今回は奈良県大和高田市の石園座多久虫玉神社(いわぞのにいます たくむしたま-/いそのにます たくむしたま-)について。
石園座多久虫玉神社(石園坐多久蟲玉神社)は大和高田市の中心市街に鎮座しています。通称は竜王宮(りゅうおうぐう)。
創建は不明。境内は3代・安寧天皇の都である浮穴宮の跡地にあるとのこと。平安期の『延喜式』には「石園坐多久豆玉神社」として記載があり、その頃には確立していたようです。その後の沿革は不明。
現在の社殿は平成初期の再建のようで、拝殿は派手な彩色が施されています。本殿も同様に再建されたもの。また、当地は静御前の母の出身地らしく、静御前にまつわる祠や旧跡が周辺にあるようです。
現地情報
所在地 | 〒635-0085奈良県大和高田市片塩町15-33(地図) |
アクセス | 高田市駅から徒歩3分 橿原高田ICから車で10分 |
駐車場 | なし |
営業時間 | 随時 |
入場料 | 無料 |
社務所 | あり(要予約) |
公式サイト | なし |
所要時間 | 10分程度 |
境内
参道
石園座多久虫玉神社の境内は西向き。めずらしい方角を向いていますが、当社と関係がある長尾神社(葛城市)と向かい合っているという説もあるようです(Wikipediaの長尾神社の項目より)。
境内入口は南大阪線・高田市駅へつづく幹線道路に面しており、駅からのアクセスはきわめて良好。訪問の予定はなかったのですが、駅へ行く途中に前を通ったため立ち寄ることにしました。
鳥居は木造の明神鳥居。貫の両端がなぜか下向きに曲がっています。
参道右手には手水舎。
銅板葺、切妻。
手水舎の近くには境内社が南面して並んでいます。
右端の春日造の社殿にはえびすの面が掛けられています。
ほかの社殿は流造っぽい造り。
境内案内板(大和高田市の設置?)によると当地は源義経の側室・静御前の母(磯禅師)の出身地とのこと。静御前は鎌倉幕府に捕らえられ、義経を慕う舞を披露した逸話で知られますが、その後の消息は不明です。当地の伝説では、幕府に許されたのち母とともに磯野(現 大和高田市礒野町)で短い余生を過ごしたと伝えられているようです。
この境内には晩年の静御前が病の平癒を願ったとされる神社が移されたらしいですが、どれがその神社なのかはよく分からず。
拝殿と本殿
拝殿は入母屋、正面および背面千鳥破風付、向拝1間・軒唐破風付、銅板葺。
旧社殿は平成初期の放火で焼失したらしく、現在の社殿はその後の再建です。
向拝の軒下の各部材は、安土桃山風の派手な彩色が施されています。
水引虹梁の中備えは蟇股。はらわたの彫刻は植物を抽象化したような意匠。意匠そのものは古風ですが、造形は立体的。
妻虹梁には唐草の絵様が彫られ、その上の妻飾りは笈形付き大瓶束。大瓶束は角柱で、中央下部にハート形(猪目)の穴が開いています。笈形は波や葉の意匠が取り入れられています。
唐破風の兎毛通は猪目懸魚。赤を基調とし、ふちに補色(反対色)の緑を入れることで輪郭が際立っています。
向拝柱は角面取りされています。
木鼻は角ばった拳鼻。繰型は緑、側面の木口は白く彩色されています。
柱上の組物は出三斗。こちらも木口が白く塗り分けられています。
向拝と母屋はまっすぐな梁でつながれています。
母屋柱は角柱。組物は大斗と舟肘木。
柱間の中央3間は桟唐戸の意匠のガラス戸が使われています。
母屋は中備えや木鼻がなく、向拝とくらべてかなり簡素。
軒裏は一重まばら垂木。
側面は3間。後方には幣殿(?)がつづいています。
拝殿の屋根は背面側にも千鳥破風が設けられ、十字型の棟になっているようです。
拝殿の後方には塀に囲われた本殿。
春日造、銅板葺。
祭神は玉依彦と玉依姫。両者とも賀茂建角見命の子で、賀茂神社の系統の神のようです。ただし、当社のように「××坐〇〇神社」といった形式の社名は坐のあとに祭神の名前がつづくため、“多久虫玉”なるものが本来の祭神という説もあるようです。
建築様式は、隅木のない純粋な春日造。
大棟には外削ぎの千木が載り、角柱の鰹木が5本並んでいます。
向拝部分は手前の社殿に隠れてしまっており、観察できず。
母屋柱は側面2間で、円柱が使われています。
頭貫木鼻は拝殿向拝のものと同様。組物は出三斗と平三斗が使われています。中備えはありません。
手前の塀の影になってしまっていますが、縁側の脇障子は母屋の中間の柱の位置に立てられています。
軒裏は二軒繁垂木。
以上、石園座多久虫玉神社でした。
(訪問日2021/11/20)