今回は長野県東御市の白鳥神社(しらとり-)について。
白鳥神社は北国街道の海野宿(うんのしゅく)の東に鎮座しています。
海野宿は江戸期の宿場町の面影を色濃く残していることで著名ですが、宿場の産土神である白鳥神社もまた江戸期の作風の本殿が現存しています。
現地情報
所在地 | 〒389-0518長野県東御市本海野1116(地図) |
アクセス | 田中駅から徒歩20分 東部湯の丸ICから車で10分 |
駐車場 | 30台(無料) |
営業時間 | 随時 |
入場料 | 無料 |
社務所 | あり |
公式サイト | なし |
所要時間 | 10分程度 |
境内
参道
白鳥神社の境内入口。写真左へ行くと海野宿があります。
鳥居は明神鳥居で扁額なし。社叢はケヤキの大木が枝を伸ばしています。
すぐ近くには千曲川が流れており、この河原が木曽義仲が挙兵した白鳥河原とのこと。木曽義仲はここで信州や上州の源氏武士たちを糾合し、北陸道へ向けて平家討伐の軍を出撃させたようです。
拝殿は桟瓦葺の切妻(平入)。特に語るほどの点は見当たりませんでした。
本殿
拝殿の裏にまわると本殿があります。
本殿は銅板葺の一間社流造(いっけんしゃ ながれづくり)。
屋根には外削ぎの千木と、5本の鰹木が載っています。これは男神を祀る社殿の特徴と言われることもありますが、俗説です。
造営年代については案内板などに記述がなく、不明。各所の意匠から江戸中期以降のものと思われます。
祭神はヤマトタケルのようです。真田氏をはじめ、近在の国人衆から信仰を集めたとのこと。
本殿正面を右側から見た図。
写真左の向拝柱(階段の下に立つ柱)は角柱、写真右の母屋の柱は円柱。
一間社なので母屋の正面の柱間は1つで、扉も1組。
本殿の右側面。
流造なので正面側の屋根が長く伸びています。
屋根の側面の破風板(はふいた)には、桁隠しの懸魚がついています。
妻壁の梁は組物で持出しされており、持ち出された梁の上にさらに梁がわたされています。
写真左のほうに写っている手挟(たばさみ)は籠彫(かごほり)という手法で菊が彫刻されており、ここは明らかに江戸中期・後期の作風。私の知る限り、手挟に籠彫を使う例は、甲信地方だと江戸中期あたりにならないと出現しないです。よって、この本殿は江戸中期以降のものだろうと推定しました。
右後方から見た図。
縁側は背面にも回されており、床板は壁面と直交に張った切目縁(きれめえん)。欄干は跳高欄(はねこうらん)。縁の下は角柱と貫で支えられています。
母屋の柱を観察すると、「床上は円柱だが床下は八角柱」という定番の手抜き工作がなされていました。
壁には十字状の紋様が刻まれていて、独特の雰囲気となっています。
新海宮
白鳥神社本殿の右隣りには、新海宮という摂社があります。
こちらも一間社流造。屋根は鉄板葺でしょうか。千木・鰹木はありません。
造営年代は白鳥神社本殿と同様、江戸中期以降と見てまちがいないでしょう。
正面の軒を支える角柱には、小さいながら唐獅子と象の木鼻がついています。
母屋の正面の扉は桟唐戸(さんからど)で、その両脇にも彫刻があります。
側面の梁は二手先の組物で持ち出されており、組物からは尾垂木(おだるき)がつき出ています。
縁側の終端をふさぐ脇障子にも彫刻があり、全体的に見て前述の白鳥神社本殿よりも密度が高く、凝った造りをしています。
この写真ではわからないですが、縁側は正面と左右の計3面にだけまわされており、欄干はなし。
背面。さすがにこちらには彫刻も紋様もありませんでした。
母屋の柱は、やはり床下が八角柱に手抜きされていました。
以上、白鳥神社でした。
(訪問日2019/12/28)