甲信寺社宝鑑

甲信地方の寺院・神社建築を語る雑記。

【京都市】平野神社

今回は京都府京都市の平野神社(ひらの-)について。

 

平野神社は北野天満宮の北側の住宅地に鎮座しています。

創建は不明。主祭神の今木神は、当初は平城京に祀られていたようす。詳細な年代は資料によって諸説あるようですが、平安遷都(794年)にともない現在地へ移されたのが平野神社のはじまりです。平安時代は平氏に崇敬され、『延喜式』では名神大社に列しています。鎌倉以降は荒廃したようですが、安土桃山時代と江戸初期に社殿が再建されています。

現在の社殿は江戸初期のもの。本殿は2つの春日造を左右に連結した「比翼春日造」というめずらしい様式で造られています。本殿が国重文に指定されているほか、拝殿などの社殿が府の文化財として指定および登録を受けています。また、境内は桜の名所として知られます。

 

現地情報

所在地 〒603-8322京都府京都市北区平野宮本町1(地図)
アクセス 円町駅から徒歩25分
京都東ICから車で30分
駐車場 10台(無料)
営業時間 06:00-17:00
入場料 無料
社務所 あり
公式サイト 平野神社
所要時間 20分程度

 

境内

参道

平野神社の境内は東向き。境内入口は住宅地に面していて、社頭から東へ100メートルほど行くと、北野天満宮の北門があります。

入口には木造明神鳥居。

 

参道左手には手水舎。

切妻、檜皮葺。

 

妻面(側面)は2間。

中央の柱は円柱で巻斗と舟肘木で棟木を受けています。前後の柱は面取り角柱。

 

東神門は、一間一戸、四脚門、切妻、檜皮葺。

 

向かって左手前の控柱。

面取り角柱が使われ、柱上は大斗と舟肘木。

木鼻はついていません。

 

梁の中備えは板蟇股。横長の平べったい造形で、猪目(ハート形)の穴があけられています。

蟇股の上の巻斗は、軒桁を直接受けています。

 

内部の通路上の梁。

梁の上には、花肘木に巻斗を2つのせた風変わりな構成の組物が置かれています。その上では、板蟇股が巻斗と肘木を介して棟木を受けています。

 

内部向かって右。

妻飾りは豕扠首。

 

東神門の左右には、回廊がつながっています。こちらは向かって左(南側)の回廊。

梁間2間、切妻、檜皮葺。

柱は円柱で、蔀の窓が設けられています。

 

回廊の妻面。

妻飾りは板蟇股。

 

拝殿

東神門の先には拝殿があります。

梁間1間・桁行2間、入母屋(妻入)、桧皮葺。

社記によると1650年の造営。後述の南門とともに府指定有形文化財。

 

正面(写真左)と北面(右)の軒下。

柱は面取り角柱。柱上は舟肘木。

軒裏は二軒まばら垂木。

長押の釘隠しや、舟肘木と垂木の木口には、飾り金具がついています。

 

室内は、折り上げ小組格天井。

 

正面の入母屋破風。木連格子が張られています。

破風板の飾り金具には菊の紋。拝みには、鰭付きの蕪懸魚。

鬼瓦の飾りにも菊の意匠がついています。

 

中門

拝殿の先には中門が鎮座しています。中門の向こうに見える屋根は本殿。

中門は、梁間1間・桁行4間、一間一戸、向唐門、檜皮葺。

社記によると1653年頃の造営。1937年改築。府登録有形文化財。

 

正面の軒下。

台輪の上の欄間は、鳳凰の彫刻。

唐破風の虹梁の上は蟇股。彫刻は唐獅子。

 

向かって左の柱。

粽柱(上端が絞られた円柱)が使われ、頭貫と台輪に禅宗様木鼻がついています。

柱上の組物は出三斗。

 

内部。左右に見える扉は本殿のものです。

こちらは角柱が使われ、柱上は舟肘木になっています。虹梁の上は板蟇股。

あまり見えない場所だからか、意匠が簡略化されています。

 

