甲信寺社宝鑑

甲信地方の寺院・神社建築を語る雑記。

【垂井町】南宮大社

今回は岐阜県垂井町の南宮大社(なんぐう たいしゃ)について。

 

南宮大社は垂井町の南西部の山のふもとに鎮座する美濃国一宮です。

創建は不明。社伝によると、10代・崇神天皇の時代の創建とのこと。『延喜式』には美濃国一宮の「仲山金山彦神社」と記載され、平安時代には確立されています。1501年に火災ですべての社殿を焼失し、1511年に美濃国守護・土岐政房により再建されていますが、1600年の関ヶ原の戦いで再び焼失しました。

現在の社殿は1642年(寛永十九年)に、徳川家光の命を受けた岡田善政により再建されたもの。1868年(明治元年)には神宮寺(真禅院)が分離独立して移転しました。明治時代には「南宮神社」と称しましたが、戦後には「南宮大社」という現在の社号となっています。

境内や社殿は、前述のとおり江戸初期のもので、18棟が国重文となっています。主要な社殿は華やかな安土桃山時代の作風で造られ、その独特な造りは「南宮造」とも呼ばれます。

 

現地情報

所在地 〒503-2124岐阜県不破郡垂井町宮代1734-1(地図)
アクセス 垂井駅から徒歩20分
関ケ原ICから車で15分
駐車場 200台(無料)
営業時間 06:00-17:30
入場料 無料
寺務所 あり
公式サイト 南宮大社
所要時間 30分程度

 

境内

大鳥居

南宮大社の大鳥居。明神鳥居で、扁額はありません。

境内の北側200メートルほどの位置に、北向きに立っています。

写真には写り込んでいませんが、鳥居の手前には東海道新幹線の高架が通っています。

 

楼門

南宮大社の境内は東向き。入口には石輪橋と楼門があります。

楼門は、三間一戸、楼門、入母屋、檜皮葺。

1642年(寛永十九年)再建。「南宮神社 18棟」*1として国指定重要文化財*2

手前にかかっている石輪橋も同年の造営で、同様に国重文。

 

下層。

柱は円柱。頭貫に木鼻がなく、和様の意匠で構成されています。

組物は二手先。中備えは蟇股。

 

正面中央の柱間の蟇股。

彫刻は、鶴に乗った仙人が題材。

 

上層。

柱は円柱。こちらも木鼻がありません。

正面中央の柱間は板戸。

 

組物は尾垂木三手先。

中備えに蟇股はなく、間斗束が立てられています。

桁下は、軒支輪と格子の小天井。

軒裏は二軒繁垂木。

 

側面。

縁側は切目縁。欄干は跳高欄。

 

破風板の拝みと桁隠しは猪目懸魚。

大棟は箱棟になっていて、菊の紋が描かれています。

 

背面は、正面とほぼ同じ造り。

 

手水舎

楼門をくぐると、右手に手水舎があります。

切妻、桟瓦葺。

楼門などの社殿と統一して、赤をベースとした極彩色となっています。

なお、こちらの社殿はとくに文化財指定はないようです。

 

柱は角柱。面取りの幅はやや大きめで、江戸初期の作風にあわせたのかもしれません。

頭貫と台輪には木鼻。大仏様とも禅宗様ともいえない微妙な形状。

柱上の組物は出三斗。

 

中備えは蟇股。幾何学的な若葉の意匠で、やや古風です。

妻飾りは笈形付き大瓶束。束の左右の笈形は、鳳凰の意匠。

 

高舞殿

楼門の先には高舞殿(こうぶでん)。

桁行3間・梁間3間、宝形。

1642年再建。「南宮神社 18棟」として国重文。

 

建築様式は宝形。基本的に寺院で採用される様式で、神社での採用はめずらしいです。

四方に壁がなく吹き放ちで、神楽殿や舞屋に相当する社殿のようです。

 

正面向かって左側。

柱は円柱で、上端が絞られています。頭貫には木鼻。

柱上の組物は、出三斗と平三斗。

頭貫の上の中備えは蟇股。彫刻の題材は干支で、こちらは辰(竜)。

軒裏は、二軒の吹寄せ垂木。

 

正面中央。

こちらは頭貫の下の飛貫が省略され、そのかわり、頭貫の下部に持ち送りが添えられています。

蟇股は卯(兎)。

 

左側面(南面)。

蟇股は右から巳、午、未。

内部は格天井になっています。

 

拝殿と回廊

高舞殿の先には拝殿があり、左右に回廊が伸びています。

拝殿は、桁行3間・梁間3間、入母屋(妻入)、正面軒唐破風付、檜皮葺。

拝殿、回廊ともに1642年再建。「南宮神社 18棟」として国重文。

 

拝殿の手前の庇は、桁行3間・梁間1間、片流、招き屋根付き、檜皮葺。

拝殿とは別棟というあつかいで、とくに文化財には登録されていないようです。

 

