今回は長野県立科町茂田井(もたい)の諏訪神社(すわ-)について。
諏訪神社(茂田井)は、中山道の沿線にある「茂田井 間の宿」(もたい あいのしゅく)の端に鎮座しています。
茂田井は中山道の六十九次には入っていない非公式の宿場(休憩所)でしたが旅人の往来で栄えていたようです。諏訪神社では、往事の繁栄を物語るかのような派手で豪華な本殿を拝むことができます。
現地情報
所在地 | 〒384-2304長野県北佐久郡立科町大字茂田井2293-1(地図) |
アクセス | 小諸ICまたは佐久北ICから車で30分 |
駐車場 | なし |
営業時間 | 随時 |
入場料 | 無料 |
社務所 | なし |
公式サイト | なし |
所要時間 | 10分程度 |
境内
参道
諏訪神社の境内は東向き。
社号標は「諏訪神社」、石製の鳥居の扁額には「諏訪宮」。
案内板*1によると、この神社についてのもっとも古い記録は1588年の書状で、そこには“毛田井之宮”(もたいのみや)と記述されているとのこと。
拝殿・覆い屋
参道を進むとすぐに拝殿が現れます。
拝殿は桟瓦葺の入母屋(撞木造?)、向拝1間。
一見するとただの入母屋(妻入)にみえますが、
別アングルから見ると、拝殿の背面にある本殿の覆い屋と一体化しています。
「正面は妻入、背面は平入」といった構成は、なんとなく善光寺本堂の撞木造(しゅもくづくり)を想起させます。
拝殿の正面の向拝の軒下。
太い虹梁(こうりょう)の上には波の意匠が彫られた派手な蟇股(かえるまた)、両端にはこちらを振り向く唐獅子の彫刻が配置されています。
拝殿にある彫刻はこれだけのようですが、この規模の拝殿にしては大ぶりで造形も凝っているように見えます。彫刻の数が少ないぶん、1つ1つを豪華にした一点豪華主義、といった感じでしょうか?
拝殿の背面にある覆い屋。中にあるのは本殿。
覆いがかけられてはいますが、壁にはだいぶ隙間があるので本殿の鑑賞に支障はありません。
本殿
本殿はこけら葺きの一間社流造(いっけんしゃながれづくり)。
全体をひととおり見てみても特に変わったところはなく、至って標準的な内容の一間社です。
案内板によると1818年(文化15年)に田中圓蔵によって造営されたとのこと。田中圓蔵は当地の宮大工で、諏訪の初代・立川和四郎の弟子。町内には津金寺や光徳寺山門(不開門のこと?)が彼の作として現存しています。
祭神は、諏訪神社なのでタケミナカタ。
本殿の右側面。
壁面には、カエデの木から飛び立つ鳥(レンジャク?)が彫られています。
円柱の上には二手先の組物で梁が持出しされており、梁の上にはきんちゃく袋の宝物の彫刻が配置されています。
写真右端に見切れている曲がった梁は海老虹梁(えびこうりょう)で、波の意匠が彫られた非常に立体的な造形。その上で垂木を受けている手挟(たばさみ)もまた立体的。
このように海老虹梁と手挟に立体的な彫刻を施すのは江戸後期の作風で、それ以前の寺社建築には見られないものです。
縁側の床下。
縁側は正面と左右の計3面にまわされていますが、観察してみるとどうも各面1枚の板だけで床が張られているように見えます。
縁の下は平三斗(ひらみつど)という組物で持出しされ、角柱で支えられています。
組物のあいだにある彫刻は「梅にウグイス」でしょうか。その下には波の彫刻。
背面。
標準的な一間社なので、正面も背面も円柱は2本で、柱間は1間。
背面は彫刻が少なめで、梁の下の欄間にわずかに見られるくらい。
縁側の終端をふさぐ脇障子は、私の経験則だと縦方向に板を張る例が多いのですが、この本殿は横方向に張っています。
ちなみに、母屋の床上の壁面は板を横方向に張るのが正式で、縦方向はまずありえません。縦に張るのは禅宗様の寺院建築くらいです。
最後に、反対の左から見た正面。
正面の扉は桟唐戸で、その両脇にも彫刻が配置されています。
以上、諏訪神社(茂田井)でした。
(訪問日2019/12/28)
*1:立科町教育委員会・文化財保護委員会による設置