本殿

拝殿の後方には2棟の本殿が鎮座しています。

こちらは向かって右(北側)に鎮座する第一殿・第二殿

右の扉が第一殿、左の扉が第二殿で、2つの殿が一体化して1棟となっています。祭神は、第一殿が今木神、第二殿が久度神。

桁行3間・梁間1間、三間社比翼春日造、向拝3間、檜皮葺。

1626年(寛永三年)造営。「平野神社 2棟」として国指定重要文化財*1

 

第二殿の部分の階段。

階段は扉の前だけに設けられています。

階段の下の浜床は、第二殿部分と第一殿部分とでつながっています。

 

手前の向拝柱は面取り角柱。柱上は舟肘木。

奥の母屋柱は円柱。

左の第二殿と右の第一殿のあいだの相の間は、蔀戸が入っています。

 

屋根の正面。写真手前の屋根は、中門と透塀のものです。

2棟の一間社春日造をならべ、両者を左右にのびる棟でつないだ構造となっています。屋根を上から見た場合、棟はH字型になります。

このように春日造を左右に複数ならべて連結した建築様式を比翼春日造(ひよくかすがづくり)といいます。当社では平野造とも呼ぶらしいです。

比翼春日造は例がきわめて少なく、戦災で焼失した西宮神社本殿*2を除くと、私の知る範囲では京都市にある今宮神社若宮社本殿(国登録有形文化財)くらいしか現存の遺構がありません。

 

向かって左(南側)には第三殿・第四殿が鎮座しています。

右の扉が第三殿、左の扉が第四殿で、前述の第一殿・第二殿と同じ様式です。祭神は、第三殿が古開神、第四殿が比売神。

桁行3間・梁間1間、三間社比翼春日造、向拝3間、檜皮葺。

1632年(寛永九年)造営。こちらも「平野神社 2棟」として国指定重要文化財

 

様式や細部意匠については、第一殿・第二殿と同じのため割愛。

本殿の側面や背面も観察したかったのですが、回り込むことができませんでした。

 

写真左に見切れている社殿は摂社の縣神社(あがた-)。

一間社春日造、桧皮葺。1631年(寛永八年)造営*3、1937年修理。府登録有形文化財。

 

境内社

境内の北側には多数の境内社が点在しています。

こちらは本殿や中門の北側に南面する四社併祀社。文字どおり4つの神社が合祀されていて、左から、春日社、住吉社、蛭子社、鈿女社。

四間社流造、銅板葺。見世棚造。

 

四社併祀社の右隣には八幡社。

一間社流造、銅板葺。

 

東神門の外側、境内北東の区画にも境内社が南面しています。

 

こちらは稲荷社。

一間社流造、銅板葺。

紅白に彩色され、木鼻や海老虹梁が使われています。

 

稲荷社の右隣には猿田彦神社。

一間社春日造、銅板葺。

 

南門

境内の南側の上立売通りに面した場所には、南門が南面しています。

一間一戸、薬医門、切妻、桟瓦葺。

1619年頃に京都御所内に造営されたものと考えられています。社記によると、1651年に当社へ下賜されたらしいです。移築後は境内東側の鳥居の近辺にありましたが、1943年に現在地に移築されています。

拝殿とあわせて「平野神社 2棟」として府指定有形文化財。

 

内部、向かって右側。写真右が正面方向です。

主柱から正面へ梁(男梁)を持ち出し、軒桁を受けています。梁の下には、繰型のついた腕木(女梁)が添えられています。

妻面の梁の上には、笈形付き大瓶束があります。

 

内部の妻面でない部分の梁の上は、笈形のないふつうの大瓶束が立てられ、棟木を受けています。

内部は化粧屋根裏。

 

以上、平野神社でした。

(訪問日2023/02/23)

*1:附:棟札2枚

*2:兵庫県西宮市。本殿は春日造を3棟並べて連結したもので、旧国宝に指定されていた。

*3:棟札より