られています。
内部は格天井。
扁額は「皇徳洽六合」(こうとく りくごうに あまねし)。
奥に見えるのは本殿。
高木神社本殿
境内の北には2棟の本殿が並立しています。拝殿の先にあるのが高木神社本殿です。
桁行3間・梁間3間、三間社流造、向拝3間、檜皮葺。
造営年不明。1512年頃の造営とされます*1。後述の日吉神社本殿とともに「高木神社 2棟」として国指定重要文化財*2。
祭神はタカミムスビ。
また、本殿向かって右手前の石灯篭は1315年(正和四年)の刻銘があり、単体で国指定重要文化財となっています*3。
向拝は3間。
柱上の組物は出三斗と連三斗。
虹梁は細い貫のような材が使われ、中備えはありません。
隅の向拝柱。
向拝柱は角面取り。古い建築ほど面取りの幅が大きい傾向がありますが、この柱は室町後期にしては面取りが異様に大きく感じます。
側面には斗栱が出て、連三斗を持ち送りしています。
組物には実肘木がなく、軒桁を直接受けています。
向拝の軒下は、中央の1間にだけ階段があります。階段は7段。
浜床は、階段の手前にだけ設けられています。
母屋の前面には角柱が立てられ、前方の1間通りは前室(外陣)となっています。これは滋賀県内の神社本殿でよく見られる造り*4。
前室の建具はいずれも格子戸。
前面の柱は面取り角柱。こちらも面取りの幅が大きめ。
柱上の組物は出三斗と連三斗。組物のあいだに中備えなどの意匠はありません。
母屋の右側面(東面)。
前室は床が低く造られ、それに合わせて縁側も低くなっています。床が高くなった後方の2間が母屋で、母屋は円柱で構成されています。
縁側は切目縁が3面にまわされ、欄干は跳高欄。脇障子はありません。
縁束は標準的な角柱。
母屋は亀腹の上に立てられています。
柱上の組物は、平三斗と木鼻付きの連三斗。こちらの組物は実肘木が使われています。
妻虹梁の上には豕扠首。
破風板の拝みと桁隠しは猪目懸魚。
背面。
柱間はいずれも横板壁。
組物は連三斗と出三斗。
母屋柱は、床や長押の下も円柱に成形されています。
日吉神社本殿
高木神社本殿の右隣(東)には、日吉神社本殿が並立しています。
桁行3間・梁間3間、三間社流造、向拝1間、檜皮葺。
1512年(永正九年)造営*5。「高木神社 2棟」として国指定重要文化財。
向拝は1間。
前述の本殿と非常によく似た造りをしていますが、向拝の規模が1間に縮小されています。この社殿は境内社なので、本社の高木神社本殿よりひとつ格下の造りにしたのでしょう。
向拝柱は面取り角柱。柱上は連三斗。
面取りの幅が大きい点や、実肘木がない点は高木神社本殿と同様。
向拝の軒下には角材の階段が7段あり、正面にだけ浜床が設けられています。
母屋前面の1間通りは前室(外陣)。
前室の柱は角柱で、柱間は格子戸。
前室が低く造られている点も同様です。
母屋柱は円柱。組物は連三斗と平三斗。
妻飾りは豕扠首。
破風板の拝みと桁隠しは猪目懸魚。
背面も3間。
縁側は切目縁が3面にまわされています。
高木神社本殿と日吉神社本殿。
室町時代の端正な本殿が並んだ景色は壮観。
日吉神社本殿の右隣にある境内社。
一間社流造、檜皮葺。
こちらは木鼻や大瓶束、台輪などが使われていて、神社本殿にしては新しい技法が散見されます。
私の予想だと、少なくとも江戸中期以降のものかと思われます。
以上、高木神社でした。
(訪問日2022/10/15)