甲信寺社宝鑑

甲信地方の寺院・神社建築を語る雑記。

【上田市】中禅寺

今回は長野県上田市の中禅寺(ちゅうぜんじ)について。

 

中禅寺は塩田平の南部の山際に鎮座する真言宗の寺院です。山号は竜王山。

創建は、伝承によれば平安期に空海によって開基されたとのこと。塩田平の他寺院と同様に、鎌倉期に隆盛をきわめ、そののち衰退したようです。

現在の伽藍はほとんどが江戸中期のものですが、薬師堂は鎌倉初期の造営とされます。これは木造建築として信州最古であるだけでなく、中部地方でも最古級で、非常に歴史的価値の高い建造物です。

 

現地情報

所在地 〒386-1436長野県上田市前山1721(地図)
アクセス 舞田駅から徒歩40分
上田菅平ICから車で30分
駐車場 20台(無料)
営業時間 随時
入場料 200円
寺務所 あり
公式サイト なし
所要時間 10分程度

 

境内

本堂

中禅寺本堂

中禅寺の境内入口は北向きになっており、伽藍はいずれも東向きです。

こちらは本堂で寄棟、鉄板葺。大棟は箱棟になっています。

1734年(享保十九年)の造営とのこと。扁額は「龍王山中禅寺」。

 

仁王門

中禅寺仁王門

本堂から参道に戻り、薬師堂のほうへ向かうと仁王門があります。

仁王門は三間一戸、八脚門?、切妻、桟瓦葺。造営年不明。

案内板によると内部にある金剛力士像(仁王像)は鎌倉期の作とされ、長野県宝に指定されています。

 

薬師堂

中禅寺薬師堂

仁王門の先には薬師堂が鎮座しています。

桁行3間・梁間3間、宝形、茅葺。

詳細な年代は不明ですが、平安後期から鎌倉初期の造営と考えられています。国指定重要文化財

 

平安・鎌倉期の建造物なので装飾や彫刻の類はいっさいなく、これ以上ないくらいにシンプルであっさりとした外観。むくりのついた茅葺き屋根も、無駄や虚飾のない洗練された印象を受けます。

 

中禅寺薬師堂屋根

屋根は四角錐の形状をした宝形。屋根葺きには茅が使われています。

てっぺんには露盤と宝珠。

 

中禅寺薬師堂正面

中禅寺薬師堂側面

母屋は正面・側面ともに柱間が3つ。すなわち方三間(ほうさんけん)という平面構成。

正面は中央が両開きの板戸、その左右は引き戸となっています。そして側面は前方の1間が引き戸、あとの2間は壁板を横方向に張っています。

 

案内板によると、宝形の屋根、方三間の構造、そして扉の構成に平安時代後期の特色をとどめているらしく、これを根拠に平安後期~鎌倉初期の造営であると推測されているようです。ちなみに、平安後期の造営である中尊寺金色堂(岩手県平泉町)と同様の造りをしているとのこと。

もし棟札などの資料が残っていて年代がはっきりとわかるなら、この薬師堂も国宝指定されていた可能性があり得たでしょう。

 

中禅寺薬師堂背面

背面。

柱や各所の構造は正面・側面と大差ないですが、こちらは中央にのみ引き戸があります。

 

中禅寺薬師堂正面軒下

屋根の軒の出はあまり深くなく、軒裏は一重のまばら垂木となっています。垂木は平行。

柱と柱の固定には長押(なげし)が使われており、扉のある部分は長押が二重に打たれています。

柱上の組物は舟肘木(ふなひじき)というシンプルかつ古風なもの。

 

中禅寺薬師堂の柱

母屋を構成する柱は、C面が非常に大きく取られた大面取り角柱。

角柱のC面の幅は時代をさかのぼるほど大きくなる傾向があり、年代推定の手掛かりにもなります。C面から判断するとこの角柱はとても古風で、平安後期の造営だという説にもうなずけます。

 

中禅寺薬師堂床下

床下。母屋柱は床下も大きく面取りされています。

縁側は壁面と直交に張った切目縁(きれめえん)が4面にまわされています。縁の下は角柱の縁束で支えられており、この縁束は小さめにC面取りされています。

縁側に欄干や階段はありません。正面に参拝者用の階段(大谷石製)がついていますが、おそらく後補でしょう。

 

以上、中禅寺でした。

(訪問日2020/08/01)