今回は静岡県島田市の智満寺(ちまんじ)について。
智満寺は市西部の山中に鎮座する天台宗の寺院です。山号は千葉山。
創建は伝承によると奈良時代。神護景雲年間(767-770年)に、鑑真の孫弟子である広智によって開かれ、光仁天皇から本尊の仏像と智満寺の寺号が下賜されました。当初の山号は広智山または宝亀山だったようですが、火災で境内伽藍を焼失したのち、1189年に源頼朝の命を受けた千葉常胤によって再建されたため、現在の山号に改められました。室町時代には今川氏や徳川氏の庇護を受け、現在の伽藍が再建されています。江戸時代も徳川家からの崇敬がつづいたようです。
現在の境内伽藍は安土桃山から江戸前期にかけてのもので、県内でも屈指の歴史を持つ古建築が並びます。とくに本堂は桃山時代に徳川家康によって造られたもので、国の重要文化財に指定されています。ほか、仁王門や薬師堂なども桃山時代以前のものとされ、県の文化財となっています。
現地情報
所在地 | 〒427-0001静岡県島田市千葉254(地図) |
アクセス | 島田金谷ICから車で25分 |
駐車場 | 30台(無料) |
営業時間 | 境内は随時 |
入場料 | 無料 |
寺務所 | あり |
公式サイト | 天台宗 千葉山 智満寺 |
所要時間 | 30分程度 |
境内
仁王門
智満寺の境内は南向き。曲がりくねった山道の先に駐車場があり、その先に境内入口があります。
左の寺号標は「天台宗 千葉山 智満寺」。
急な石段の先には仁王門があります。
三間一戸、八脚門、寄棟、茅葺。
造営年不明。案内板*1によると江戸初期の建立とのこと。
県指定有形文化財。
正面中央の柱間。
柱は八角柱が使われています。ふつう、柱は円柱か角柱を使うので、八角柱を使った例は非常にめずらしいです*2。
柱間には虹梁がわたされています。
向かって左の柱間。
中央部(写真右端)より若干低い位置に虹梁があります。
虹梁の上には板が張られ、中備えはありません。
軒裏に垂木はなく、腕木で軒桁を持ち出して小天井を張っています。
右側面(東面)。
側面は2間。柱の前後方向は貫で連結されています。
前方の1間は吹き放ち。後方の1間は縦板壁。
後方の柱間には仁王像が安置されています。仁王像は市指定文化財。
内部は化粧屋根裏ですが、なぜか仁王像の上にだけ天井が張られています。
背面。左右の柱間は縦板壁です。
大棟には千木のような部材が乗っています。
屋根は寄棟となっています。たいていの八脚門は切妻か入母屋であり、寄棟を採用するのはめずらしいです。
柱の使いかたや内部構造なども独特で、ほかでは見られないような造りをしており、素朴さと野趣にあふれる建築だと思います。
中門
仁王門をくぐって境内中心部へ向かうと、石段の先に中門があります。
一間一戸、四脚門、入母屋、茅葺。
造営年不明。案内板によると天正年間(1573-1592)の建立とのこと。
県指定有形文化財。
正面は1間。柱間は飛貫虹梁と頭貫でつながれています。
軒裏は一重のまばら垂木。
飛貫虹梁の上には2本の大瓶束が立てられ、頭貫が大瓶束を貫通しています。大瓶束の上は平三斗で、通肘木を介して軒桁を受けています。
右手前の柱。
柱は円柱で、頭貫に拳鼻がついています。
柱上の組物は出三斗。
側面は2間。
2間とも吹き放ちですが、腰貫の下と飛貫の上に壁が設けられています。
側面前方の軒下。
中備えなどの意匠はありません。
正面側から内部を見上げた図。
棹縁天井が張られています。
入母屋破風。
破風には木連格子が張られ、拝みには鰭のついた蕪懸魚が下がっています。
本堂(観音堂)
境内の中心部には大規模な本堂が祀られています。
