甲信寺社宝鑑

甲信地方の寺院・神社建築を語る雑記。

【鎌倉市】荏柄天神社

今回は神奈川県鎌倉市の荏柄天神社(えがら てんじんしゃ)について。

 

荏柄天神社は市東部の住宅地に鎮座しています。

創建は不明。社伝によると1104年(長治元年)に天満宮が勧請されたのがはじまりとのこと。源頼朝の入府後は鎌倉の鬼門除けとして重視され、幕府の崇敬を受けました。室町時代には、鎌倉の足利氏や、後北条氏の庇護を受けました。江戸時代は徳川家の庇護を受け、鶴岡八幡宮とともに定期的な修繕が行われました。

現在の境内は鎌倉時代から戦前にかけて整備されたもので、境内全体が国の史跡です。丘の上に鎮座する本殿は鶴岡八幡宮から移築されたもので、鎌倉末期の建築とされ、国の重要文化財となっています。

 

現地情報

所在地 〒248-0002神奈川県鎌倉市二階堂74(地図)
アクセス 鎌倉駅から徒歩20分
朝比奈ICから車で30分
駐車場 なし
営業時間 08:30-16:30
入場料 無料
社務所 あり
公式サイト 荏柄天神社
所要時間 15分程度

 

境内

参道

荏柄天神社の境内は南西向き。入口は住宅地の一角にあります。

向かって右の社号標は「荏柄天神社」。

参道にはビャクシンと思しき樹木がまたがっています。

 

社号標の先には二の鳥居があります。

明神鳥居で、貫にしめ縄がかけられています。扁額はありません。

 

神門と手水舎

鳥居を通って石段をのぼった先には神門があります。

四脚門、切妻、銅板葺。

 

正面の柱間には、眉欠きだけが彫られた虹梁がわたされています。中備えは蟇股。

内部に掲げられている扁額は、判読できませんがおそらく「天満宮」。

天井はなく、化粧屋根裏となっています。

 

向かって左手前の控柱。

控柱は几帳面取り角柱。正面と側面には、大仏様木鼻のようなものがついています。

柱上は出三斗。

 

側面。こちらも中備えに蟇股があります。

妻飾りは角柱の束。

 

神門をくぐると、右手に手水舎があります。

切妻、銅板葺。

 

柱は几帳面取り角柱。頭貫の位置には、象鼻のような木鼻がついています。

虹梁は絵様が彫られ、中備えは蟇股。

 

本殿と幣殿

神門の先には拝殿があります。

入母屋、銅板葺。

1936年再建。

 

右側面(東面)。

絵馬がかかっていて見づらいですが、柱間は緑色の連子窓が入っています。

 

柱はいずれも円柱。軸部は長押と貫で固定され、木鼻は使われていません。

柱上の組物は出三斗と平三斗。中備えは間斗束。

 

破風板の拝みには猪目懸魚。

妻飾りは、豕扠首らしき意匠が使われています。

 

拝殿西側の筆塚近辺から社殿を見た図。

右の棟が拝殿、中央の低い棟が幣殿、左の棟が本殿です。

中央の幣殿は、両下造、銅板葺。拝殿と同年の造営。

拝殿と本殿が両下造の幣殿でつながれ、権現造に似た構造になっています。

 

本殿

本殿は、桁行3間・梁間2間、三間社流造、銅板葺。

1316年(正和五年)造営と考えられます。国指定重要文化財*1

 

もとは鶴岡八幡宮の若宮の本殿として造られたもので、1622年に現在地へ移築されました。移築元の若宮は鎌倉末期の1316年に再建された記録があるようで、2001年の鎌倉市教育委員会による調査で、鎌倉末期のものであると確認できたとのこと。

 

幣殿と本殿向拝の接続部。

写真中央の柱が本殿の向拝柱かと思うのですが、円柱が使われています。ふつう、向拝柱は角柱を使います。

向拝柱と母屋柱のあいだには壁が張られ、小さい連子窓が設けられています。

 

母屋部分の側面(梁間)は2間。柱間は白い横板壁。

柱は円柱で、軸部は長押と貫で固定されています。木鼻はありません。

 

縁側は切目縁が4面にまわされ、欄干は跳高欄。

おそらく後方の1間が神座で、縁側の床が高く造られ、それにあわせて母屋の貫と長押も高い位置を通っています。

 

柱上の組物は連三斗と平三斗。中備えは透かし蟇股です。

懸魚の影になってしまいましたが、妻飾りは豕扠首が使われています。

破風板の拝みと桁隠しは猪目懸魚。

 

以上、荏柄天神社でした。

(訪問日2024/01/27)

*1:附:扉板6枚