今回は岐阜県八百津町の明鏡寺(みょうきょうじ)について。
明鏡寺は八百津町南部の山際の集落に鎮座している臨済宗の寺院です。山号は霊光山。
創建は室町初期で、鎌倉幕府6代将軍の宗尊親王の菩提を弔うため開かれたとのこと。伽藍の大部分は現代のものですが、境内の中央にある観音堂は室町初期の禅宗様建築で、国指定重要文化財となっています。
現地情報
所在地 | 〒505-0303岐阜県加茂郡八百津町伊岐津志1364-2(地図) |
アクセス | 可児御嵩ICから車で10分 |
駐車場 | 10台(無料) |
営業時間 | 随時 |
入場料 | 無料 |
寺務所 | あり(要予約) |
公式サイト | なし |
所要時間 | 15分程度 |
境内
参道
明鏡寺の参道は西向き。後述する本堂や庫裏は南向きです。
境内入口に寺号標のようなものはなく、山門も道路から奥まった場所にあるため場所がややわかりにくいです。
山門は桟瓦葺の切妻。正面1間・側面1間の薬医門。
山門の内部。写真左が正面側です。
柱は几帳面取りされた角柱。柱間には梁がわたされ、その上には板状の蟇股(かえるまた)が棟を受けています。
軒裏はまばらな垂木がのびており、天井はなく化粧天井裏です。
観音堂
山門の先には観音堂が西向きに鎮座しています。
観音堂は茅葺の寄棟(平入)。正面3間・側面3間。柱はいずれも円柱。
八百津町観光協会によると室町初期、1368年(貞治7年)の造営。国指定重要文化財。
正面・側面ともに柱間が3つあり、中央の1間が広めになっています。正面は中央が両開きの桟唐戸(さんからど)で、左右の柱間も桟唐戸なのですがこちらは片開きです。
正面右側の軒下。
柱は上端が丸くすぼまった粽(ちまき)。柱間には波状のパターンが彫られた弓欄間が使われています。
柱の上部には頭貫と台輪に木鼻が取り付けられています。また、台輪の上には組物がありますが、柱の軸上でない箇所にも平三斗(ひらみつど)の組物が配置されており、詰組(つめぐみ)になっています。
右側面(南面)。
側面の中央の柱間には、火灯窓(かとうまど)という釣鐘状のシルエットをした窓が設けられています。そして壁板は縦方向に張られています。
ここまでに述べた粽、弓欄間、頭貫と台輪の木鼻、詰組、火灯窓、縦方向の壁板はいずれも禅宗様建築の定番といえる意匠です。
そのいっぽう、縁側(切目縁)が正面と左右の3面にまわされていて、高床になっています。禅宗様建築では縁側は設けず、床は土間とするのが正式なので、この観音堂は純然たる禅宗様とは言えません。この点では同県多治見市の永保寺観音堂(鎌倉後期の造営)に通じるところがあります。
背面。左右の柱間が出っ張っていますが、この空間の用途は不明。
背面は縁側がないほか、壁板が横に張られていたり弓欄間がなかったりと、正面や側面とくらべて少々おざなり。
母屋柱は円柱ですが、床下を観察してみると十六角柱になっていました。
円柱の床下の成形を手抜きして八角柱で止めてしまう工作は室町中期あたりから出現し、江戸期には当たり前のように手抜きされるようになるのですが、この柱はそういった手抜き工作の発展途上(?)といったところでしょうか。
後方(南東方向)から見た屋根。
母屋は正方形の平面ですが、屋根にはいちおう短い棟が左右に通っているので、この観音堂は宝形ではなく寄棟(平入)になります。
屋根は直線的な形状で、小ぎれいな茅もあいまって素朴で気取ったところのない印象。
不動堂
観音堂の裏の石垣の上には不動堂。
銅板葺の入母屋(平入)。正面1間・側面2間。柱は円柱。
正面には2つ折れの桟唐戸。柱は粽で、頭貫と台輪に木鼻。
組物は出組で、柱間にも詰組が配置されています。
軒裏は二軒(ふたのき)。垂木が放射状に延びており、これは扇垂木という禅宗様の特徴的な意匠。
側面は壁板が横方向に張られ、その上の欄間は輪違を連続させたパターン。
破風板からは懸魚が下がり、破風内部には出三斗と妻虹梁。
本堂など
明鏡寺の本堂は桟瓦葺の入母屋(平入)。南向き。扁額は山号「霊光山」。
本尊は釈迦如来。
観音堂の南側にある小池の島には名称不明の堂。弁天堂といったところでしょうか。
銅板葺の宝形。小規模な堂ですが、観音堂と同様に禅宗様をベースとした造り。
以上、明鏡寺でした。
(訪問日2020/07/19)