今回は滋賀県米原市の日撫神社(ひなで-)について。
日撫神社は市の北東部の山際に鎮座しています。
創建は不明。社伝によると、当地は神功皇后(オキナガタラシヒメ)の祖先の出身地とされ、神功皇后の戦勝を祝って祭祀されたのがはじまりとのこと。鎌倉末期には、後鳥羽上皇が当社を訪れて相撲を観覧し、牛を奉納したという伝説があります。
『延喜式』に記載のある式内社で、遅くとも平安時代には確立されていたようです。室町時代前期には京極高光によって社殿が造営されたようですが、室町末期の戦乱で焼失しています。
現在の境内社殿は、江戸中期から後期にかけてのもの。本殿は入母屋の三間社で、本殿の前の中門は檜皮葺となっています。また、参道には小野道風の筆と伝えられる下馬石があります。
現地情報
所在地 | 〒521-0072滋賀県米原市顔戸77(地図) |
アクセス | 坂田駅から徒歩40分 米原ICから車で5分 |
駐車場 | なし |
営業時間 | 随時 |
入場料 | 無料 |
社務所 | あり(要予約) |
公式サイト | なし |
所要時間 | 20分程度 |
境内
参道
日撫神社の一の鳥居は、集落の中の道路上に立っています。
石造の明神鳥居。扁額は「日撫神社」。
左の社号標は「式内日撫神社」。
鳥居を通って道なりに進むと、道沿いに境内の入口があります。
日撫神社の境内は南向き。参道は南西向きに伸びています。
二の鳥居は石造の明神鳥居。扁額は「日撫神社」。
参道を100メートルほど進むと、社務所の手前に下馬石があります。
石の右側にある案内板*1によると、この下馬石の字は平安時代の書家として知られる小野道風の作とのこと。
下馬石を過ぎると参道が右に折れ、境内は南向きになります。
三の鳥居も石造の明神鳥居で、扁額は「日撫神社」。
右手の手水舎は、入母屋、銅板葺。
柱は面取り角柱。象鼻のような木鼻が使われています。
拝殿
境内の中心部には拝殿。
入母屋、正面背面軒唐破風付、銅板葺。
案内板の由緒書き*2によると寛政年間(1789-1801)の再建。
正面は3間。中央の柱間には虹梁がわたされています。
虹梁の中央部には、木鼻のついた大瓶束が立てられています。この位置に大瓶束を使うのは風変わり。
唐破風の小壁には蟇股。
向かって右の柱間。
柱は角柱。頭貫に木鼻がつき、柱上に台輪が通っています。
組物は出三斗と平三斗。中備えの蟇股は、唐獅子が彫られています。
側面は2間。
本来は3間だと思うのですが省略され、そのかわりに中央に柱を入れて2間にしています。
側面には中備えの蟇股はありません。
左後方(北西)から見た図。
背面にも軒唐破風が設けられています。
中門と本殿
拝殿の後方には、中門と本殿が鎮座しています。
中門は、本殿を囲う透かし塀と一体になっています。梁間1間・桁行2間、向唐門、檜皮葺。
見づらいですが、唐門の欄間には透かし彫りの彫刻が入っています。
本殿は、桁行3間・梁間2間、三間社入母屋、正面千鳥破風付、向拝1間 軒唐破風付、銅板葺。
案内板の由緒書きによると、1723年(享保八年)の再建。
祭神は、スクナビコナ、誉田別命、息長宿禰王(神功皇后の父)の3柱。
向拝は、木鼻や中備えや手挟に彫刻がありますが、遠くてよく見えず。
向拝柱は几帳面取り角柱。海老虹梁はありません。
母屋柱は円柱。正面は3間。
3組の桟唐戸が設けられ、上部の羽目板には樹木を題材にした彫刻が入っています。扉の上の蟇股にも彫刻があります。
組物は出組。軒裏は二軒繁垂木。
側面には積雪対策の囲いが設けられていて、観察できず。
以上、日撫神社でした。
(訪問日2022/06/25)