甲信寺社宝鑑

甲信地方の寺院・神社建築を語る雑記。

【日野市】金剛寺(高幡不動) 後編 五重塔など

今回も東京都日野市の金剛寺(高幡不動)について。

 

前編では仁王門と不動堂について述べました。

当記事では五重塔などの伽藍について述べます。

 

五重塔

不動堂の南西の斜面には、五重塔が鎮座しています。

三間五重塔、青銅瓦葺。全高45メートル。

1970年竣工。

 

周囲は水路がまわされています。

訪問時は扉が開いており、内部を見ることができました。

 

初重は縁側がなく、内部も土間になっています。

柱間は、板戸と連子窓が使われています。

 

柱は円柱。軸部は長押を多用して固定しています。頭貫木鼻はありません。

組物は尾垂木三手先。肘木を使わずに軒桁を受けています。

大きく持ち出された桁と母屋のあいだには、格子の小天井が張られています。

中備えは間斗束。

扁額は判読できず。

 

二重。

こちらは縁側があります。欄干は跳高欄。

その他の意匠は初重と同じ。

 

二重から五重を見上げた図。

軒裏はいずれも平行の二軒繁垂木。

頂部には金色の宝輪が立てられています。

 

奥殿

不動堂の後方には奥殿。

奥殿は切妻(妻入)で、正面に庇が付き、春日造(神社本殿の様式)のような外観。後方には宝物館がつながっています。

 

前編で述べた不動堂の本尊は近年新造された身代わりであり、本物の本尊(不動明王)はこちらの奥殿に鎮座しています。本尊は「木造不動明王及び二童子像」として国指定重要文化財。

本尊は奥殿の拝所から遠目に拝むことができますが、拝観料を払って宝物館に入れば間近で見ることもできます。

 

大日堂薬医門

奥殿の脇を通過し、境内の奥へ進むと大日堂があります。

こちらは大日堂入口の門。名称不明のため、形式的に「薬医門」と呼ぶことにします。

一間一戸、薬医門、切妻、銅板葺。

 

軒下は多数の彫刻で飾られています。

扁額は判読できず。額縁にも彫刻があります。

軒裏は二軒繁垂木。

 

前方の主柱の側面には、見返り唐獅子の木鼻。

主柱の上には冠木が通り、側面に突き出ています。

冠木からは女梁と男梁が出ていて、女梁には波の彫刻。

 

向かって右後方(北面)から見た妻壁。

組物は出三斗。中備えは板蟇股。

妻飾りは笈形付き大瓶束。

破風板には鰭のついた猪目懸魚。

 

左右の袖塀の欄間にも、彫刻が入っています。

題材は、私の知識ではよく解りません...

 

背面。

前面側の主柱と、背面側の控柱は、貫で連結されています。

 

五部権現

薬医門をくぐると、右手に鎮守社・五部権現(ごぶ ごんげん)が鎮座しています。覆い屋の内部に社殿が収められています。

 

一間社流造、銅板葺。

1671年(寛文十一年)再建。1996年に現在地へ移築。

「金剛寺旧五部権現社殿」として都指定有形文化財。

祭神は八幡社、稲荷、丹生、高野、清滝権現の5社。

 

向拝の虹梁中備えは蟇股。

板蟇股と透かし蟇股の中間的な造り。古式の幾何学的な造形から、新しい立体的な造形へ移行する途中といった感じ。

私の主観になりますが、室町後期から江戸初期の蟇股はおもしろいものが多いと思います。

 

そのほかの詳細は、金網に阻まれてうまく観察できず。

縁側の欄干は跳高欄ですが、昇高欄の親柱には禅宗様の擬宝珠がついています。

 

大日堂(総本堂)

境内の最奥部には大日堂が鎮座しています。別名は総本堂。

入母屋、向拝3間、本瓦葺。

 

柱は大面取り角柱。古式を意識したのか、異様に面取りが大きいです。

柱上は連三斗と出三斗。

柱の側面には大仏用木鼻が出て、出三斗を持ち送りしています。

中備えは平三斗と二つ斗。

 

母屋柱は角柱。軸部は長押で固定され、頭貫木鼻はありません。

柱上は出組。桁下には軒支輪。中備えは二つ斗の乗った板蟇股。

欄間には格子が斜めに張られています。

 

背面は母屋と庇が半間ほど突き出ています。

 

その他の伽藍

境内南側の駐車場に面した場所には祈祷所があります。車やバイクのお祓いと安全祈願が行われていました。

宝形、銅板葺。扁額は「降魔殿」。

 

祈祷所の北には弁天池。

池の小島には弁天社があり、橋を渡って参拝できます。

 

弁天社は、一間社流造、正面軒唐破風付、銅板葺。

軒下には竜、鶴、松などの彫刻が配されています。

 

以上、金剛寺(高幡不動)でした。

(訪問日2022/03/12)