今回は長野県上田市の宝蔵寺(ほうぞうじ)岩谷堂観音(いわやどうかんのん)について。
岩谷堂観音は上田市南部の旧丸子町の山際に鎮座しています。
境内は桜の名所で、「義仲桜」なる木があって木曽義仲の伝説が残る地です。表題の観音堂は江戸中期のもので、眺めのいい高台で色鮮やかな仏堂を拝むことができます。
現地情報
所在地 | 〒386-0412 長野県上田市御嶽堂84(地図) |
アクセス | 東部湯の丸ICまたは上田菅平ICから車で25分 |
駐車場 | 30台(無料) |
営業時間 | 随時 |
入場料 | 無料 |
寺務所 | あり(要予約) |
公式サイト | なし |
所要時間 | 15分程度 |
境内
参道
法蔵寺の遠景。中央に見える赤い仏堂が岩屋堂観音。
文字通り、岩山に食い込むかたちで立っています。
境内入口から岩屋堂観音までは5分足らずの距離ですが、石段が非常に急。
入口には親切に杖が置かれているので、必要に応じて使うといいでしょう。
案内板*1によると、木曽義仲(源義仲)はこの参道を乗馬のまま駆け上がったとのこと。
墓地のあいだの参道を登って行くと、途中に休憩所と「義仲桜」なる木があります。
立札によると樹齢800年とのことで、木曽義仲のお手植え、あるいは木曽義仲が馬をつないだという伝承があるようです。
私の経験上、この手の「〇〇公お手植え」はたいてい3代目くらいの木で原初のものではないです。しかし、この義仲桜は桜にしては大木で、樹齢800年というのもあながち嘘とは言い切れません。
義仲桜から進んで階段を登って行くと、石垣と門があります。
門の扁額は、私の知識では判読不能...
左右の石垣は1797年の災害で崩壊したのち、寄進を集めて再建されたとのこと。寄進者の中には、ここからほど近い東御市出身の大相撲力士・雷電為右エ門(らいでん ためえもん)も居たようです。
観音堂
門をくぐると、右手に観音堂があります。
観音堂は銅板葺の入母屋(妻入)で、正面3間・側面4間?、軒唐破風(のき からはふ)の向拝1間。
案内板*2によると1777年(安永6年)の建立。本尊は観世音菩薩で、寺院の創建は約1200年前にまでさかのぼるとのこと。
正面。江戸中期から後期にかけてのものなので、各所に彫刻が見られます。
花の意匠がついた虹梁(こうりょう)の両端には、白く塗装された唐獅子と象の木鼻。黒ずんでいて見づらいですが、虹梁の上には龍の彫刻も置かれています。
屋根の鬼板には、文字どおり鬼の面が睨みを利かせています。
ご覧のように塗装が新しいため、あまり古そうな感じはありません。とはいえ、しっかりと塗装された宮彫り(寺社建築の彫刻のこと)は県内ではちょっと珍しいですし、彫刻の造形もわりと出来がいいように見えます。
観音堂の右側面の後部。
堂のうしろは岩山になっているため、屋根が途中で途切れています。まるで神社建築の春日造(かすがづくり)のよう。
屋根裏の垂木は二重で、地垂木(じだるき:桁に近いほうの垂木)は断面も赤いのに対し、飛檐垂木(ひえんだるき:軒先に近いほうの垂木)は先端が黒くなっています。
組物は平三斗(ひらみつど)で、丸桁(がぎょう)が持出しされています。
観音堂の左には名称不明の堂があり、「楓の前」と書かれていました。
案内板(法蔵寺)によると楓の前とは平家の武将の妻で、壇ノ浦を生き延びた夫が捕らえられてしまい再会を果たせなかったため、ここで出家したとのこと。
最後に、展望台から見下ろした岩屋堂観音と依田川。
岩山に食い込んだ観音堂と、眼下を流れる川がよく見えます。今回は冬枯れの季節でしたが、花の季節はいっそう風光明媚な景色になることでしょう。
観音堂は塗装があまりにもきれいすぎるので古さが感じられないですが、この地域の仏堂としては規模が大きめで、ロケーションも良好。
以上、岩谷堂観音(宝蔵寺)でした。
(訪問日2019/12/28)