今回は東京都台東区の浅草寺(せんそうじ)について。
浅草寺は区の東端に鎮座する天台宗の単立寺院です。山号は金龍山。通称は浅草観音(あさくさかんのん)。
創建は不明。伝承によると推古天皇三十六年(628年)、隅田川で漁師の網に仏像がかかり、それを祀ったのがはじまりとのこと。
史料上の初見は『吾妻鏡』。鶴岡八幡宮の造営に際して当寺の宮大工を招いたとあり、浅草寺は平安後期には確立されていたと思われます。江戸時代には幕府の庇護を受けて境内伽藍が再建されましたが、そのほとんどは江戸期の火災や昭和の東京大空襲で焼失しています。
現在の伽藍のほとんどは昭和中期に鉄筋コンクリート造で再建されたものですが、雷門は都内でも屈指の知名度を誇る名所となっています。境内東側に並立する浅草神社の社殿と、その近くにある二天門は江戸前期のもので、国重文に指定されています。
当記事では浅草寺の主要な伽藍について述べます。
現地情報
所在地 | 〒111-0032東京都台東区浅草2-3-1(地図) |
アクセス | 浅草駅から徒歩1分 |
駐車場 | なし |
営業時間 | 境内は随時。本堂内部は06:00-17:00(10月-3月は06:30-17:00)。 |
入場料 | 無料 |
寺務所 | あり |
公式サイト | 浅草寺 :浅草寺 公式サイト 浅草神社:浅草神社 三社様 |
所要時間 | 1時間程度 |
境内
雷門(風雷神門)
浅草寺の境内は南向き。境内入口は浅草駅から地上に出てすぐの場所にあります。
境内入口には雷門(かみなりもん)。定番の撮影スポットのため、本堂よりも雷門周辺のほうが混雑しています。
雷門は、RC造、三間一戸、八脚門、切妻、本瓦葺。
1960年再建。松下幸之助の寄進とのこと。
正面中央の柱間。扁額は山号「金龍山」。
向かって右の柱間。
飛貫と頭貫のあいだの欄間には、緑色の連子。
柱は円柱で、頭貫には木鼻。木鼻は渦状の彫刻が入り彩色されていますが、シルエットは大仏様木鼻に似ています。
柱上の組物は出三斗。中備えは間斗束。出三斗と間斗束は、通し肘木を介して桁を受けています。
右側面(東面)。
妻飾りは二重虹梁になっていて、虹梁の上に蟇股が配されています。
側面には中備えの間斗束はありません。こちらの組物は肘木がなく、虹梁を直接受けています。
破風板の拝みと桁隠しには猪目懸魚。拝みの懸魚には白い雲状の鰭がついています。
背面。
中央の柱間の中備えには蟇股が使われています。
内部の通路部分を見上げた図。写真左が正面側。
切妻の化粧屋根裏が前後に2つ連続していて、内部はM字型になっています。
内部の通路部分に配された蟇股。
頭貫の上の蟇股は、雷神の太鼓が彫られています。
雷門の先には仲見世が200メートルほど続いています。
仲見世は道幅が狭いうえ、人の流れも遅く、混雑しがち。土産物や食べ歩きに興味がないなら、平行する裏路地を進んだほうが快適です。
宝蔵門(仁王門)
仲見世を通り抜けた先には、雄大な宝蔵門(ほうぞうもん)が鎮座しています。別名は仁王門。
向かって左(西側)には五重塔が立ち、壮観の眺め。
宝蔵門は、RC造、五間三戸、二重、楼門、入母屋、本瓦葺(チタン瓦葺)。
1964年再建。
下層。正面5間のうち、3間が通路となっています(五間三戸)。
両端の柱間には仁王像。
内部は、格天井にちょうちんが吊るされています。
中央3間の通路部分は、虹梁の上に蟇股が配されています。
正面中央の柱間。
柱はいずれも円柱。この部分の柱のみ、手前に拳鼻がついています。
虹梁の上の蟇股は、赤色の花が彫られています。
向かって右端の柱間。
両端の柱間は虹梁のかわりに頭貫が使われています。
飛貫と頭貫のあいだには緑色の連子。頭貫の上の中備えは間斗束。
組物は三手先。柱に肘木がささっており、挿肘木という大仏様の技法が使われています。
桁下には軒支輪と、格子の小天井。
下層の右側面(東面)。
中備えは間斗束。
軒裏は二軒繁垂木。
上層。
屋根葺きは、軽量かつ腐食に強いチタン合金製の本瓦。粘土瓦(通常の瓦のこと)と遜色ない質感になるよう、表面処理が工夫されているとのこと。
上層。扁額は寺号「浅草寺」。
組物は和様の尾垂木三手先。こちらは挿肘木ではなく、大斗を使った通常の組物です。
中備えは間斗束。
頭貫に木鼻はありません。
上層の右側面。
組物や中備えは、正面と同様。
軒裏は、上層も二軒繁垂木。
破風板の拝みと桁隠しは、雲状の鰭のついた猪目懸魚。
破風板の奥の妻壁には、豕扠首。
右後方(北東)から見た全体図。
背面の両端の柱間には、巨大なわらじが吊るされています。
本堂(観音堂)
宝蔵門の先には本堂が鎮座しています。別名は観音堂。
本尊は絶対秘仏の観音菩薩像。
本堂は、RC造、桁行7間・梁間7間、入母屋、向拝3間、本瓦葺(チタン瓦葺)。
現在の本堂は、1958年再建。
再建前の本堂は1649年(慶安二年)の再建で旧国宝*1に指定されていましたが、1945年の東京大空襲で焼失しました。
向拝は3間。
雷門や宝蔵門と同様に、巨大なちょうちんが吊るされています。
向拝柱は唐戸面取り(几帳面のエッジを丸めたもの)。
側面の木鼻は、竜とも若葉ともつかない意匠のもの。
柱上の組物は出三斗。
向拝の中央の柱間。
虹梁は無地の材が使われています。
中備えは蟇股。彫刻は、若葉と花が彫られています。
向拝の軒下。
海老虹梁などの懸架材がなく、すっきりとした空間。
母屋の扁額は「観音堂」。
母屋柱は円柱。
軸部は長押で固定され、頭貫に木鼻はありません。
組物は和様の尾垂木三手先。組物で大きく軒桁を持ち出し、母屋と軒桁のあいだには格子の小天井が張られています。
中備えは間斗束。
母屋は正面側面ともに7間で、ほぼ正方形の平面。柱間は板壁と板戸が使われています。
縁側は切目縁が4面にまわされ、欄干は擬宝珠付き。
軒裏は二軒繁垂木。
破風板の拝みと桁隠しには、鰭付きの猪目懸魚。鰭は渦状の意匠。
妻飾りは二重虹梁。大瓶束や蟇股が使われています。
二重虹梁の中央部の蟇股。
たいていは花や鳥獣の彫刻が入りますが、この蟇股には力神が入っています。
背面。
柱間は、板戸や連子窓が使われています。
雷門、宝蔵門、本堂については以上。
*1:現在の国指定重要文化財に相当する。