本尊は千手観音。1606年(慶長十年)の造立で、厨子とともに国指定の重要文化財です。
本堂は、桁行5間・梁間5間、入母屋、向拝1間、茅葺。
徳川家康によって1589年(天正十七年)に造営されたもの。国指定重要文化財*3。
柱間は正面側面ともに5間で、平面は正方形です。
内部は前方2間が外陣で、外陣と後方(内陣など)の境界は格子で仕切られています。後方は左右の各1間通りが脇陣で、中央部の内陣(正面側面ともに3間相当)には本尊や厨子をおくための来迎壁が設けられていました。
密教仏堂(密教本堂)の典型といえる間取りです。
向拝は1間。
虹梁がわたされ、鰐口が吊るされています。
虹梁中備えは、木鼻のついた平三斗が2つ。
向かって右の向拝柱。
几帳面取り角柱が使われ、虹梁の位置に木鼻がついています。
内側(写真左)にも木鼻がつき、巻斗を介して虹梁を持ち送りしています。
柱上の組物は連三斗。
向拝柱と母屋柱のあいだには、わずかにカーブした繋ぎ虹梁(海老虹梁?)がわたされています。
繋ぎ虹梁の向拝側は組物の上から出ていて、母屋側は組物の基部(大斗)に取り付いています。
縋破風の桁隠しには蕪懸魚が下がっています。
母屋の正面。扉の上の扁額は「千手観音」。
中央の1間は扉(桟唐戸)が設けられ、左右の各2間は舞良戸です。
正面左端の柱間。
母屋柱は円柱で、軸部は貫と長押でつながれています。
柱上の組物は出組。中備えにも、詰組として出組が置かれています。
柱の上部には頭貫と台輪が通り、両者とも禅宗様木鼻がついています。
右側面(東面)。
前方の3間は舞良戸、後方の2間は横板壁。
縁側は切目縁が4面にまわされ、欄干は擬宝珠付き。
側面後方の軒下。
側面および背面は、台輪の上の中備えに蓑束が使われています。
背面の柱間は、中央が引き戸、左右各2間が横板壁。
背面中央の柱間は、中備えに詰組と蓑束の両方が使われていました。
妻飾りは二重虹梁。
大虹梁の上に大瓶束が2本立ち、二重虹梁の上では板蟇股が棟木を受けています。
破風板の拝みには小ぶりな蕪懸魚。
薬師堂
本堂向かって左(西側)には鳥居が立ち、その先に薬師堂があります。
鳥居は石造明神鳥居。扁額は「日吉神社」で、山頂に祀られた奥の院を指しているようです。
薬師堂は、桁行3間・梁間3間、宝形、茅葺。
堂内の仏像は1588年(天正十六年)開眼とのことで、この薬師堂も中門と同様に天正年間の建立とされています。
県指定有形文化財。
正面は3間。
柱間は、中央が桟唐戸、左右が連子窓。
内部は前方1間通りが外陣、後方2間通りが内陣で、外陣内陣の境界部には格子が張られています。こちらも本堂と同様に密教仏堂の典型といえる構造です。
正面中央の軒下。
柱は円柱が使われ、軸部は長押と貫でつながれています。
頭貫の上の中備えは蟇股。
正面向かって右側。
こちらは頭貫の上に間斗束が使われています。
柱は円柱で、頭貫には拳鼻。
柱上の組物は出三斗と平三斗が使われています。
右側面。
側面も3間で、柱間は引き戸と縦板壁。
縁側は切目縁が4面にまわされています。
鐘楼など
本堂向かって右手前(南東)には鐘楼があります。
寄棟、銅板葺。袴腰付。
上層内部には棹縁天井が張られ、梵鐘が吊るされています。
柱は糸面取り角柱。江戸後期あたりの技法です。
頭貫には象鼻が付き、柱上は出三斗。
柱上には台輪が通り、中備えに蓑束が使われています。
本堂向かって左手前には手水舎。
切妻、銅板葺。
本堂東側を通って境内の裏手へ行くと、境内社の湯屋姫権現があります。
入母屋(妻入)、鉄板葺。
以上、智満寺でした。
(訪問日2024/02/10)