今回は神奈川県逗子市の法性寺(ほっしょうじ)について。
法性寺は市西部の海沿いの丘陵上に鎮座する日蓮宗の寺院です。山号は猿畠山。
創建は1321年(元享元年)。日蓮の高弟・日朗を葬るため、その弟子の朗慶によって開かれました。当地は日蓮が白猿の導きによって難を逃れた(松葉ヶ谷法難)と伝わる場所だったため、日朗の墓所に選ばれたようです。1345年(貞和元年)には、本圀寺(鎌倉市の長勝寺の前身)とともに京都へ移転し、跡地は鎌倉市の妙本寺の管理下に置かれました。1603年(慶長八年)には、妙本寺の末寺として、跡地に法性寺が再興されました。
現在の境内伽藍は近現代のものと思われます。境内は急峻な丘陵上に広がり、中心部には日蓮が隠れたと伝わる岩窟(やぐら)があります。
現地情報
所在地 | 〒249-0001神奈川県逗子市久木9-1-33(地図) |
アクセス | 逗子駅から徒歩30分 朝比奈ICから車で10分 |
駐車場 | 10台(無料) |
営業時間 | 09:00-17:00 |
入場料 | 無料 |
寺務所 | あり |
公式サイト | なし |
所要時間 | 20分程度 |
境内
総門
法性寺の境内は南向き。住宅地の中にあり、入口は横須賀線の踏切に面しています。
右の寺号標には「南無妙法蓮華経」とあり、基部に「猿畠山 法性寺」と彫られています。
入口の山門は、高麗門、切妻、銅板葺。左右袖塀付き。
正面の扁額は山号「猿畠山」。
扁額の左右には白い猿の彫刻があります。これは、日蓮が他宗派の暴徒の襲撃を受けたとき、山王権現の化身である白猿に導かれて当地の岩窟(後述)に隠れ、難を逃れたという伝説に由来するようです。
後方には控柱が立てられ、低い屋根がかけられています。
軒裏はいずれも一重まばら垂木で、化粧屋根裏です。
急坂の参道を100メートルほどのぼり、駐車場と寺務所の先へ進むと、参道左手に手水舎があります。
切妻、銅板葺。
柱は几帳面取り角柱。
虹梁には木鼻が付き、虹梁と柱の上には台輪が通っています。台輪の上の中備えは蟇股。
柱上の組物は、皿斗を使った出三斗。
内部は格天井で、軒裏は二軒繁垂木。
本堂
参道を進むと、山頂近くの平地部分に本堂が南面しています。
一重、裳階付、銅板葺、入母屋、向拝1間、桟瓦葺。
虹梁中備えは竜の彫刻。
向拝柱は几帳面取り角柱。正面に唐獅子、側面に獏の木鼻がついています。
虹梁は波に千鳥の絵様が彫られ、向拝柱との接続部は波の意匠の持ち送りが添えられています。
柱上の組物は、出三斗を2つ並べて連結させた構造のものが使われています。
向拝柱と母屋柱は、ゆるやかにカーブした海老虹梁でつながれています。
向拝柱の上の手挟には、雲間を飛ぶ鶴の彫刻。
母屋の前面は舞良戸と格子戸。
縁側は、切目縁が前面のみ設けられています。欄干は擬宝珠付き。
裳階は銅板葺となっています。
裳階の上の母屋部分は、中備えに蟇股が使われています。蟇股には、草木の彫刻が入っています。
本堂向かって左手には、日蓮が隠れたと伝わる岩窟(やぐら)があります。
内部には五輪塔が立てられていました。
本堂向かって右手前には開山堂。
桁行3間・梁間2間、宝形、桟瓦葺。
柱はいずれも円柱で、礎盤の上に立てられています。
正面中央は格子戸で、左右の柱間には火灯窓。
側面は2間で、連子窓と縦板壁が使われています。
柱は上端が絞られ、頭貫と台輪に禅宗様木鼻がついています。
柱上の組物は出三斗と平三斗。
母屋から腕木を伸ばして軒桁をわたし、軒裏を受けています。母屋と軒桁のあいだには格子の小天井があります。
境内の最奥部は墓地となっていますが、切り立った砂岩(鎌倉石)の崖にやぐらが点在し、独特の景観です。
法性寺墓地近辺の断崖は「お猿畠の大切岸」という名前があります。近くには鎌倉七口のひとつである名越切通があり、この崖は鎌倉を防衛するために開削されたという説もあります。ただし逗子市の発掘調査によると、この断崖は14~15世紀に石切り場として使われていた岩盤で、防衛のために開削されたわけではないとのこと。
以上、法性寺でした。
(訪問日2024/01/27)