今回は京都府宇治市五ケ庄(ごかしょう)の許波多神社(こはた-)について。
許波多神社は市北部の住宅地に鎮座しています。
創建は社伝によると大化元年(645年)で、孝徳天皇の勅命を受けた中臣鎌足によって開かれたらしいです。平安時代の『延喜式』では式内大社に列していて、同市木幡の許波多神社とともに論社に比定されています。当初は柳山(現在の黄檗公園)に鎮座していて、『信長公記』によると槇島城の戦い(1573年)の折に織田信長が当社に陣を布いたとのこと。1876年、陸軍によって社地を接収されたため、御旅所のあった現在地へ遷座となりました。また、幕末まで「柳神社」「柳大明神」と呼ばれていましたが、移転時に現在の社号に改められています。
現在の境内社殿は明治の移転後に整備されたもの。本殿は旧社地から移築されたものと思われ、室町後期の建築のため重要文化財に指定されています。ほか、当社の所蔵する平安時代の馬具も重要文化財となっています。
現地情報
所在地 | 〒611-0011京都府宇治市五ケ庄古川13(地図) |
アクセス | 黄檗駅から徒歩15分 宇治東ICから車で10分 |
駐車場 | なし |
営業時間 | 随時 |
入場料 | 無料 |
社務所 | なし |
公式サイト | なし |
所要時間 | 10分程度 |
境内
拝殿
許波多神社の境内は南向き。入口は住宅地の車道に面しています。
参道の左右に立てられた社号標は「許波多神社」。
参道には社叢がうっそうと茂り、その中に鳥居があります。
一の鳥居は石造明神鳥居。扁額は「許波多神社」。
参道を進むと手水舎(左)と二の鳥居があります。
二の鳥居は木造明神鳥居。笠木に銅板の屋根がついています。扁額は「許波多神社」。
参道左手には手水舎。
切妻、桟瓦葺。
参道の先には拝殿。門のように中央部が通路となっており、割拝殿の形式です。
入母屋、正面軒唐破風付、桟瓦葺。
正面中央の柱間。
虹梁にはしめ縄がかかり、中備えは板蟇股。その上には妻虹梁がわたされ、唐破風の小壁にも蟇股が置かれています。
唐破風部分の軒裏には茨垂木がまばらに配され、兎毛通には若葉状の意匠のついた蕪懸魚が下がっています。
内部の通路上は棹縁天井が張られています。
向かって左側の母屋。
柱は角柱で、柱上は舟肘木。柱間は格子戸と舞良戸が入っています。
軒裏は一重まばら垂木。
左側面(西面)。
柱間には斜めの材(筋交い)が入り、白い壁が張られています。くわえて、補強のためなのか、室外に丸い材が添えられています。
入母屋破風。
木連格子が張られ、拝みに蕪懸魚が下がっています。
中門と本殿
拝殿の奥には中門があり、中門と透塀の内側に本殿が鎮座しています。
中門は、切妻(妻入)、銅板葺。
破風板の拝みには梅鉢懸魚が下がり、ハート形のような形状に繰りぬかれています。
妻飾りは蟇股。
中門の奥には本殿がありますが、塀や灌木があって詳細な観察はむずかしいです。
本殿は、桁行3間・梁間2間、三間社流造、向拝3間、檜皮葺。
大棟には千木と鰹木が各3つ。千木は置き千木で、先端の断面は水平です。鰹木は細い紡錘形のもの。
向拝は3間。上の写真は向かって右端の1間。
奥の母屋には板戸が設けられています。
右の隅の向拝柱。
向拝柱は面取り角柱。隅の柱は、組物に出三斗が使われています。
側面には斗栱が出て、連三斗の肘木を受けています。
中央の向拝柱は、組物に平三斗が使われています。
向拝柱のあいだには頭貫が通り、中備えは蟇股。上の写真の蟇股は、鹿らしき獣が彫られ、桃山風の極彩色の巻斗が乗っています。
組物と蟇股の上に実肘木はなく、巻斗で軒桁を直接受けています。
母屋部分は正面(桁行)が3間、側面(梁間)が2間となっています。
母屋柱は円柱で、軸部は貫と長押でつながれています。木鼻は使われておらず、純粋な和様建築となっています。
柱上の組物は出三斗と平三斗。頭貫の上の中備えは、側面にはありませんが、背面には間斗束が使われているのが確認できます。
妻飾りは豕扠首。破風板の拝みと桁隠しには猪目懸魚。
本殿の周辺には多数の境内社が点在しています。
写真中央は春日社で、一間社春日造、銅板葺。見世棚造。
春日社の手前の低い棟は山王社と籠神社(?)、写真右端の棟は八幡宮と書かれています。2棟とも二間社流造、銅板葺、見世棚造です。
本殿向かって左側の境内社。
写真中央は、左側が愛宕社、右側が夷子社で、屋根を共有しています。
右奥の小さい社殿は天満宮のようです。
以上、許波多神社でした。
(訪問日2024/12/06)