寺社建築ではめずらしい片流れ屋根。招き屋根(写真左)の桁を受けるため、柱から木鼻付きの腕木を伸ばしています。

破風板の拝みには猪目懸魚。

 

正面向かって左の柱。

柱はいずれも角柱。やや大きめに面取りされています。

柱の側面には拳鼻。柱上は出三斗。

 

拝殿の正面の破風。正面には軒唐破風が設けられています。

入母屋破風の破風板には猪目懸魚。見づらいですが、妻飾りは笈形付き大瓶束。

 

軒唐破風の兎毛通は、鳳凰。

 

拝殿の母屋。

正面には庇、左右には回廊があり、母屋部分は観察しづらいです。

柱は円柱。長押は極彩色に塗り分けられています。頭貫木鼻はありません。

頭貫の上には蟇股があり、彫刻は彩色されています。

 

拝殿の左右の回廊は、切妻、銅板葺。

柱は円柱、柱間は緑色の連子窓。柱上は出三斗。中備えは蟇股。

軒裏は一重の吹寄せ垂木。

 

幣殿と本殿

拝殿の後方には、幣殿と本殿が鎮座しています。

写真右側に少しだけ見える低い屋根が幣殿のようです。

文化庁によると“桁行一間、梁間一間、一重、唐破風造、妻入、檜皮葺”らしいです。

 

本殿は、桁行3間・梁間4間、三間社入母屋、向拝1間、檜皮葺。

幣殿、本殿ともに1642年再建。「南宮神社 18棟」として国重文。

祭神は金山彦命(かなやまひこのみこと)。イザナミの吐瀉物から生じた神。当社では金属業や鉱業の神として信仰されています。

 

母屋の本体は側面(梁間)3間のようですが、前方に1間の前室(外陣?)がついていて、つごう側面4間となっています。このような前室付きの本殿は、流造のものであれば滋賀県でよく見られますが、入母屋のものは非常にめずらしいと思います。

これより先には進入できず、細部を観察できないのが惜しいです。

 

なお、当社の社殿は「南宮造」と呼ばれるようで、公式サイト*3によると“和様と唐様を混用した独特の様式”が南宮造の特徴らしいです。

しかし、和様と唐様を折衷(混用)した建築は室町初期にはすでに出現しており*4、当社の社殿は江戸初期の再建です。当社が発祥というわけでもないため、南宮大社の名を冠して呼ぶほどの理由は見当たりません。ふつうに「折衷様」と呼ぶだけで充分かと思います。

 

摂社

南宮大社本殿の左右には、計4棟の摂社が並んでいます。

後方には七王子社という社殿がありますが、回廊の先に進入できないため見ることができません。なお、七王子社は、「七間社流造、銅板葺」というめずらしい様式のようです。

4棟の摂社と七王子社は、本殿と同様に1642年再建、「南宮神社 18棟」として国重文

こちらは左端(南端)にある南大神社(なんだい-)。拝殿にあった案内板には、南大(みなみだい)神社と書かれていました。

一間社流造、檜皮葺。

縁側に脇障子はなく、欄干は跳高欄。階段の手前には浜床が設けられています。

 

南宮大社本殿の左隣には高山神社(たかやま-)

桁行3間・梁間2間、三間社入母屋、向拝1間、檜皮葺。

 

向拝部分の拡大図。

虹梁中備えは蟇股。虹梁木鼻には拳鼻。柱上は出三斗。いずれも極彩色。

ほかの摂社も同様の造りをしていました。

 

南宮大社本殿の右隣には樹下神社(じゅげ-)。案内板には樹下社(このもとしゃ)と書かれていました。

桁行3間・梁間2間、三間社入母屋、向拝1間、檜皮葺。

高山神社と同様の造り。

 

右端(北端)には隼人社(はやとしゃ)。

一間社流造、檜皮葺。

南大神社と同様の造り。

 

その他の社殿

拝殿と回廊の右側(北)には勅使殿。

入母屋(妻入)、銅板葺。

「南宮神社 18棟」として国重文。

柱は角柱、柱上は舟肘木、軒裏はまばら垂木。住宅風の建築。

 

勅使殿の手前(東)には神官廊が南面しています。

入母屋、本瓦葺。

「南宮神社 18棟」として国重文。

屋根は本瓦で葺かれ、どちらかといえば寺院風の造り。

 

拝殿と回廊の左手前には、神輿殿が北面しています。

入母屋、本瓦葺。

「南宮神社 18棟」として国重文。

向かい合う神官廊とほぼ同じ造り。

 

ほか、石鳥居と下向橋も国重文となっていますが、見逃してしまいました。加えて、境内の内外にも多数の境内社がありますが、時間がなくてまわりきれなかったため割愛。

 

以上、南宮大社でした。

(訪問日2022/06/25)

*1:文化庁の目録には「南宮大社」ではなく、戦前の社号の「南宮神社」で登録されている。

*2:附:棟札29枚、造営文書623冊。

*3:https://www.nangu-san.com/precincts.html、2022/08/19閲覧。

*4:歓心寺金堂や鶴林寺本堂が代表的。