今回は長野県佐久市の蕃松院(ばんしょういん)について。
蕃松院は佐久市東部、龍岡城と新海三社神社のある集落に鎮座する曹洞宗の寺院です。山号は大梁山。
伽藍はいずれも江戸後期と明治期のものですが、規模の大きさは佐久でも随一であり、彫刻も凝っています。また、佐久地域出身の武将・依田信蕃の菩提寺でもあります。
現地情報
所在地 | 〒384-0412長野県佐久市田口2893(地図) |
アクセス | 龍岡城駅から徒歩20分 佐久南ICから車で15分 |
駐車場 | 20台(無料) |
営業時間 | 随時 |
入場料 | 無料 |
寺務所 | あり(要予約) |
公式サイト | なし |
所要時間 | 10分程度 |
境内
参道
蕃松院の境内は南向き。
境内入口には総門があり、扁額は山号の「大梁山」が書かれています。
総門は銅板葺の切妻(平入)、正面1間・側面1間。柱はいずれも角柱。
「蕃松院」は依田信蕃(よだ のぶしげ)の戒名が由来。
依田信蕃(1548-1583)は戦国時代の武将。当初は武田信玄・勝頼に仕えて徳川氏と戦い、武田氏滅亡後は徳川氏に仕えて佐久地方の統治を任されましたが、北条氏との戦いで戦死します。武田氏時代は徳川氏を相手に何度も善戦したため、家康はその能力を高く評価していたようです。
門の内部を見てみると、このような部材がついていました。これは門扉の軸受け。
もとは扉のついた門だったと推測できます。
総門を過ぎると、ひょろっとした枝ぶりの松並木になります。
この松は龍岡城の庭木を移植したものとのこと。
仁王門
本堂の前には立派な楼門(仁王門)が立っています。
仁王門は桟瓦葺の入母屋(平入)の楼門。正面3間・側面2間で、三間一戸の八脚門(やつあしもん/はっきゃくもん)。柱はいずれも円柱。扁額は「月照閣」。
1894年(明治27年)の造営。
1層目。正面側の1間は壁がなく吹き放ち。
内部にある仁王像は、1894年に飯山市の仏師・彫り師によって造られたとのこと。
背面側の軒下。
軒裏は二軒(ふたのき)のまばら垂木。隅木には雲のような意匠があります。
柱は上のほうが少しすぼまった形状で、頭貫には雲状の木鼻がついています。
2層目の背面側。
軒裏は二軒のまばら垂木、組物は一手先の出組で、1層目と同様。
柱間には間斗束(けんとづか)が立てられています。
本堂
本堂は桟瓦葺の入母屋(平入)、軒唐破風の向拝1間。
1822年(寛政二年)の造営。本尊は釈迦牟尼仏。扁額は「蕃松禅院」。
向拝の軒唐破風の部分。
唐破風の屋根の頂部にある鬼板には、菊の紋。
破風板の中央から垂れる兎毛通(うのけどおし)は、立体感ある造形で菊が彫られています。作者が誰なのかはわかりませんが、本物の菊のように精緻で瑞々しい造形をしていて、後述の彫刻とくらべてもここだけ頭抜けて出来がいいと思います。
梁の中央の中備えは、竜の彫刻。その上には雲のような彫刻が配置されています。
竜の中備えの右隣には、組物をはさんで小さめの竜の彫刻が置かれています。
梁の端の木鼻は、こちらを振り向く唐獅子。梁と向拝柱がつながる箇所の持ち送りは、牡丹の意匠の籠彫り。
反対側(向拝の左側)も同様の意匠となっています。
向拝を右側面から見た図。
向拝と母屋のあいだは梁でつながれていますが、まっすぐなものと曲がったものが混在しています。
まっすぐな梁の上には、派手な波が彫刻された笈形付き大瓶束(おいがたつきたいへいづか)が立てられています。笈形の波の彫刻も、かなり良い造形に思えます。
束の上からは曲がった梁が出て、母屋へつながっています。
写真右上は、牡丹の籠彫りがなされた手挟(たばさみ)。
梁の母屋側の下部には、唐獅子が彫刻された持ち送り。
渦巻いた体毛が立体的に彫られており、立川流や大隅流とくらべても遜色ない造形です。
向拝の内部には、カーブした梁が高い位置に渡されています。
梁の中央には斗(ます)がのっていて、実肘木(さねひじき)を介して桁を受けています。
向拝部分は豪華で凝った造りでしたが、母屋はシンプルな造り。
軒裏は二軒のまばら垂木。組物は平三斗。頭貫には台輪木鼻がついています。
本堂の左手には鐘楼。桟瓦葺の入母屋。1848年(嘉永元年)の造営。
一重のまばら垂木、内部は格天井。柱は角柱で、頭貫には木鼻、頭貫と台輪の上には間斗束。
梵鐘は太平洋戦争の折に供出されてしまい、平成になって新しく鋳造したものを設置したとのこと。
以上、蕃松院でした。
(訪問日2020/02/23)