甲信寺社宝鑑

甲信地方の寺院・神社建築を語る雑記。

【弘前市】革秀寺(津軽為信霊屋)

今回は青森県弘前市の革秀寺(かくしゅうじ)について。

 

革秀寺は岩木川北岸の住宅地に鎮座する曹洞宗の寺院です。山号は津軽山。

創建は慶長年間(1596-1615)の前半。弘前藩初代藩主・津軽為信によって現在の藤崎町に開かれました。2代藩主・津軽信枚によって現在地へ移転され、先代の為信の菩提寺となりました。移転年は資料により異なり、1608年または1609年とのこと。以降、歴代藩主の崇敬を受けています。

現在の境内は江戸初期に整備されたもので、境内や霊屋の周辺には池と土塁がめぐらされています。伽藍は本堂と津軽為信霊屋が国重文となっています。

 

現地情報

所在地 〒036-8373青森県弘前市藤代1-4-1(地図)
アクセス 中央弘前駅から徒歩40分、または弘前駅から徒歩1時間
大鰐弘前ICから車で30分
駐車場 20台(無料)
営業時間 随時
入場料 無料
寺務所 あり(要予約)
公式サイト 曹洞宗 津軽山 革秀寺
所要時間 15分程度

 

境内

山門

革秀寺の境内は南東向き。境内は住宅地の一画にあり、境内の手前は池になっています。

境内入口には山門(総門)。扁額は右横書きで「仰高門」。

山門は、一間一戸、薬医門、切妻、銅板葺。

 

柱は主柱(写真中央)が円柱、後方(左)の控柱が角柱。

主柱から前方に腕木を伸ばし、桁を持ち出して軒裏を受けています。

軒裏は二軒繁垂木。

 

腕木(男梁)の先端は象鼻のような形状になっていて、繰型がついています。

その下に添えられた女梁は雲の意匠。

腕木の上には出三斗が乗り、軒桁を受けています。

 

後方の控柱は几帳面取り角柱。

後方(写真左)にも腕木を伸ばして桁を持ち出しています。門の内部には格天井が張られています。薬医門としてはかなり凝った造り。

 

妻飾りは笈形付き大瓶束。

破風板の拝みは鰭付きの蕪懸魚。鰭や桁隠しは雲の意匠となっています。

 

山門の近くには鐘楼。

切妻、鉄板葺。

屋根の厚さに対し、異様に大きな破風板がついています。

 

本堂

山門の先には本堂が鎮座しています。本尊は釈迦如来。

本堂は、桁行9間・梁間8間、入母屋、茅葺。

1612年(慶長十七年)再建*1。「革秀寺 2棟」として国指定重要文化財

 

全体的に簡素な外観で、目立った意匠は見られません。

案内板*2によると“いかにも古雅な外観ではあるが、内部の扉や欄間、木鼻等の彫刻、あるいは、天井などに桃山時代の手法を数多く残している”とのこと。外観よりも内部が見どころの模様。

 

正面中央の軒下はに玄関のような庇があります。積雪対策なのか、ガラス戸や波板が取り付けられています。

扁額は山号「津軽山」。

 

柱は角柱で、柱上は舟肘木。

入母屋破風には木連格子が張られ、破風板の拝みには蕪懸魚。

 

津軽為信霊屋

本堂向かって左には、塀や土塁に囲われた霊廟があります。

これは弘前藩の初代藩主、津軽為信を祀った霊屋。歴代藩主の霊廟が長勝寺に何棟かありますが、藩祖である初代・津軽為信は別格のあつかいで、神格化されていたようです。

 

津軽為信霊屋は、桁行1間・梁間1間、入母屋(妻入)、正面軒唐破風付、こけら葺。

1608年(慶長十三年)建立の記録があるとのこと*3文化年間(1804-1817)の改修で現在の姿となっています。

前述の本堂とあわせて「革秀寺 2棟」として国指定重要文化財

 

訪問時は4月初頭だったため軒下に雪囲いの板が設けられていましたが、公式サイトには雪囲いのないときの姿が掲載されています。

内部の拝観は、事前に予約を入れれば可能とのこと。今回は事前調査せずに来てしまったため拝観はできず。

 

建築様式は入母屋(妻入)。向拝はなく、正面の軒先に軒唐破風が設けられています。

軒唐破風の兎毛通には怪鳥の懸魚。

入母屋破風の拝みには鰭付きの蕪懸魚。

 

背面の破風。

各部材は、安土桃山風の極彩色に塗り分けられています。

妻飾りは二重虹梁になっていて、蟇股や大瓶束が使われています。

こちらの破風板の拝みには、鰭のない猪目懸魚が下がっています。

 

以上、革秀寺でした。

(訪問日2022/04/09)

*1:文化遺産オンラインより。境内案内板(革秀寺と弘前市教育委員会)によると1610年とする説もある。

*2:革秀寺と弘前市教育委員会の設置。

*3:境内案内板(設置者不明)より。文化遺産オンラインによると1615-1660とのこと。