今回は長野県上田市の手塚八幡社(てづかはちまんしゃ)について。
手塚八幡社は塩田平南部のため池が点在する田園地帯に鎮座しています。
境内には案内板などがないため、創建や由緒については不明。社殿については、江戸初期あたりの造営と思しき本殿が良好な状態で保存されています。
現地情報
所在地 | 〒386-1433長野県上田市手塚297(地図) |
アクセス | 八木沢駅または舞田駅から徒歩35分 上田菅平ICから車で30分 |
駐車場 | なし |
営業時間 | 随時 |
入場料 | 無料 |
社務所 | なし |
公式サイト | なし |
所要時間 | 10分程度 |
境内
参道と拝殿
手塚八幡社の境内は南向き。
銅板で覆われた神明鳥居が農道の脇に立っています。
この奥にある境内入口の社号標には「手塚八幡社」と書かれていました。
二の鳥居は木造の赤い両部鳥居。扁額は「八幡宮」。
拝殿は鉄板葺の寄棟(平入)。向拝や扁額などはなし。
本殿
拝殿の裏には玉垣と覆い屋に囲われた本殿が鎮座しています。写真左が手塚八幡社本殿。
本殿はこけら葺の三間社流造(さんけんしゃ ながれづくり)。正面3間・側面2間、向拝3間。
造営年代は不明ですが、各所の意匠から江戸初期以降のものと見られます。
祭神は、八幡宮なので誉田別命などの八幡神と思われます。
正面の軒先を支える向拝柱は、C面取りされた角柱。角柱は虹梁(こうりょう)でつながれています。
虹梁の中備えには蟇股があり、フジと思しき彫刻があります。虹梁の端の木鼻はやや古風な象鼻で、あまり立体的な造形ではありません。
向拝柱と母屋(写真奥)はゆるくカーブした海老虹梁(えびこうりょう)でつながれており、母屋側は頭貫の高さから降りてきています。
軒裏は一重のまばら垂木で、ここはあまり神社本殿らしくない造り。
手前の屋根で隠れてしまっていますが、母屋の扉の上にかかげられた扁額には「八幡宮」とありました。
見えづらいですが右側面。
妻虹梁は持出しされておらず、大瓶束(たいへいづか)で棟を受けています。
破風板には懸魚(げぎょ)がついており、桁隠しには菊の花が彫られています。
縁側は跳高欄(はねこうらん)のついたものが3面にまわされ、床下は縁束。脇障子に彫刻の類は見られませんでした。背面は確認できず。
大棟は箱棟になっているようです。
屋根葺きはこけら葺。薄板を何層も重ねている様子が見えます。覆い屋によって風から保護されているおかげで、こけらの保存状態も良好。
摂社・末社
手塚八幡社本殿の右隣には摂社と思われる社殿があります。名称不明。
こちらの社殿はこけら葺の一間社流造。正面に軒唐破風(のき からはふ)と千鳥破風(ちどりはふ)。
造営年代は江戸後期以降と思われます。祭神は不明。
ベースは一間社流造というシンプルな様式なのですが、軒唐破風と千鳥破風がついているうえ両者とも箱棟になっているせいで、摂社にしては装飾過多のきらいが無きにしもあらず。
向拝柱についている木鼻には唐獅子と象の彫刻があります。
組物は二手先。妻虹梁は二重になっており、上の妻虹梁では雲状の笈形(おいがた)のついた大瓶束が棟を受けています。
破風板の拝みから下がる懸魚には、菊の花の彫刻もついています。
梁の上の蟇股や笈形の造形から判断すると、江戸後期かそれ以降の造営ではないでしょうか。
縁側は跳高欄のついたものが3面にまわされています。脇障子には竹が透かし彫り。この彫刻も新しめの作風。
母屋柱の床下は八角柱になっていました。
八幡社本殿の左隣にも摂社(あるいは末社?)。
こけら葺の一間社流造。向拝中備えや浜床の彫刻から、こちらも同様に江戸後期あたりのものと思われます。
以上、手塚八幡社でした。
(訪問日2020/08/01)